2026年9月1日
母語での読書は、なぜ海外の子どもに必要なのか
日本語を「維持する」ためではなく、日本語で考える力を成長させるために 前回の記事では、海外で失われやすい日本語は漢字だけではない、という話を書きました。 「ちょろちょろ」と「ざぶざぶ」。 「悲しい」と「切ない」。 「見る」と「見つめる」。 日本で生活していれば、子どもたちは学校だけでなく、友達、先生、祖父母、テレビ、街の中の会話などから、実にさまざまな日本語を吸収していきます。しかし海外で生活すると、その環境が大きく変わります。 家庭では日本語を話している。 日本のYouTubeも見ている。 祖父母とも日本語で話している。 だから、日本語は大丈夫。 そう見えるお子さまでも、年齢が上がるにつれて日本語の語彙や読解力に差が出てくることがあります。では、日本に住んでいない子どもに、どうすれば年齢相応の日本語を与え続けることができるのでしょうか。 その一つの大きな答えが、読書です。ただし私は、読書を 「漢字を覚えるため」 「国語の成績を上げるため」 「日本語を忘れないため」 だけのものだとは考えていません。 海外で育つ子どもにとって読書には、もっと重要な役割があります。それは、日本語で考える力そのものを、本人の年齢と一緒に成長させ続けることです。 家庭で話す日本語には、どうしても限界がある 海外在住のご家庭から、「家ではずっと日本語なので、日本語には毎日触れています」というお話をよく聞きます。もちろん、これはとても重要なことです。 家庭で日本語を使わなくなれば、日本語への接触量はさらに少なくなります。ただ、少し別の角度から考えてみましょう。昨日一日、家庭でどんな会話をしたでしょうか。 「朝ごはん食べる?」 「今日何時に帰ってくる?」 「宿題やった?」 「学校どうだった?」 「早くお風呂に入って」 「明日の準備した?」 もちろん、これだけではありません。でも家庭での会話の多くは、生活を成立させるための会話です。しかも親子ですから、すべてを言葉で説明しなくても通じます。 子どもが、「今日さ、あの子がまたあれやって、それで先生に怒られてた」と言えば、親は普段の学校の話を知っているので、「ああ、○○君のことね」と理解できます。 しかし、文章ではそうはいきません。書き手は読み手のことを知りません。読み手も書き手の状況を知りません。だから文章では、 誰が、 どこで、 何をして、 なぜそうなり、 何を感じ、 何が起こったのか、 言葉を使って構築する必要があります。つまり、読書をするということは、家庭内の「分かり合っている人同士の日本語」とは違う種類の日本語に触れることでもあります。 本の中には、家庭で使わない言葉が大量に出てくる 例えば、小学生向けの物語を読んでいると、 「ためらう」 「見当をつける」 「気配を感じる」 「呆れる」 「気まずい」 「意地を張る」 「納得する」 「戸惑う」 「慎重に」 「思いがけず」 といった言葉が普通に出てきます。これらを、家庭で毎日のように使っているでしょうか。おそらく、それほど頻繁には使いません。 さらに年齢が上がれば、 「主張」 「根拠」 「傾向」 「背景」 「影響」 「対照的」 「一方で」 「つまり」 「必ずしも」 「~にもかかわらず」 といった、説明や論理を組み立てるための言葉も増えていきます。こうした言葉は、日常会話だけではなかなか大量に入ってきません。しかし、本を読めば何度も出会います。 そして大切なのは、言葉を単独ではなく、文脈の中で出会えることです。 読書では、知らない言葉を「前後から考える」 例えば本の中に、「おっこは一瞬ためらったが、思い切って扉を開けた」という文章があったとします。「ためらう」という言葉を知らなくても、 「一瞬」 「しかし」 「思い切って扉を開けた」 という前後の情報から、「すぐには行動できなかったのかな」、「やろうか、やめようか迷った感じかな」と推測できます。これが読書の非常に重要なところです。 知らない言葉が出る。 前後を読む。 意味を予想する。 読み進める。 別の本で、またその言葉に出会う。 少しずつ意味がはっきりしてくる。 こうして語彙は増えていきます。 読書中に未知語の意味を偶発的に学習できることは、以前から研究でも確認されています。20の実験研究をまとめたメタ分析でも、通常の読書の中で未知語の一部が学習されることが示されています。もちろん、一度目にしただけですべて覚えるわけではなく、複数回・複数の文脈で出会うことが重要です。 語彙が増えると、文章が読める。文章が読めると、さらに語彙が増える 読書には、ある意味で「好循環」があります。 知っている言葉が多い子どもほど、文章を理解しやすくなります。 文章を理解できると、本を読むことが苦痛ではなくなります。 本を読む量が増えると、さらに知らない言葉に出会います。 その言葉を覚えることで、さらに難しい文章が読めるようになります。 逆も起こります。 知らない言葉が多すぎる。 文章が分からない。 読んでも面白くない。 だから読まない。 読まないので、語彙が増えない。 ますます同年代向けの本が難しくなる。 この差は、低学年では小さく見えても、何年も続けば大きくなっていきます。 読書への接触量と、語彙・読解力・読み書き能力には関連があることが、多くの研究で報告されています。乳幼児から大学生までの99研究、7,669人を対象にしたメタ分析でも、読書への接触量と読解力・読み書き能力の間に中程度から強い関連が確認されています。研究者は、読めるから読む、読むからさらに読めるようになる、という相互的な「上向きの循環」を指摘しています。 海外で育つ子どもには、この循環が日本語で起こりにくい 日本で暮らしている子どもなら、日本語を読まない日でも大量の日本語に囲まれています。 学校のプリント 教科書 駅の看板 テレビ 図書館 商品パッケージ 友達からのメッセージ 先生が黒板に書く文章 社会科の資料 理科の問題 つまり、本人が「今日は読書をしよう」と思わなくても、日本語の文字を大量に目にします。海外では、この環境がありません。 学校の教科書は英語 先生からのメールも英語 道路標識も英語や現地語 図書館へ行っても英語 友達とのチャットも英語 インターネット検索も英語 日本語を家庭で話していたとしても、「日本語を読む量」は圧倒的に少なくなります。ここがとても重要です。会話を続けていれば、日本語が完全になくなるわけではありません。しかし、話せる日本語と、読める日本語の差が少しずつ広がっていくことがあります。 「日本語は話せるのに、日本語の本を読めない」 海外で育つお子さまには、こんなことがあります。 日本語で普通に会話している。 日本のアニメも理解している。 日本の祖父母とも問題なく話している。 ところが、日本の同年代向けの本を渡すと、 「難しい」 「意味が分からない」 「読みたくない」 となる。 親から見ると不思議です。「こんなに日本語を話せるのに、なぜ?」でも、これは不思議ではありません。会話では、表情があり、声のトーンがあり、ジェスチャーがあり、聞き返すこともできます。相手が言い換えてくれることもあります。多少聞き逃しても、会話は続きます。文章には、それがありません。 文字だけから誰が何をしているのか、言葉の意味は何か、前の段落とどうつながっているのか、筆者が何を言いたいのかを自分で組み立てなければなりません。 つまり読書には、会話とは違う種類の日本語力が必要なのです。 読書は、語彙だけを増やしているわけではない 私は読書の価値を、「語彙が増える」だけで説明するのも不十分だと思っています。本を読むと、文章の構造にも繰り返し触れます。 「なぜなら」 「ところが」 「一方で」 「そのため」 「つまり」 「例えば」 「にもかかわらず」 こうした言葉を理解すると、文章の中で、 何が原因なのか。 何が結果なのか。 どこから反対意見なのか。 どれが具体例なのか。 何をまとめているのか。 が見えるようになります。以前の記事で、小学校高学年から中学生にかけて、「原因と結果」、「意見と根拠」、「具体と抽象」、といった関係を理解することが重要になるという話を書きました。こうした思考を支えているのも、言葉です。 読書をするということは、単にストーリーを楽しむだけではなく、他人がどのように情報を整理し、考えを組み立て、それを言葉にしているのかを大量に見ることでもあります。読解力についてNational Reading Panelも、語彙は読解に重要な役割を持ち、読解は読み手が文章と能動的に関わる複雑な認知過程だと整理しています。 物語を読むことにも、大きな意味がある 「思考力を伸ばすなら、説明文や論説文を読ませた方がいいのでは?」と思うかもしれません。もちろん、それらも大切です。でも、物語にも非常に重要な役割があります。物語を読むと、 主人公は何を考えているのか。 なぜこんな行動をしたのか。 この人は本当は怒っているのか、悲しいのか。 なぜ二人はすれ違っているのか。 次に何が起こりそうなのか。 自分だったらどうするのか。 といったことを考えます。しかも、物語には自分の家庭にはいない人が登場します。 自分とは違う年齢。 違う性格。 違う家族。 違う時代。 違う価値観。 違う境遇。 一冊の本を読むということは、自分とは違う人間の頭の中を想像でふくらませながら、日本語で追体験することでもあります。海外で暮らしている子どもにとって、これは特に大きな意味があります。家庭内だけでは出会えない日本語と、家庭内だけでは出会えない考え方を、同時に経験できるからです。 日本語を継承する子どもの研究でも「Literacy」が重要な要素として出てくる 前回も紹介した、日本語を継承語として育てている427人を対象とした研究があります。この研究では、日本語環境で育つ子どもと比較しながら、何が継承語としての日本語発達の個人差と関係しているのかを分析しています。 その中で、家庭での日本語だけではなく、学校、地域社会、日本への滞在、そして、読書・作文・宿題などの日本語によるLiteracy活動が独立した言語経験の要素として分析されています。研究では、日本への滞在経験が語彙得点を予測し、日本への滞在とLiteracyの双方が、より広い意味での日本語能力を予測していました。これは、海外で日本語を育てるうえで、とても示唆的だと思います。 単に、「家庭で日本語を話しているか」だけではない。日本語を使って読んだり、書いたりする経験があるか。そこまで考える必要があるということです。 ただし、「本を渡しておけばいい」わけでもない ここは、とても大切です。「読書が重要」と書くと、では日本から本をたくさん買って、「毎日30分読みなさい」と言えばいいのか。という話になります。私は、そうは思いません。 読書研究でも、単に子どもに自主的な黙読を大量にさせれば、それだけで必ず読解力が上がる、と単純に因果関係を言えるわけではありません。 National Reading Panelも、独立した黙読だけを読書指導として用いることについては、十分な因果的エビデンスがないとして慎重な評価をしています。一方で、語彙指導、文章理解の方略、ガイド付きの音読などについては効果を示す研究があります。 つまり、読書は魔法ではありません。本人がほとんど理解できない本を与えて、「とにかく読みなさい」と言っても、効果的とは限りません。むしろ本嫌いになる可能性があります。 大切なのは「少しだけ難しい本」を読むこと 海外で日本語の読書を続けるうえで、私が特に重要だと思うのは、その子に合った本を選ぶことです。 簡単すぎる本では、新しい言葉にあまり出会いません。難しすぎる本では、分からない言葉だらけになり、内容を楽しめません。 大部分は理解できる。 でも、ときどき知らない言葉が出てくる。 前後を読めば、何となく意味を予想できる。 ストーリーの続きが気になるので、そのまま読みたくなる。 このくらいの負荷が理想的です。 そして、分からない言葉が出るたびに読書を止めて辞書を引かせる必要もありません。 重要な言葉なら一緒に考える。 前後から予想させる。 何度も出てきたら確認する。 場合によっては、そのまま読み進める。 読書を、「知らない言葉を全部覚える作業」にしないことも大切です。 音読や読み聞かせは、何歳まで? 「もう小学5年生なので、読み聞かせは卒業ですよね」と聞かれることがあります。必ずしもそうではないと感じます。自分一人では読むのが難しい本でも、大人が読めば理解できることがあります。つまり、読む力より、聞いて理解する力の方が高い時期があります。 特に海外で育ち、会話の日本語は比較的強いけれど、漢字や日本語を読むことには慣れていない子どもには、大人が読んであげる、交代で読む、オーディオブックを使う、音声を聞きながら文字を追うという方法も使えます。 ただし、日本語の文字を読む力を伸ばしたいのであれば、音声だけで終わらせず、少しずつ実際の文章にも触れることが重要です。 「読んだ後に問題を解く」ことだけが読解ではない 日本の国語教育というと、文章を読んで、問題を解いて、答え合わせをするというイメージを持つ方も多いと思います。 もちろん読解問題にも役割があります。でも家庭での読書なら、もっと自由でいいと思います。例えば、 「どの人が一番好き?」 「なんでこの子、こんなこと言ったと思う?」 「このあと、どうなると思う?」 「もし自分だったらどうする?」 「この人、本当は怒ってるのかな?」 「今日出てきた『気まずい』って、どういう感じ?」 こんな会話で十分です。大切なのは正解することではなく、本の中で起きていることを、日本語で考え、想像をふくらませ、日本語で説明すること。です。これを続けていくと、読書が単なるインプットではなく、 読む。 考える。 話す。 言葉を知る。 また読む。 という循環になります。 幼児期の研究ではありますが、子どもを会話に参加させながら本を読む「dialogic reading」は、通常の読み聞かせと比べて表出語彙の発達にプラスの効果を示したメタ分析もあります。 「日本語と英語、両方読ませなければ」と考えすぎなくてもいい 海外のご家庭には、もう一つ時間という大きな悩みがあります。 学校の宿題は英語。 英語の本も読まなければならない。 日本語の漢字もある。 日本語の本も読ませたい。 サッカークラブもある。 ピアノもある。 チェスも始めたい。 お友だちとのスリープオーバーもある。 全部やろうとすると、子どもも親も疲れてしまいます。ここで一度考えたいのは、最終的に何を目指しているのかではないでしょうか。 私は、まず一つの言語であっても、年齢相応の本を読み、複雑なことを理解し、考え、説明できる力を育てることが非常に重要だと思っています。 英語でも日本語でも、簡単な文章しか読まない状態にするより、一つの言語でしっかり深く読める状態をつくる。その上で、もう一つの言語もできる限り育てていく。家庭の進路や帰国予定によって、どちらにどれだけ時間を使うかは変わります。 ただし、将来日本へ帰国する可能性があるのであれば、日本語の読書を何年間も完全に止めてしまうことには慎重であってほしいと思います。会話だけでは、後から「読むための日本語」を取り戻すのに大きな負荷がかかることがあるからです。 日本語の読書は「国語の勉強」ではない 海外にいると、日本語の本を読むことが、「日本語の勉強」になってしまいがちです。でも日本に住んでいる子どもにとって、読書は必ずしも「国語の勉強」ではありません。 面白いから読む。 続きが知りたいから読む。 好きなキャラクターがいるから読む。 怖い話が好きだから読む。 恐竜について知りたいから読む。 スポーツ選手について知りたいから読む。 海外にいる子どもにも、できるだけこの状態を作ってあげたいと思います。「日本語維持のために読ませる」だけになってしまうと、本人にとって読書は義務になります。 でも、本の内容そのものが面白いから、結果として日本語を大量に読む。この状態が作れれば、とても強いです。そのためには親が読ませたい本ではなく、本人が読みたい本を見つけることも非常に重要です。 物語でなくても構いません。スポーツや動物、伝記やミステリーなど、本人が日本語でページをめくりたくなるものから始めればいいと思います。 海外での読書は、日本語環境を「人工的につくる」こと 日本にいれば、日本語は勝手に周りから入ってきます。海外では、それをある程度意識的につくらなければなりません。読書は、そのための非常に効率的な方法です。一冊の本を開けば、 知らない人が話しています。 知らない場所があります。 知らない感情があります。 知らない出来事があります。 知らない言葉があります。 そして、それらすべてを日本語で経験できます。 つまり読書は、海外の日常では足りなくなった日本語環境を、本の中につくることでもあります。だから私は、海外で日本語を育てるうえで、「漢字を何文字覚えたか」だけではなく、「今、この子は日本語で何を読んでいるだろう?」ということを、とても重要な指標だと考えています。 子どもの年齢が上がるなら、読む日本語も一緒に成長させる 以前の記事でも書きましたが、小学2年生で身につけた日本語を、そのまま維持するだけでは小学6年生の日本語にはなりません。同じように、小学2年生向けの本を読み続けているだけでは、12歳、15歳になったときに必要な日本語にはなかなか届きません。 子どもが成長する、興味が変わる、考えることが複雑になる、それに合わせて、絵本から児童書へ、物語から説明文へと、読んでいる文章も少しずつ変えていく必要があります。 そして、ニュース、伝記、歴史、科学、意見文へ展開していくことにより、本人の成長と一緒に、読む日本語の世界も広げていく。これが海外での日本語教育において、とても重要だと思います。 「日本語を忘れないため」から、「日本語で成長するため」へ 海外在住のご家庭では、「日本語を忘れさせたくない」という言葉をよく聞きます。もちろん、それは大切です。でも私は、もう一歩先を考えてほしいと思っています。 忘れないだけではなく、8歳なら8歳の日本語、12歳なら12歳の日本語と、日本語も本人と一緒に成長させる。そのために、家庭での会話だけでは得にくい日本語を届ける。読書には、その役割があります。 語彙を増やす。 文章を理解する。 人の気持ちを考える。 原因と結果を追う。 知らない世界を知る。 自分と違う価値観に出会う。 そして、それについて日本語で考える。 だから、母語での読書は、日本語維持のためだけにするものではありません。子どもが年齢相応に考えるための言葉を育て続ける。そのための土台なのだと思います。 海外で日本語を育てるなら、「今日は漢字を何文字覚えた?」だけではなく、時々こう聞いてみてください。 「最近、日本語でどんな本を読んでいる?」そこから見えてくるものは、意外に大きいと思います。 参考資料 Kubota et al. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development Mol & Bus (2011), To Read or Not to Read: A Meta-Analysis of Print Exposure From Infancy to Early Adulthood, Psychological Bulletin Swanborn & de Glopper (1999), Incidental Word Learning While Reading: A Meta-Analysis, Review of Educational Research National Reading Panel (2000), Teaching Children to Read, National Institute of Child Health and Human Development Mol et al. (2008), Added Value of Dialogic Parent–Child Book Readings: A Meta-Analysis, Early Education and Development
