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バイリンガルの現実と母語の大切さ

2026年3月25日

バイリンガルの現実と母語の大切さ

前回、バカロレアを選んだ理由について書きました。最後に「IBだけでは解決しない問題がある」と書きましたが、今回はその話です。 東京のインターに娘を入学させた日、私は心のどこかで安心していました。「これで娘はバイリンガルになれる」と。英語の環境に身を置きさえすれば、スポンジが水を吸うように言葉を吸収し、日本語と英語の両方を自在に操る国際人が育つ——そんな淡い期待を抱いていました。 娘が最初に通ったAoba International School  でも、娘を幾つかのインターに通わせて8年が経ち、自らオランダで国語教室を運営して多くの子どもたちを見る中で、その考えがいかに大きな間違いだったかを痛感しています。 今ならはっきりと言えます。「海外に出た瞬間、子どもの日本語(母語)の成長は、恐ろしいスピードで鈍化し始める」という現実を。   見落とされていた「日本語のシャワー」の正体 日本で暮らしているとき、私たちは無意識のうちに膨大な「日本語の資産」を受け取っています。 国語の授業はもちろんですが、算数も理科も社会も、すべての教科を通じて「年齢に応じた抽象的な概念」を日本語で思考し、血肉に変えている。 学校を一歩出れば、通学路の看板、放課後の友だちとの何気ない会話、テレビ番組、駅やコンビニのアナウンス。これらすべてが「日本語のシャワー」となり、意識せずとも語彙は増え、思考の解像度は上がっていきます。 ところが、海外に出るとこのシャワーはピタリと止まります。 多くの家庭は、まず現地校やインターでの生活に馴染むため、英語や現地語の習得に必死になります。 それは とても必要なことです。でも同時に、多くのご家庭は「新しい日本語のインプット」が止まってしまうのです。 思考力が「日本を出た時のまま」で凍結する 「家では普通に日本語で会話できているから大丈夫」 そう安心している親御さんは少なくありません。でも、そこには大きな罠があります。家庭内の日常会話で使う日本語は、語彙も構文も非常に限定的だからです。 複雑な論理展開や抽象的な思考を伴わない会話だけでは、日本語での思考力は育ちません。一方で、習得中の英語もまだ「深い思考」ができるレベルには達していない。いわば、どちらの言語でも深く考えられない「ダブル・リミテッド」もしくは「セミリンガル」のリスクが常に隣り合わせなのです。 実際、中学生になっても語彙力や読解力、ひいては思考の深さが「日本を出国た時の年齢」のまま止まってしまっているお子さまを、私は少なからず見てきました。 「ブルブル」が怖いとわからない衝撃 その象徴的な例が、オノマトペ(擬音語・擬態語)の弱さです。 日本で暮らしていれば、オノマトペはわざわざ勉強するものではなく、生活の中で自然に身に付くものです。ところが、その機会を奪われた海外の子どもたちは、日本語の持つ繊細なニュアンスを掛むのが非常に苦手です。 私の教室で『おとなもブルブルようかい話』という本を扱ったときのことです。私達はタイトルを見ただけで「怖そうな本だ」と直感します。 ところが、幼い頃日本を離れ海外生活の長い子どもたちは、タイトルを見てこれが怖い本だと認識できた子は、残念ながら半数にも満たなかったのです。 「ブルブル」という言葉に込められた感覚が、身体感覚として備わっていない。これは単なる語彙の不足ではありません。日本語を介した「感性」や「想像力」が育っていないことを意味します。 だから私は、読書とディベートを組み合わせた この「思考の凍結」を防ぐには、限られた時間の中で、意識的に日本語をインプットしていくしかありません。 週末の日本語補習校や学習塾、公文、あるいは日本語話者のコミュニティへの参加。何らかの形で強制的に「日常会話以上」の日本語に触れることが必要です。 その中で、私が教室で実践しているのが、「読書」と「ディベート」の組み合わせです。 読書で質の高い文章を読み込み、語彙と読解力を補給する。そしてディベートで、読書で得た武器を使い、自分の頭で考え、言葉にする。このプロセスを経て初めて、知識は「思考力」へと昇華されるのだと実感しています。 インプットだけでも、アウトプットだけでも足りない。両方がかみ合って初めて、「日本語で深く考える力」が育つ。これが、私が教室で日々感じていることです。 本当のバイリンガルを目指して 「2つの言語が話せること」以上に大切なのは、「どちらか一方の言語で、深く、論理的に思考できる土台があること」です。 海外という素晴らしい環境を活かすためにも、その土台となる母語を疎かにしてはいけません。母語を鍛えることは、世界で戦うための「考える力」を鍛えることそのものなのだと、痛感しています。

ロジカルシンキングクラス | 私がバカロレアを選んだ理由

2026年3月21日

娘に○×教育を受けさせたくなかった。だからバカロレアを選んだ

○×教育を受けさせたくなかった 以前書いたニュージーランドでの衝撃。あれから約10年が経ち、娘が小学校に入るタイミングが来ました。 あの経験がずっと頭にありました。型にはまった○×を基本に教える日本の教育では、娘は世界で自由な教育を受けている子どもたちと戦っていくことができない。そう痛感していました。 でも、「じゃあ何を選べばいいのか」がわからなかった。 色々調べた結果、たどり着いたのが国際バカロレア(IB)でした。自ら問いを立てて探究する力、多角的な視点、批判的思考力。IBが掲げる「ラーナープロファイル」には、Thinker(考える人)、Inquirers(探究する人)、Risk-takers(挑戦する人)、Open-minded(心を開く人)などが並んでいます。これは世界中のどのIB校でも共通の評価基準です。 読んだ瞬間、「これだ」と思いました。まさに私が求めていた教育像そのものでした。 東京のインターからコペンハーゲン、そしてハーグへ ただ、当時の日本でIBを受けられる学校は、インターナショナルスクールに限られていました。今でこそ日本語で受けられるIB校や公立の一条校も増えてきましたが、その頃は選択肢がほとんどなかった。 娘は東京のAobaインターナショナルスクールに通いました。その後、コペンハーゲン、ハーグと転校を繰り返しましたが、すべてIB校を選んだので、転校はかなりスムーズでした。カリキュラムの枠組みが世界共通なので、「前の学校で何をやっていたか」がそのまま引き継がれる。これは海外転勤の多い家庭にとって、大きな安心材料です。 「DPから入ればいい」という誤解 バカロレアを初めて知ったとき、私は「せめてDP(高校に相当する2年間)にだけでも通わせたい」と思っていました。最後の2年間だけでもIBの教育を受けられれば、それで十分だろうと。 でも、実際に娘を通わせてみて、それがいかに甘い考えだったかがわかりました。 DPでは、完全に自立して自ら研究テーマを設定し、そのプロジェクトを完結させることが求められます。管理教育で育った子どもには、これがかなり難しい。実際、都立国際のDP学生からは「地獄のような2年間だった」という声も多く聞かれます。 英語メインの授業、批判的思考、毎日のように重なるテスト。いろんな要因が複合しているのでしょうが、根本的な問題は「自分で問いを立て、自分で答えを探す」ことに慈れていないことだと感じます。 MYPの5年間が、すべての土台になる 今、娘はMYP(中学に相当する5年間)に通っています。実感として、この5年間があるかないかで、DPへの対応力がまるで違います。 MYPの1年目から、毎週のように重要なテストが実施されます。ボランティア活動も課せられる。2言語、場合によっては3言語での学習が求められる。そして最終学年には「パーソナルプロジェクト」という集大成が待っています。自分の関心があるテーマを選び、1年かけて調査・研究を行い、最終成果物を制作する。論文、アート作品、ビジネス計画、実験、Webサイト等々、形式は自由です。 つまりMYPの5年間で、「自分で問いを立て、自分で探究し、自分で完結させる」力を少しずつ熟成していく。その土台がないままDPに飛び込むのは、正直に言うと、地獄に突進するようなものだと感じます。 日本のIB校に望むこと 当時は数校しかなかったMYP校も、現在は47校にまで増えました。DP校は79校。公立のMYP校も出てきているのは、素晴らしいことです。 でも、MYP校がDP校より少ないという現状は気になります。先ほど書いた通り、MYPの土台なしにDPに入るのは非常にチャレンジングです。どちらもどんどん増えていくことを、切に望みます。 それでも、IBだけでは解決しない問題 IBを選んだことに後悔はありません。娘の成長を見ていて、この選択は正しかったと思っています。 でも、海外のIB校に通わせたからこそ見えてきた問題があります。それは「母語」の問題です。 海外に出ればバイリンガルになれる、というのは幻想でした。その話は次回、詳しく書きます。

評価される日本、ロジカルシンキングクラス

2026年3月16日

それでも評価される日本、世界との融合

前回まで、日本の企業文化や教育が抱える構造的な問題について書いてきました。夕方5時のオフィス、コンビニ前のパトロール、FAX。正直、悲観的な話が続いたと思います。 でも今回は、逆の話をします。 オランダに来て、「日本ってすごいんだ」と大きく見方が変わった出来事が3つありました。 ① 80カ国が並んだ文化祭で起きたこと 娘が通う学校では、年に一回「International Day」と銘打った文化祭が開催されます。80カ国以上の家庭が在籍するこの学校で、各国がブースを出す。条件は全く同じ。お金があるから大きなブースを出せるわけではありません。 で、いざ始まってみると、面白いことがわかりました。 ほとんどの国のブースには、人が寄りつかない。出し物が食べ物なのか何なのかすらわからないブースも多い。イタリア、フランス、韓国、中国は食べ物が知られているので、それなりに人が集まる。 でも、日本は圧倒的に別格でした。 ほぼ全員が寿司を知っている。しかもカッパ巻きがビーガンに対応していることまで認識されている。さらにそこに漫画や着物といったカルチャーを組み合わせると、とんでもない爆発力を発揮する。行列が途切れることがありませんでした。 80カ国が同じ条件で並んだとき、日本は唯一無二の存在だった。これは世界のどこで開催しても同じ結果になると思います。食、カルチャー、サービスの質。これらが複合的に重なって、日本というブランドは他の追随を許さない。 ② 片手間で始めた日本語クラスが、とんでもないバズり方をした 私の教室は、読書の教室とロジカルシンキングクラスが本業です。ただ、授業は夕方のみ。朝から夕方までのアイドルタイムを埋めるために、片手間で日本語クラスを始めました。 ところが、これがとんでもないバズり方をしたのです。 理由は人それぞれ。仕事で日本語が必要な人、日本映画が好きな人、台湾旅行の予定だったのに大阪でダイバートして、その滞在が感動的だったから日本語を学びたくなった人。理由の多様さに驚きました。 しかも、トライアル価格から50%値上げしても、誰も辞めない。 日本語への需要が、私が想像していたよりもはるかに大きかったのです。日本という国への興味と憧れは、ヨーロッパでは確実に高まっています。 ③ グロービスの登壇で目の当たりにした、日本的経営への関心 3つ目は、グロービスのイベントでの経験です。 「ヨーロッパは日本的経営から何を学べるか」というトピックで、ヨーロッパ各地の会場で登壇しました。どの会場も数百人の応募。カルチャーだけでなく、ビジネスの領域でも日本への関心が非常に高いことを目の当たりにしました。 しかも、そのセッションを通して改めて知った事実があります。 200年以上存続している企業の半数は、日本にあるということ。 これは衝撃的でした。世界中のどの国よりも、日本企業は「続ける」ことに長けている。 「今」か「100年」か——価値基準の違い この事実を知って、前回まで書いてきた「日本の遅さ」が、少し違って見えてきました。 欧米社会は「今」を基準に価値判断をしている。四半期決算、短期のKPI、スピード重視。一方で日本的経営は、「100年継続できるか」という時間軸で意思決定しているのではないか。 あの慎重すぎるとも言える稟議書文化も、前例主義も、もしかしたら「100年続けるための仕組み」として機能している面があるのかもしれない。 もちろん、それだけでは現代のグローバル競争を戦えない。だからこそ、「日本の強み」と「世界のスピード」の両方を持つ人材が必要なのだと思います。 子どもたちへ伝えたいこと 日本には、世界から評価される強みがある。食もカルチャーも、ものづくりの精神も、企業を100年単位で守り続ける力も。 でも同時に、その強みに安住しているだけでは世界とは戦えない。 日本の強みを活かしつつ、弱みを乗り越える力。既存の枠組みを疑い、新しい問いを立て、自分の言葉で考えを伝える力。それがロジカルシンキングだと私は考えています。 子どもたちへの教育を通しながら、「日本の強みと世界の融合」をどう実現するか。これは私自身が考え続けていきたい問いでもあります。

変わらない日本への絶望感、ロジカルシンキングクラス

2026年3月14日

変わらない日本への絶望感。私が見た日本の現実

前回、ロジカルシンキング教室を始めたきっかけについて書きました。今回は、その背景にある「日本社会の構造的な問題」について、私が海外で目の当たりにしてきた4つのエピソードをお伝えします。 どれも、日本の教育が育てている「考え方の型」が、社会や企業文化にどう影響しているかを示す例だと感じています。 ① 夕方5時、オフィスに誰もいなかった ニュージーランド政府での初出勤の日。日本の感覚そのままに、夕方5時を過ぎて「さあ、ここからが本当の仕事だ」と机に向かうとしたら、オフィスには一人を除いて誰も残っていませんでした。 唯一残っていた同僚SAMは、半日ほど時差のあるイギリスとのミーティングのために残っていたのですが、彼は「I'm a loser」とつぶやいていました。「勤務時間内に収められないのは、仕事ができないということだ」と。 日本では「会社に長くいること」が評価され、会議は1時間単位で発言するのは上長のみ。その背景には、個人の生産性より組織への忠誠心を評価する終身雇用・年功序列の仕組みがあります。これは「正解を疑わない」教育の延長線上にあると感じました。 因みに、ニュージーランドでは定時解散が原則。会議は15分単位で全員発言。発言しない=何も考えていない=仕事ができない、の構図でした。 ② 上海ではドアを出た瞬間に始まっていた その後に務めたニュージーランド航空時代、日本支社長と共に日本の大手旅行会社を訪問しました。販促キャンペーンを提案したものの、先方の社長は「部長と担当に任せる」と通訳を通して一言。大きな議論もなく会議は終了。 同じ提案を上海でしたときは、実務担当者がその場でアイディアを出し合い、英語で白熱した議論を行い、ドアを出た瞬間から実行に移されていたそうです。 「Kenya、日本は大丈夫か?上海はすでに結果が出始めている。日本はまだ何も動いていないじゃないか」。 日本支社長の一言が、私の心をえぐりました。 その背景には「稟議書文化」と「前例主義」があります。「新しいことをやる前に全員の合意を得る」という仕組み。これもまた、「正解を確認してから動く」教育の延長線です。 ③ コンビニ前のパトロール 日本を代表する光学機器メーカーの本社。約3,000人が勤務するそのビルでは、勤務時間中にコンビニに行くことが禁止されており、人事担当者がビル周辺をパトロールしていました。 「なぜここまで厳しくするのですか?」と尋ねたら、「会社のルールは一番下の人に合わせないと、必ず悪用する人が出てくるからです」と。 グローバル企業では「社員を信頼し、例外的に違反した場合だけ処罰する」という発想が多い。日本では「人は必ず悪用する」という前提からスタートする。これも「ルールを守ることが正解」という教育の結果だと感じます。 ④ FAXという名の博物館展示品 東京で仕事をしていた際、海外から出張者が来ると必ず見せるものがありました。FAXマシーンです。 かつてテクノロジー大国と呼ばれた日本が、本来は博物館に置かれていてももおかしくないデバイスをいまだに日常的に使っている。 方や、私が住んでいたデンマークでは行政から医療まで全てデジタル化され、右手を骨折したときの私のカルテは、いつどの病院でどのような処置がされ、どの薬が処方されたかスマホで確認ができます。 日本の友人にこの話をすると、必ず否定的な反応が返ってくる。 「高齢者には使えない」 「セキュリティが心配」 その根底には「安心=変えないこと」という価値観がある。これもまた、「現状維持が正解」という教育の結果です。 これらに共通するもの 4つのエピソードに共通しているのは、「正解を疑わない」「前例に従う」「変化を避ける」という思考の型です。そしてそれは、日本の「○×教育」が育てたものだと私は感じています。 もちろん、日本の教育や企業文化には強みもあります。その話は次回詳しく書きます。でも、これらの構造的な問題が「なぜ子どもにロジカルシンキング教育が必要なのか」の答えでもあるのです。 「正解を疑う力」 「前例のないことに挑む力」 「変化を恐れずに考える力」 これらを子どものうちに育てることが、私が教室で目指していることです。

日本の教育の限界から学んだSakura国語のワークショップが目指すもの

2026年3月13日

日本の教育の限界から学んだ、私の教室が目指すもの

前回、ニュージーランド航空でのブレインストーミングで一言も発することができなかった経験を書きました。あの経験以来、「日本の教育が育てているもの」と「育てていないもの」について、ずっと考え続けていました。 そしてその問いは、その当時幼稚園児であった自分の娘の教育をどうするかという、親としての切実な問題でもありました。詰め込み式の教育ではない、「考える力」を育てる教育を娘に与えたかった。でも、具体的にどうすればいいのかが見えていませんでした。 旅行先で出会った、ある記事 転機になったのは、2023年のある旅行先で読んだ一本の記事でした。 その記事では、日本の教育制度の問題点が指摘されていました。日本の大学卒のほとんどが「ロジカルシンキングができない」という指摘。受験システムが記憶力と反射神経を試すものであり、「記憶しなさい」は「考えるな」と言っているのに等しいという主張。 そして、世の中のほとんどのことには「絶対的な正解」など存在しないのに、日本の教育は常に正解を前提に試験をしているという指摘。 読んだ瞬間、頭の中ですべてがつながりました。 NZ航空のブレストで一言も発することができなかった自分。過去の事例からしかアイディアを生み出せなかった自分。それはまさに、「正解を探す教育」で育った結果だったのです。 ○×だけの世界ではない。過去の経験だけでは正解を導き出せない。正解のない答えを探すことが必要なのだと。 そして、それを自分の娘にも、同じ悩みを持つ他の日本人の子どもたちにも伝えたい。そう思ったのが、教室を開けるきっかけでした。 「正解のない問いを探す旅」 2024年10月、オランダのハーグで「ロジカルシンキング教室」(旧ディベート教室)を開講しました。 ディベートを通じて、「考える力」「伝える力」「聴く力」を育てる。言い負かすのではなく、相手の意見にも耳を傾けながら、自分の考えを論理的に組み立てて話す経験。それが、日本の教育では得られない「正解のない問いを探す旅」です。 現在はハーグの対面教室での実績をもとに、オンラインクラスとしてヨーロッパ全土に展開しています。ロンドン、パリ、デュッセルドルフ、ベルリン、アムステルダムなど、ヨーロッパ各地から参加可能です。 無視できない現実として受験対策があるのも重々承知しています。でも、折角ヨーロッパに滞在されているのであれば、日本の型にハマらない教育の刺激を受けてみませんか?

日本の教育システムの限界・ロジカルシンキングクラス

2026年3月12日

私が感じた日本の教育システムの限界 – ブレストで一言も発することができなかった日

オランダのハーグで、日本人のお子さまを対象にした、日本語でのロジカルシンキング・クリティカルシンキングに重心を置いた国語の教室を開催している入江と申します。 2024年6月に、ある記事との出会いをきっかけに教室を開講しました。その記事の話は次回で詳しく書きますが、まずはその原点となった経験からお話しさせてください。 しばらくの間、なぜ私がオランダで教室を開催しているのか、自分の子どもの教育も含めて、どこを目指しているのかなどのお話しをさせていただければと思います。   会議室に閉じ込められた2時間 ニュージーランド航空で働いていたときのことです。会議室に閉じ込められ、2時間ぶっ通しでブレインストーミングを行う場に参加しました。 課題解決のために集まったメンバーは、ニュージーランド、カナダ、日本、南アフリカ、ケニア、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、エクアドルなど多国籍。ニュージーランドのナショナルフラッグキャリアでありながら、NZ人はむしろマイノリティという、日本では考えにくい光景でした。 ブレストが始まると、まだ二十歳そこそこのアゼルバイジャンやウズベキスタン出身の若者が、次々に突拍子もないアイディアを出し始めました。私は最年長でキャリアも長く、正直「そんなことできるはずがない」と斜に構えていました。 ところが、周囲がその突飛なアイディアを否定せず、真剣に議論していくうちに、不思議なことが起きました。最初は現実味がないと思えたアイディアが、議論を通じてどんどん具体性を帯び、最終的には私が1ミリも想像できなかった現実的な解決策に落ちていったのです。 私はその光景に圧倒され、大きなショックを受け、一言も発することができませんでした。 なぜなら、自分が出すアイディアはすべて過去の成功体験や事例からしか生まれていないことに気づいたからです。私は過去の事例が唯一の価値判断基準になっていた。 一方で、教育背景すらわからない若者たちはゼロベースで考え、自由に発想し、それを誰も否定せずに育てていく。結果として、私の想像を超える施策が生まれたのです。 「正解か不正解か」の教育が奠ったもの この経験を通じて、日本の教育の特徴を痛感しました。 日本の学校教育では、常に正解か不正解か、◎か×かで点数がつけられる。そして高得点を取る者が優秀とされる社会。その仕組みは「正しい答え」を導く力は育てても、ゼロから問いを立て、突拍子もない発想を試す力を育てることは難しい。 日本の教育は、基礎学力の底上げや画一的な技術力育成に強みがあります。その結果、日本人は一定以上の水準を安定して保ち、緋密で正確な仕事を得意とする。 でも一方で、正解探しに偏るがゆえに、自ら考え、未知の課題に挑む姿勢を育みにくい。ゼネラリストは育っても、創造性や専門性で突出する人材は生まれにくいのです。 日本の子どもたちは、このような自由な発想と行動力を持つ世界の若者たちと本当に戦えるのか。日本の教育や、それに基づく人材育成システムは、このまま世界で通用するのか。 これは私自身に突きつけられた大きな問いでした。そして同時に、自分の娘にどんな教育を与えるべきかという、親としての問いでもありました。 次回は、この経験から生まれた「ロジカルシンキング教室」についてお話ししたいと思います。 旅行先で読んだある記事が、教室を開ける大きなきっかけになりました。

海外の子どもにとって「家庭外で話すこと」が大切な理由

2025年9月19日

海外の子どもにとって「家庭外で話すこと」が大切な理由

海外で暮らすご家庭からよく耳にするのが、「家では日本語を話しているけれど、外ではほとんど使わない」というお悩みです。確かに、海外に住む子どもたちは 家庭内=日本語、家庭外=現地語や英語 という使い分けが自然と身についていきます。家庭での日本語は安心感のある言葉として定着しやすい一方で、家庭外で使う機会が少ないと「限られた語彙・表現」にとどまってしまうリスクがあります。 家族以外との会話で「言葉の幅」が広がる 家の中ではどうしても同じ言い回しや限られた語彙が中心になります。「ご飯食べた?」「宿題やった?」など、日常的なやり取りは大事ですが、子どもの言葉の世界を大きく広げるには不十分です。友だちや先生と話すことで、はじめて自分の言葉を組み立てる力が鍛えられます。 正式な場面で使う日本語を学ぶ 家庭外での日本語の経験は、単なる日常会話だけではなく、「発表する」「意見を述べる」「相手を説得する」といった フォーマルな日本語を学ぶきっかけにもなります。特にディベートやグループ活動では、正しい言葉遣いや論理的な話し方が自然と身につきます。これは将来の面接や小論文、探究学習にもつながる大切な力です。 自信と自己表現力につながる 家庭の外で自分の言葉を伝えられるようになると、子どもは大きな自信を得ます。「言いたいことが通じた!」という経験が積み重なることで、言葉を選ぶ楽しさや、考えを形にする力が伸びていきます。これは単なる言語スキルにとどまらず、自己表現力や主体性にも直結します。 日本語会話力を伸ばす具体的な例 家庭外で日本語を使う場をつくる方法は、実は身近にあります。例えば: ディベートや読書会:同世代とテーマを決めて話し合うことで、語彙や表現が一気に広がります。 オンラインの日本語コミュニティ:時差を越えて世界中の子どもとつながり、共通のテーマで日本語を使えます。 現地の日本人補習校や課外活動:発表会や文化イベントなど、人前で日本語を使う場が増えます。 趣味の活動(ピアノ、空手など)を日本語で:好きなことを日本語で話すと、言葉がぐっと自然になります。 こうした場を通じて「日本語を使うのが楽しい」と思える経験を積むことが、長く続ける秘訣です。 最後に 海外で暮らす子どもにとって、日本語は「家族との絆の言葉」であると同時に、「未来につながる学びの言葉」でもあります。家庭外で日本語を話す機会を持つことは、語彙を広げ、正しい表現を学び、自信を育むための大切なステップです。もし「日本語を話す場が足りないかも…」と感じたら、ディベートや補習校、日本語での習い事など、子どもが楽しく続けられる方法をぜひ取り入れてみてください。その一歩が、お子さまの言葉の世界を大きく広げてくれるはずです。

海外で国語力を育てるために親ができること

2025年8月28日

海外で国語力を育てるために親ができること

海外で暮らす子どもたちは、日本語に触れる量が圧倒的に不足しています。 インターナショナルスクールや現地校では英語や現地語が中心となり、日本語は家庭内に限られてしまう。 結果として、語彙が伸びず、表現が貧弱になり、文章を理解する力が弱まっていく危険性があります。 この「読解力の欠如」は国語だけの問題ではありません。 数学や理科、社会でも「問題文の意味が理解できない」ために正しく答えられない。さらに言えば、将来の情報処理力や思考力そのものが損なわれるリスクに直結します。 補習校や学習塾でさえ、週に数時間ではこの不足を埋めることはできません。 そのまま放置すれば、母語としての日本語が十分に育たないまま思春期を迎え、取り返しのつかない差が生まれることも珍しくないのです。 では、親ができることは何でしょうか。 毎日の読書習慣をつくる:語彙・表現の幅を広げる最も基本で確実な方法です。 読んだ内容を語らせる:理解を深め、思考を言葉にする力を鍛えます。 質の高い日本語で会話する:「なぜ?」「どう思う?」と問いかける習慣が、思考力の芯を育てます。 家庭外の日本語環境を確保する:Sakura国語のワークショップや補習校など、家庭だけでは得られない刺激を加えることが不可欠です。 危機はすでに始まっています。 放っておけば日本語の基盤は確実に弱まり、その影響は全教科、そして将来の学びや社会生活にまで広がっていきます。 だからこそ、いま親が意識して環境を整えることが欠かせません。 Sakura国語のワークショップは、その努力を支える場として、子どもたちの「読む・考える・伝える力」を根本から鍛えていきます。

塾とSakuraの違い

2025年8月21日

国語のワークショップは学習塾とは何が異なるのか

海外に住むご家庭の中には、オンラインや帰国時に日本の学習塾を利用する方も少なくありません。 しかし、学習塾とSakura国語のワークショップでは目指すものがまったく異なります。 学習塾の役割 学習塾は「テストで点数を上げること」を目的にしています。 つまり、あらかじめ用意された正解にたどり着くための技術を身につける場です。 問題を解くテクニックを習得し、正答率を上げることがゴールになります。 Sakura国語のワークショップの役割 一方、Sakura国語のワークショップが育てたいのは、正解がひとつに定まらない問いに、自分の力で向き合う姿勢です。 - 文章を深く読み取る - そこから情景や意図を想像する - 自分なりの考えを整理し、表現する このプロセスを繰り返すことで、「答えを探す力」そのものが育ちます。 どちらが子どもの未来に直結するか 現代社会で求められているのは、用意された正解を選ぶ力ではなく、複雑で不確実な状況から意味を読み取り、自分の判断で行動できる力です。 読解力はその土台となる力です。 Sakura国語のワークショップは、テスト対策のための短期的な成果ではなく、子どもたちが未来を生き抜くための「思考力の基盤」を築く場を目指しています。