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変わらない日本への絶望感、ロジカルシンキングクラス

2026年3月14日

変わらない日本への絶望感。私が見た日本の現実

前回、ロジカルシンキング教室を始めたきっかけについて書きました。今回は、その背景にある「日本社会の構造的な問題」について、私が海外で目の当たりにしてきた4つのエピソードをお伝えします。 どれも、日本の教育が育てている「考え方の型」が、社会や企業文化にどう影響しているかを示す例だと感じています。 ① 夕方5時、オフィスに誰もいなかった ニュージーランド政府での初出勤の日。日本の感覚そのままに、夕方5時を過ぎて「さあ、ここからが本当の仕事だ」と机に向かうとしたら、オフィスには一人を除いて誰も残っていませんでした。 唯一残っていた同僚SAMは、半日ほど時差のあるイギリスとのミーティングのために残っていたのですが、彼は「I'm a loser」とつぶやいていました。「勤務時間内に収められないのは、仕事ができないということだ」と。 日本では「会社に長くいること」が評価され、会議は1時間単位で発言するのは上長のみ。その背景には、個人の生産性より組織への忠誠心を評価する終身雇用・年功序列の仕組みがあります。これは「正解を疑わない」教育の延長線上にあると感じました。 因みに、ニュージーランドでは定時解散が原則。会議は15分単位で全員発言。発言しない=何も考えていない=仕事ができない、の構図でした。 ② 上海ではドアを出た瞬間に始まっていた その後に務めたニュージーランド航空時代、日本支社長と共に日本の大手旅行会社を訪問しました。販促キャンペーンを提案したものの、先方の社長は「部長と担当に任せる」と通訳を通して一言。大きな議論もなく会議は終了。 同じ提案を上海でしたときは、実務担当者がその場でアイディアを出し合い、英語で白熱した議論を行い、ドアを出た瞬間から実行に移されていたそうです。 「Kenya、日本は大丈夫か?上海はすでに結果が出始めている。日本はまだ何も動いていないじゃないか」。 日本支社長の一言が、私の心をえぐりました。 その背景には「稟議書文化」と「前例主義」があります。「新しいことをやる前に全員の合意を得る」という仕組み。これもまた、「正解を確認してから動く」教育の延長線です。 ③ コンビニ前のパトロール 日本を代表する光学機器メーカーの本社。約3,000人が勤務するそのビルでは、勤務時間中にコンビニに行くことが禁止されており、人事担当者がビル周辺をパトロールしていました。 「なぜここまで厳しくするのですか?」と尋ねたら、「会社のルールは一番下の人に合わせないと、必ず悪用する人が出てくるからです」と。 グローバル企業では「社員を信頼し、例外的に違反した場合だけ処罰する」という発想が多い。日本では「人は必ず悪用する」という前提からスタートする。これも「ルールを守ることが正解」という教育の結果だと感じます。 ④ FAXという名の博物館展示品 東京で仕事をしていた際、海外から出張者が来ると必ず見せるものがありました。FAXマシーンです。 かつてテクノロジー大国と呼ばれた日本が、本来は博物館に置かれていてももおかしくないデバイスをいまだに日常的に使っている。 方や、私が住んでいたデンマークでは行政から医療まで全てデジタル化され、右手を骨折したときの私のカルテは、いつどの病院でどのような処置がされ、どの薬が処方されたかスマホで確認ができます。 日本の友人にこの話をすると、必ず否定的な反応が返ってくる。 「高齢者には使えない」 「セキュリティが心配」 その根底には「安心=変えないこと」という価値観がある。これもまた、「現状維持が正解」という教育の結果です。 これらに共通するもの 4つのエピソードに共通しているのは、「正解を疑わない」「前例に従う」「変化を避ける」という思考の型です。そしてそれは、日本の「○×教育」が育てたものだと私は感じています。 もちろん、日本の教育や企業文化には強みもあります。その話は次回詳しく書きます。でも、これらの構造的な問題が「なぜ子どもにロジカルシンキング教育が必要なのか」の答えでもあるのです。 「正解を疑う力」 「前例のないことに挑む力」 「変化を恐れずに考える力」 これらを子どものうちに育てることが、私が教室で目指していることです。

日本の教育の限界から学んだSakura国語のワークショップが目指すもの

2026年3月13日

日本の教育の限界から学んだ、私の教室が目指すもの

前回、ニュージーランド航空でのブレインストーミングで一言も発することができなかった経験を書きました。あの経験以来、「日本の教育が育てているもの」と「育てていないもの」について、ずっと考え続けていました。 そしてその問いは、その当時幼稚園児であった自分の娘の教育をどうするかという、親としての切実な問題でもありました。詰め込み式の教育ではない、「考える力」を育てる教育を娘に与えたかった。でも、具体的にどうすればいいのかが見えていませんでした。 旅行先で出会った、ある記事 転機になったのは、2023年のある旅行先で読んだ一本の記事でした。 その記事では、日本の教育制度の問題点が指摘されていました。日本の大学卒のほとんどが「ロジカルシンキングができない」という指摘。受験システムが記憶力と反射神経を試すものであり、「記憶しなさい」は「考えるな」と言っているのに等しいという主張。 そして、世の中のほとんどのことには「絶対的な正解」など存在しないのに、日本の教育は常に正解を前提に試験をしているという指摘。 読んだ瞬間、頭の中ですべてがつながりました。 NZ航空のブレストで一言も発することができなかった自分。過去の事例からしかアイディアを生み出せなかった自分。それはまさに、「正解を探す教育」で育った結果だったのです。 ○×だけの世界ではない。過去の経験だけでは正解を導き出せない。正解のない答えを探すことが必要なのだと。 そして、それを自分の娘にも、同じ悩みを持つ他の日本人の子どもたちにも伝えたい。そう思ったのが、教室を開けるきっかけでした。 「正解のない問いを探す旅」 2024年10月、オランダのハーグで「ロジカルシンキング教室」(旧ディベート教室)を開講しました。 ディベートを通じて、「考える力」「伝える力」「聴く力」を育てる。言い負かすのではなく、相手の意見にも耳を傾けながら、自分の考えを論理的に組み立てて話す経験。それが、日本の教育では得られない「正解のない問いを探す旅」です。 現在はハーグの対面教室での実績をもとに、オンラインクラスとしてヨーロッパ全土に展開しています。ロンドン、パリ、デュッセルドルフ、ベルリン、アムステルダムなど、ヨーロッパ各地から参加可能です。 無視できない現実として受験対策があるのも重々承知しています。でも、折角ヨーロッパに滞在されているのであれば、日本の型にハマらない教育の刺激を受けてみませんか?

日本の教育システムの限界・ロジカルシンキングクラス

2026年3月12日

私が感じた日本の教育システムの限界 – ブレストで一言も発することができなかった日

オランダのハーグで、日本人のお子さまを対象にした、日本語でのロジカルシンキング・クリティカルシンキングに重心を置いた国語の教室を開催している入江と申します。 2024年6月に、ある記事との出会いをきっかけに教室を開講しました。その記事の話は次回で詳しく書きますが、まずはその原点となった経験からお話しさせてください。 しばらくの間、なぜ私がオランダで教室を開催しているのか、自分の子どもの教育も含めて、どこを目指しているのかなどのお話しをさせていただければと思います。   会議室に閉じ込められた2時間 ニュージーランド航空で働いていたときのことです。会議室に閉じ込められ、2時間ぶっ通しでブレインストーミングを行う場に参加しました。 課題解決のために集まったメンバーは、ニュージーランド、カナダ、日本、南アフリカ、ケニア、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、エクアドルなど多国籍。ニュージーランドのナショナルフラッグキャリアでありながら、NZ人はむしろマイノリティという、日本では考えにくい光景でした。 ブレストが始まると、まだ二十歳そこそこのアゼルバイジャンやウズベキスタン出身の若者が、次々に突拍子もないアイディアを出し始めました。私は最年長でキャリアも長く、正直「そんなことできるはずがない」と斜に構えていました。 ところが、周囲がその突飛なアイディアを否定せず、真剣に議論していくうちに、不思議なことが起きました。最初は現実味がないと思えたアイディアが、議論を通じてどんどん具体性を帯び、最終的には私が1ミリも想像できなかった現実的な解決策に落ちていったのです。 私はその光景に圧倒され、大きなショックを受け、一言も発することができませんでした。 なぜなら、自分が出すアイディアはすべて過去の成功体験や事例からしか生まれていないことに気づいたからです。私は過去の事例が唯一の価値判断基準になっていた。 一方で、教育背景すらわからない若者たちはゼロベースで考え、自由に発想し、それを誰も否定せずに育てていく。結果として、私の想像を超える施策が生まれたのです。 「正解か不正解か」の教育が奠ったもの この経験を通じて、日本の教育の特徴を痛感しました。 日本の学校教育では、常に正解か不正解か、◎か×かで点数がつけられる。そして高得点を取る者が優秀とされる社会。その仕組みは「正しい答え」を導く力は育てても、ゼロから問いを立て、突拍子もない発想を試す力を育てることは難しい。 日本の教育は、基礎学力の底上げや画一的な技術力育成に強みがあります。その結果、日本人は一定以上の水準を安定して保ち、緋密で正確な仕事を得意とする。 でも一方で、正解探しに偏るがゆえに、自ら考え、未知の課題に挑む姿勢を育みにくい。ゼネラリストは育っても、創造性や専門性で突出する人材は生まれにくいのです。 日本の子どもたちは、このような自由な発想と行動力を持つ世界の若者たちと本当に戦えるのか。日本の教育や、それに基づく人材育成システムは、このまま世界で通用するのか。 これは私自身に突きつけられた大きな問いでした。そして同時に、自分の娘にどんな教育を与えるべきかという、親としての問いでもありました。 次回は、この経験から生まれた「ロジカルシンキング教室」についてお話ししたいと思います。 旅行先で読んだある記事が、教室を開ける大きなきっかけになりました。

海外の子どもにとって「家庭外で話すこと」が大切な理由

2025年9月19日

海外の子どもにとって「家庭外で話すこと」が大切な理由

海外で暮らすご家庭からよく耳にするのが、「家では日本語を話しているけれど、外ではほとんど使わない」というお悩みです。確かに、海外に住む子どもたちは 家庭内=日本語、家庭外=現地語や英語 という使い分けが自然と身についていきます。家庭での日本語は安心感のある言葉として定着しやすい一方で、家庭外で使う機会が少ないと「限られた語彙・表現」にとどまってしまうリスクがあります。 家族以外との会話で「言葉の幅」が広がる 家の中ではどうしても同じ言い回しや限られた語彙が中心になります。「ご飯食べた?」「宿題やった?」など、日常的なやり取りは大事ですが、子どもの言葉の世界を大きく広げるには不十分です。友だちや先生と話すことで、はじめて自分の言葉を組み立てる力が鍛えられます。 正式な場面で使う日本語を学ぶ 家庭外での日本語の経験は、単なる日常会話だけではなく、「発表する」「意見を述べる」「相手を説得する」といった フォーマルな日本語を学ぶきっかけにもなります。特にディベートやグループ活動では、正しい言葉遣いや論理的な話し方が自然と身につきます。これは将来の面接や小論文、探究学習にもつながる大切な力です。 自信と自己表現力につながる 家庭の外で自分の言葉を伝えられるようになると、子どもは大きな自信を得ます。「言いたいことが通じた!」という経験が積み重なることで、言葉を選ぶ楽しさや、考えを形にする力が伸びていきます。これは単なる言語スキルにとどまらず、自己表現力や主体性にも直結します。 日本語会話力を伸ばす具体的な例 家庭外で日本語を使う場をつくる方法は、実は身近にあります。例えば: ディベートや読書会:同世代とテーマを決めて話し合うことで、語彙や表現が一気に広がります。 オンラインの日本語コミュニティ:時差を越えて世界中の子どもとつながり、共通のテーマで日本語を使えます。 現地の日本人補習校や課外活動:発表会や文化イベントなど、人前で日本語を使う場が増えます。 趣味の活動(ピアノ、空手など)を日本語で:好きなことを日本語で話すと、言葉がぐっと自然になります。 こうした場を通じて「日本語を使うのが楽しい」と思える経験を積むことが、長く続ける秘訣です。 最後に 海外で暮らす子どもにとって、日本語は「家族との絆の言葉」であると同時に、「未来につながる学びの言葉」でもあります。家庭外で日本語を話す機会を持つことは、語彙を広げ、正しい表現を学び、自信を育むための大切なステップです。もし「日本語を話す場が足りないかも…」と感じたら、ディベートや補習校、日本語での習い事など、子どもが楽しく続けられる方法をぜひ取り入れてみてください。その一歩が、お子さまの言葉の世界を大きく広げてくれるはずです。

海外で国語力を育てるために親ができること

2025年8月28日

海外で国語力を育てるために親ができること

海外で暮らす子どもたちは、日本語に触れる量が圧倒的に不足しています。 インターナショナルスクールや現地校では英語や現地語が中心となり、日本語は家庭内に限られてしまう。 結果として、語彙が伸びず、表現が貧弱になり、文章を理解する力が弱まっていく危険性があります。 この「読解力の欠如」は国語だけの問題ではありません。 数学や理科、社会でも「問題文の意味が理解できない」ために正しく答えられない。さらに言えば、将来の情報処理力や思考力そのものが損なわれるリスクに直結します。 補習校や学習塾でさえ、週に数時間ではこの不足を埋めることはできません。 そのまま放置すれば、母語としての日本語が十分に育たないまま思春期を迎え、取り返しのつかない差が生まれることも珍しくないのです。 では、親ができることは何でしょうか。 毎日の読書習慣をつくる:語彙・表現の幅を広げる最も基本で確実な方法です。 読んだ内容を語らせる:理解を深め、思考を言葉にする力を鍛えます。 質の高い日本語で会話する:「なぜ?」「どう思う?」と問いかける習慣が、思考力の芯を育てます。 家庭外の日本語環境を確保する:Sakura国語のワークショップや補習校など、家庭だけでは得られない刺激を加えることが不可欠です。 危機はすでに始まっています。 放っておけば日本語の基盤は確実に弱まり、その影響は全教科、そして将来の学びや社会生活にまで広がっていきます。 だからこそ、いま親が意識して環境を整えることが欠かせません。 Sakura国語のワークショップは、その努力を支える場として、子どもたちの「読む・考える・伝える力」を根本から鍛えていきます。

塾とSakuraの違い

2025年8月21日

国語のワークショップは学習塾とは何が異なるのか

海外に住むご家庭の中には、オンラインや帰国時に日本の学習塾を利用する方も少なくありません。 しかし、学習塾とSakura国語のワークショップでは目指すものがまったく異なります。 学習塾の役割 学習塾は「テストで点数を上げること」を目的にしています。 つまり、あらかじめ用意された正解にたどり着くための技術を身につける場です。 問題を解くテクニックを習得し、正答率を上げることがゴールになります。 Sakura国語のワークショップの役割 一方、Sakura国語のワークショップが育てたいのは、正解がひとつに定まらない問いに、自分の力で向き合う姿勢です。 - 文章を深く読み取る - そこから情景や意図を想像する - 自分なりの考えを整理し、表現する このプロセスを繰り返すことで、「答えを探す力」そのものが育ちます。 どちらが子どもの未来に直結するか 現代社会で求められているのは、用意された正解を選ぶ力ではなく、複雑で不確実な状況から意味を読み取り、自分の判断で行動できる力です。 読解力はその土台となる力です。 Sakura国語のワークショップは、テスト対策のための短期的な成果ではなく、子どもたちが未来を生き抜くための「思考力の基盤」を築く場を目指しています。

日本語の摂取量が限られている現実

2025年8月14日

日本語の摂取量が限られている現実

海外で暮らすお子さんに共通している課題があります。 それは、日本語に触れる量そのものが圧倒的に不足しているということです。 インターナショナルスクールや現地校に通えば、授業も友人との会話も英語や現地語が中心になります。家庭での会話だけでは、日本語の「日常会話」には触れられても、学問や思考に必要な深い語彙や表現にはなかなか届きません。 特に顕著なのが次の点です: オノマトペに弱い 海外の子どもは「ざあざあ」「しんみり」「わくわく」といったオノマトペに圧倒的に弱い傾向があります。こうした表現は日常の情景描写や感情の理解に欠かせないものですが、塾や教科書では学びづらく、生活の中で自然に身につけていくものです。 語彙の幅が狭い 「見る」「言う」といった基本的な表現は使えても、「観察する」「述べる」といった抽象的で学問的な語彙に触れる機会が極端に少ない。結果として、文章の意味を正確に理解する力が育ちにくくなります。 補習校だけでは不十分 補習校は確かに大切な存在ですが、日本の学校と同じ量・質の日本語に触れられるわけではありません。週数時間の授業では、日本の学校生活すべてを補完することはできないのです。 読解力は「量」と「質」の両方に支えられています。 海外に暮らす子どもたちは、その両方が不足しがちなため、意識して日本語に触れる環境を整えなければ、気づかないうちに母語としての基盤が弱まっていく危険性があります。 だからこそ、「意図的に日本語を浴びる時間をつくる」ことが必要です。読書はその最も有効な手段のひとつであり、失われやすい日本語の厚みを取り戻すための生命線となります。

なぜ海外で読書が必要なのか

2025年8月7日

なぜ海外で読書が必要なのか

海外に暮らすお子さんにとって、日本語を取り巻く環境はとても厳しいものです。 インターナショナルスクールや現地校に通うと、学びの中心は英語や現地語。友人や先生との会話もほとんどが外国語になり、日本語に触れる時間は家庭内に限られてしまいます。 しかし家庭での会話だけでは、十分な日本語力を身につけることはできません。 日常会話で使うことばと、学問や読解に必要なことばの間には、大きな隔たりがあるからです。 たとえば、次のような課題があります: <ul> <li>語彙不足:海外のお子さんは特にオノマトペや抽象的な語彙に弱く、文章の細やかなニュアンスをつかめないことが多い。</li> <li>表現の幅の不足:家庭での会話では同じ言い回しに偏りがちで、多彩な表現や構文に触れる機会が限られる。</li> <li>読解力の訓練不足:長文を読み取り、情景を思い描きながら理解を深める習慣が育ちにくい。</li> </ul> このような課題を克服する最も効果的な方法が「<a href="/class-kotoba-school/">読書</a>」です。 多彩なジャンルの本に触れることで、子どもたちは豊富な語彙や表現、ことばのリズムや文体を自然に吸収します。 さらに、文章から情景をイメージし、登場人物の気持ちを想像し、内容を整理する過程そのものが、読解力の筋肉を鍛えるトレーニングになります。 読書は単なる趣味ではありません。 海外にいる子どもたちにとって、<strong>日本語を「生きたことば」として身につけ、思考力を育てるための生命線</strong>なのです。

子どもたちの読解力に広がる危機

2025年7月31日

子どもたちの読解力に広がる危機

文部科学省が毎年実施している「全国学力・学習状況調査」(令和6年度/2024年)では、次のような結果が出ています。 小学6年生の国語の読解問題 平均正答率 70.8% 中学3年生の国語の読解問題 平均正答率 48.3% 特に中学生の結果は、半数以上の子どもが文章を正しく理解できていないことを示しています。 これは国語だけの問題ではありません。 数学の文章題、理科の実験問題、社会の長文設問──どの教科も「問題文を正しく読む力」がなければ、答えにたどり着くことはできません。 つまり、読解力の不足は、全教科に共通する深刻な基礎学力の欠落につながります。 さらに海外に暮らすお子さんの場合、状況は一層厳しくなります。 インターナショナルスクールや現地校で学ぶと、日常の言語は英語や現地語が中心。家庭内の日本語だけでは、語彙や表現の幅が限られ、抽象的な概念や複雑な文章を読み解く力が育ちにくいのです。 一度弱まった読解力は、短期間で取り戻せるものではありません。 小学生の段階で差がつくと、中学・高校、さらには社会に出てからの情報処理や思考力にまで影響が及びます。 帰国後、日本の学校に編入した子どもたちが国語はもちろん、他教科でも苦戦するのはこのためです。 だからこそ、海外にいる今こそ、日本語の読解力を意識的に育てる環境が欠かせません。