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母語での読書は、なぜ海外の子どもに必要なのか

September 1, 2026

母語での読書は、なぜ海外の子どもに必要なのか

日本語を「維持する」ためではなく、日本語で考える力を成長させるために

前回の記事では、海外で失われやすい日本語は漢字だけではない、という話を書きました。

  • 「ちょろちょろ」と「ざぶざぶ」。
  • 「悲しい」と「切ない」。
  • 「見る」と「見つめる」。

日本で生活していれば、子どもたちは学校だけでなく、友達、先生、祖父母、テレビ、街の中の会話などから、実にさまざまな日本語を吸収していきます。しかし海外で生活すると、その環境が大きく変わります。

  • 家庭では日本語を話している。
  • 日本のYouTubeも見ている。
  • 祖父母とも日本語で話している。
  • だから、日本語は大丈夫。

そう見えるお子さまでも、年齢が上がるにつれて日本語の語彙や読解力に差が出てくることがあります。では、日本に住んでいない子どもに、どうすれば年齢相応の日本語を与え続けることができるのでしょうか。

その一つの大きな答えが、読書です。ただし私は、読書を

  • 「漢字を覚えるため」
  • 「国語の成績を上げるため」
  • 「日本語を忘れないため」

だけのものだとは考えていません。

海外で育つ子どもにとって読書には、もっと重要な役割があります。それは、日本語で考える力そのものを、本人の年齢と一緒に成長させ続けることです。


家庭で話す日本語には、どうしても限界がある

海外在住のご家庭から、「家ではずっと日本語なので、日本語には毎日触れています」というお話をよく聞きます。もちろん、これはとても重要なことです。

家庭で日本語を使わなくなれば、日本語への接触量はさらに少なくなります。ただ、少し別の角度から考えてみましょう。昨日一日、家庭でどんな会話をしたでしょうか。

  • 「朝ごはん食べる?」
  • 「今日何時に帰ってくる?」
  • 「宿題やった?」
  • 「学校どうだった?」
  • 「早くお風呂に入って」
  • 「明日の準備した?」

もちろん、これだけではありません。でも家庭での会話の多くは、生活を成立させるための会話です。しかも親子ですから、すべてを言葉で説明しなくても通じます。

子どもが、「今日さ、あの子がまたあれやって、それで先生に怒られてた」と言えば、親は普段の学校の話を知っているので、「ああ、○○君のことね」と理解できます。

しかし、文章ではそうはいきません。書き手は読み手のことを知りません。読み手も書き手の状況を知りません。だから文章では、

  • 誰が、
  • どこで、
  • 何をして、
  • なぜそうなり、
  • 何を感じ、
  • 何が起こったのか、

言葉を使って構築する必要があります。つまり、読書をするということは、家庭内の「分かり合っている人同士の日本語」とは違う種類の日本語に触れることでもあります。

家庭で話す日本語には限界がある|Sakura国語のワークショップ

本の中には、家庭で使わない言葉が大量に出てくる

例えば、小学生向けの物語を読んでいると、

  • 「ためらう」
  • 「見当をつける」
  • 「気配を感じる」
  • 「呆れる」
  • 「気まずい」
  • 「意地を張る」
  • 「納得する」
  • 「戸惑う」
  • 「慎重に」
  • 「思いがけず」

といった言葉が普通に出てきます。これらを、家庭で毎日のように使っているでしょうか。おそらく、それほど頻繁には使いません。

さらに年齢が上がれば、

  • 「主張」
  • 「根拠」
  • 「傾向」
  • 「背景」
  • 「影響」
  • 「対照的」
  • 「一方で」
  • 「つまり」
  • 「必ずしも」
  • 「~にもかかわらず」

といった、説明や論理を組み立てるための言葉も増えていきます。こうした言葉は、日常会話だけではなかなか大量に入ってきません。しかし、本を読めば何度も出会います。

そして大切なのは、言葉を単独ではなく、文脈の中で出会えることです。


読書では、知らない言葉を「前後から考える」

例えば本の中に、「おっこは一瞬ためらったが、思い切って扉を開けた」という文章があったとします。「ためらう」という言葉を知らなくても、

  • 「一瞬」
  • 「しかし」
  • 「思い切って扉を開けた」

という前後の情報から、「すぐには行動できなかったのかな」、「やろうか、やめようか迷った感じかな」と推測できます。これが読書の非常に重要なところです。

  • 知らない言葉が出る。
  • 前後を読む。
  • 意味を予想する。
  • 読み進める。
  • 別の本で、またその言葉に出会う。
  • 少しずつ意味がはっきりしてくる。

こうして語彙は増えていきます。

読書中に未知語の意味を偶発的に学習できることは、以前から研究でも確認されています。20の実験研究をまとめたメタ分析でも、通常の読書の中で未知語の一部が学習されることが示されています。もちろん、一度目にしただけですべて覚えるわけではなく、複数回・複数の文脈で出会うことが重要です。

読書で知らないことばを推察する|Sakura国語のワークショップ

語彙が増えると、文章が読める。文章が読めると、さらに語彙が増える

読書には、ある意味で「好循環」があります。

  • 知っている言葉が多い子どもほど、文章を理解しやすくなります。
  • 文章を理解できると、本を読むことが苦痛ではなくなります。
  • 本を読む量が増えると、さらに知らない言葉に出会います。
  • その言葉を覚えることで、さらに難しい文章が読めるようになります。

逆も起こります。

  • 知らない言葉が多すぎる。
  • 文章が分からない。
  • 読んでも面白くない。
  • だから読まない。
  • 読まないので、語彙が増えない。
  • ますます同年代向けの本が難しくなる。

この差は、低学年では小さく見えても、何年も続けば大きくなっていきます。

読書への接触量と、語彙・読解力・読み書き能力には関連があることが、多くの研究で報告されています。乳幼児から大学生までの99研究、7,669人を対象にしたメタ分析でも、読書への接触量と読解力・読み書き能力の間に中程度から強い関連が確認されています。研究者は、読めるから読む、読むからさらに読めるようになる、という相互的な「上向きの循環」を指摘しています。


海外で育つ子どもには、この循環が日本語で起こりにくい

日本で暮らしている子どもなら、日本語を読まない日でも大量の日本語に囲まれています。

  • 学校のプリント
  • 教科書
  • 駅の看板
  • テレビ
  • 図書館
  • 商品パッケージ
  • 友達からのメッセージ
  • 先生が黒板に書く文章
  • 社会科の資料
  • 理科の問題

つまり、本人が「今日は読書をしよう」と思わなくても、日本語の文字を大量に目にします。海外では、この環境がありません。

  • 学校の教科書は英語
  • 先生からのメールも英語
  • 道路標識も英語や現地語
  • 図書館へ行っても英語
  • 友達とのチャットも英語
  • インターネット検索も英語

日本語を家庭で話していたとしても、「日本語を読む量」は圧倒的に少なくなります。ここがとても重要です。会話を続けていれば、日本語が完全になくなるわけではありません。しかし、話せる日本語と、読める日本語の差が少しずつ広がっていくことがあります。

語彙が増えると文章が読め、文章が読めると語彙が増える|Sakura国語のワークショップ

「日本語は話せるのに、日本語の本を読めない」

海外で育つお子さまには、こんなことがあります。

  • 日本語で普通に会話している。
  • 日本のアニメも理解している。
  • 日本の祖父母とも問題なく話している。

ところが、日本の同年代向けの本を渡すと、

  • 「難しい」
  • 「意味が分からない」
  • 「読みたくない」

となる。

親から見ると不思議です。「こんなに日本語を話せるのに、なぜ?」でも、これは不思議ではありません。会話では、表情があり、声のトーンがあり、ジェスチャーがあり、聞き返すこともできます。相手が言い換えてくれることもあります。多少聞き逃しても、会話は続きます。文章には、それがありません。

文字だけから誰が何をしているのか、言葉の意味は何か、前の段落とどうつながっているのか、筆者が何を言いたいのかを自分で組み立てなければなりません。

つまり読書には、会話とは違う種類の日本語力が必要なのです。


読書は、語彙だけを増やしているわけではない

私は読書の価値を、「語彙が増える」だけで説明するのも不十分だと思っています。本を読むと、文章の構造にも繰り返し触れます。

  • 「なぜなら」
  • 「ところが」
  • 「一方で」
  • 「そのため」
  • 「つまり」
  • 「例えば」
  • 「にもかかわらず」

こうした言葉を理解すると、文章の中で、

  • 何が原因なのか。
  • 何が結果なのか。
  • どこから反対意見なのか。
  • どれが具体例なのか。
  • 何をまとめているのか。

が見えるようになります。以前の記事で、小学校高学年から中学生にかけて、「原因と結果」、「意見と根拠」、「具体と抽象」、といった関係を理解することが重要になるという話を書きました。こうした思考を支えているのも、言葉です。

読書をするということは、単にストーリーを楽しむだけではなく、他人がどのように情報を整理し、考えを組み立て、それを言葉にしているのかを大量に見ることでもあります。読解力についてNational Reading Panelも、語彙は読解に重要な役割を持ち、読解は読み手が文章と能動的に関わる複雑な認知過程だと整理しています。

読書で具体と抽象を理解する|Sakura国語のワークショップ

物語を読むことにも、大きな意味がある

「思考力を伸ばすなら、説明文や論説文を読ませた方がいいのでは?」と思うかもしれません。もちろん、それらも大切です。でも、物語にも非常に重要な役割があります。物語を読むと、

  • 主人公は何を考えているのか。
  • なぜこんな行動をしたのか。
  • この人は本当は怒っているのか、悲しいのか。
  • なぜ二人はすれ違っているのか。
  • 次に何が起こりそうなのか。
  • 自分だったらどうするのか。

といったことを考えます。しかも、物語には自分の家庭にはいない人が登場します。

  • 自分とは違う年齢。
  • 違う性格。
  • 違う家族。
  • 違う時代。
  • 違う価値観。
  • 違う境遇。

一冊の本を読むということは、自分とは違う人間の頭の中を想像でふくらませながら、日本語で追体験することでもあります。海外で暮らしている子どもにとって、これは特に大きな意味があります。家庭内だけでは出会えない日本語と、家庭内だけでは出会えない考え方を、同時に経験できるからです。


日本語を継承する子どもの研究でも「Literacy」が重要な要素として出てくる

前回も紹介した、日本語を継承語として育てている427人を対象とした研究があります。この研究では、日本語環境で育つ子どもと比較しながら、何が継承語としての日本語発達の個人差と関係しているのかを分析しています。

その中で、家庭での日本語だけではなく、学校、地域社会、日本への滞在、そして、読書・作文・宿題などの日本語によるLiteracy活動が独立した言語経験の要素として分析されています。研究では、日本への滞在経験が語彙得点を予測し、日本への滞在とLiteracyの双方が、より広い意味での日本語能力を予測していました。これは、海外で日本語を育てるうえで、とても示唆的だと思います。

単に、「家庭で日本語を話しているか」だけではない。日本語を使って読んだり、書いたりする経験があるか。そこまで考える必要があるということです。


ただし、「本を渡しておけばいい」わけでもない

ここは、とても大切です。「読書が重要」と書くと、では日本から本をたくさん買って、「毎日30分読みなさい」と言えばいいのか。という話になります。私は、そうは思いません。

読書研究でも、単に子どもに自主的な黙読を大量にさせれば、それだけで必ず読解力が上がる、と単純に因果関係を言えるわけではありません。

National Reading Panelも、独立した黙読だけを読書指導として用いることについては、十分な因果的エビデンスがないとして慎重な評価をしています。一方で、語彙指導、文章理解の方略、ガイド付きの音読などについては効果を示す研究があります。

つまり、読書は魔法ではありません。本人がほとんど理解できない本を与えて、「とにかく読みなさい」と言っても、効果的とは限りません。むしろ本嫌いになる可能性があります。

本を渡しておくだけだけではいけない日本語教育|Sakura国語のワークショップ

大切なのは「少しだけ難しい本」を読むこと

海外で日本語の読書を続けるうえで、私が特に重要だと思うのは、その子に合った本を選ぶことです。

簡単すぎる本では、新しい言葉にあまり出会いません。難しすぎる本では、分からない言葉だらけになり、内容を楽しめません。

  • 大部分は理解できる。
  • でも、ときどき知らない言葉が出てくる。
  • 前後を読めば、何となく意味を予想できる。
  • ストーリーの続きが気になるので、そのまま読みたくなる。

このくらいの負荷が理想的です。

そして、分からない言葉が出るたびに読書を止めて辞書を引かせる必要もありません。

  • 重要な言葉なら一緒に考える。
  • 前後から予想させる。
  • 何度も出てきたら確認する。
  • 場合によっては、そのまま読み進める。

読書を、「知らない言葉を全部覚える作業」にしないことも大切です。


音読や読み聞かせは、何歳まで?

「もう小学5年生なので、読み聞かせは卒業ですよね」と聞かれることがあります。必ずしもそうではないと感じます。自分一人では読むのが難しい本でも、大人が読めば理解できることがあります。つまり、読む力より、聞いて理解する力の方が高い時期があります。

特に海外で育ち、会話の日本語は比較的強いけれど、漢字や日本語を読むことには慣れていない子どもには、大人が読んであげる、交代で読む、オーディオブックを使う、音声を聞きながら文字を追うという方法も使えます。

ただし、日本語の文字を読む力を伸ばしたいのであれば、音声だけで終わらせず、少しずつ実際の文章にも触れることが重要です。


「読んだ後に問題を解く」ことだけが読解ではない

日本の国語教育というと、文章を読んで、問題を解いて、答え合わせをするというイメージを持つ方も多いと思います。

もちろん読解問題にも役割があります。でも家庭での読書なら、もっと自由でいいと思います。例えば、

  • 「どの人が一番好き?」
  • 「なんでこの子、こんなこと言ったと思う?」
  • 「このあと、どうなると思う?」
  • 「もし自分だったらどうする?」
  • 「この人、本当は怒ってるのかな?」
  • 「今日出てきた『気まずい』って、どういう感じ?」

こんな会話で十分です。大切なのは正解することではなく、本の中で起きていることを、日本語で考え、想像をふくらませ、日本語で説明すること。です。これを続けていくと、読書が単なるインプットではなく、

  • 読む。
  • 考える。
  • 話す。
  • 言葉を知る。
  • また読む。

という循環になります。

幼児期の研究ではありますが、子どもを会話に参加させながら本を読む「dialogic reading」は、通常の読み聞かせと比べて表出語彙の発達にプラスの効果を示したメタ分析もあります。

読んだ後の問題を解くことだけが読解ではない|Sakura国語のワークショップ

「日本語と英語、両方読ませなければ」と考えすぎなくてもいい

海外のご家庭には、もう一つ時間という大きな悩みがあります。

  • 学校の宿題は英語。
  • 英語の本も読まなければならない。
  • 日本語の漢字もある。
  • 日本語の本も読ませたい。
  • サッカークラブもある。
  • ピアノもある。
  • チェスも始めたい。
  • お友だちとのスリープオーバーもある。

全部やろうとすると、子どもも親も疲れてしまいます。ここで一度考えたいのは、最終的に何を目指しているのかではないでしょうか。

私は、まず一つの言語であっても、年齢相応の本を読み、複雑なことを理解し、考え、説明できる力を育てることが非常に重要だと思っています。

英語でも日本語でも、簡単な文章しか読まない状態にするより、一つの言語でしっかり深く読める状態をつくる。その上で、もう一つの言語もできる限り育てていく。家庭の進路や帰国予定によって、どちらにどれだけ時間を使うかは変わります。

ただし、将来日本へ帰国する可能性があるのであれば、日本語の読書を何年間も完全に止めてしまうことには慎重であってほしいと思います。会話だけでは、後から「読むための日本語」を取り戻すのに大きな負荷がかかることがあるからです。


日本語の読書は「国語の勉強」ではない

海外にいると、日本語の本を読むことが、「日本語の勉強」になってしまいがちです。でも日本に住んでいる子どもにとって、読書は必ずしも「国語の勉強」ではありません。

  • 面白いから読む。
  • 続きが知りたいから読む。
  • 好きなキャラクターがいるから読む。
  • 怖い話が好きだから読む。
  • 恐竜について知りたいから読む。
  • スポーツ選手について知りたいから読む。

海外にいる子どもにも、できるだけこの状態を作ってあげたいと思います。「日本語維持のために読ませる」だけになってしまうと、本人にとって読書は義務になります。

でも、本の内容そのものが面白いから、結果として日本語を大量に読む。この状態が作れれば、とても強いです。そのためには親が読ませたい本ではなく、本人が読みたい本を見つけることも非常に重要です。

物語でなくても構いません。スポーツや動物、伝記やミステリーなど、本人が日本語でページをめくりたくなるものから始めればいいと思います。


海外での読書は、日本語環境を「人工的につくる」こと

日本にいれば、日本語は勝手に周りから入ってきます。海外では、それをある程度意識的につくらなければなりません。読書は、そのための非常に効率的な方法です。一冊の本を開けば、

  • 知らない人が話しています。
  • 知らない場所があります。
  • 知らない感情があります。
  • 知らない出来事があります。
  • 知らない言葉があります。
  • そして、それらすべてを日本語で経験できます。

つまり読書は、海外の日常では足りなくなった日本語環境を、本の中につくることでもあります。だから私は、海外で日本語を育てるうえで、「漢字を何文字覚えたか」だけではなく、「今、この子は日本語で何を読んでいるだろう?」ということを、とても重要な指標だと考えています。


子どもの年齢が上がるなら、読む日本語も一緒に成長させる

以前の記事でも書きましたが、小学2年生で身につけた日本語を、そのまま維持するだけでは小学6年生の日本語にはなりません。同じように、小学2年生向けの本を読み続けているだけでは、12歳、15歳になったときに必要な日本語にはなかなか届きません。

子どもが成長する、興味が変わる、考えることが複雑になる、それに合わせて、絵本から児童書へ、物語から説明文へと、読んでいる文章も少しずつ変えていく必要があります。

そして、ニュース、伝記、歴史、科学、意見文へ展開していくことにより、本人の成長と一緒に、読む日本語の世界も広げていく。これが海外での日本語教育において、とても重要だと思います。


「日本語を忘れないため」から、「日本語で成長するため」へ

海外在住のご家庭では、「日本語を忘れさせたくない」という言葉をよく聞きます。もちろん、それは大切です。でも私は、もう一歩先を考えてほしいと思っています。

忘れないだけではなく、8歳なら8歳の日本語、12歳なら12歳の日本語と、日本語も本人と一緒に成長させる。そのために、家庭での会話だけでは得にくい日本語を届ける。読書には、その役割があります。

  • 語彙を増やす。
  • 文章を理解する。
  • 人の気持ちを考える。
  • 原因と結果を追う。
  • 知らない世界を知る。
  • 自分と違う価値観に出会う。

そして、それについて日本語で考える。

だから、母語での読書は、日本語維持のためだけにするものではありません。子どもが年齢相応に考えるための言葉を育て続ける。そのための土台なのだと思います。

海外で日本語を育てるなら、「今日は漢字を何文字覚えた?」だけではなく、時々こう聞いてみてください。

「最近、日本語でどんな本を読んでいる?」そこから見えてくるものは、意外に大きいと思います。

参考資料

  • Kubota et al. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development
  • Mol & Bus (2011), To Read or Not to Read: A Meta-Analysis of Print Exposure From Infancy to Early Adulthood, Psychological Bulletin
  • Swanborn & de Glopper (1999), Incidental Word Learning While Reading: A Meta-Analysis, Review of Educational Research
  • National Reading Panel (2000), Teaching Children to Read, National Institute of Child Health and Human Development
  • Mol et al. (2008), Added Value of Dialogic Parent–Child Book Readings: A Meta-Analysis, Early Education and Development

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在外のお子さまの日本語|「話せる」と「読める・書ける」は別の力

2026.09.09

在外のお子さまの日本語|「話せる」と「読める・書ける」は別の力

会話が流暢だからこそ読み書きの遅れは見えにくい、という現実 海外で育つ子どもたちの日本語を見ていると、とても興味深いことがあります。 日本語で普通に話している。 冗談も言える。 親が言っていることも理解している。 日本のアニメも楽しんでいる。 だから保護者から見ると、「うちの子は日本語は大丈夫」に見えます。ところが、実際に日本語の文章を読んでもらうと、少し様子が変わることがあります。 漢字が読めない。 文章になると読む速度が急に落ちる。 一文ずつは読めても、全体として何が書いてあるのか分からない。 そして、「じゃあ、これについて自分の考えを書いてみて」と言うと、さらに難しくなる。 教室では、小学校高学年、ときには中学生になっていても、ひらがなやカタカナを書くことにかなり苦労するお子さまに出会うこともあります。でも、本人と日本語で話しているだけでは、そのことに気づかないことがあります。なぜなら、話す日本語はかなり流暢だからです。ここに、海外での日本語教育の非常に見えにくい落とし穴があります。 「日本語力」を一つの能力として考えない 私たちはつい、「この子は日本語ができる」もしくは「日本語が弱い」と、一つの能力のように考えてしまいます。でも、実際には日本語にはさまざまな力があります。 聞く 話す 読む 書く さらに読む中にも、 文字が読める 単語の意味が分かる 文章の内容を理解する 筆者の意図を読み取る 複数の情報を関連づける といった違う力があります。書くことも同じです。 ひらがなを書く 漢字を書く 文章を作る 出来事を順序立てて説明する 理由を書く 自分の意見と根拠を構造化する これらは全部同じ能力ではありません。 日本語を継承語として育てる子ども427人を対象とした2025年の研究でも、日本語能力を調べる際には、話す・理解する・読む・書くがそれぞれ別の項目として評価されています。また、読書・作文・宿題などのLiteracy活動が独立した言語経験として分析され、日本語能力との関連が示されています。 つまり、日本語を話せることと、日本語を読んだり書いたりできることは、分けて考える必要があるのです。 なぜ「話す」はできるのに、「読む・書く」は難しいのか 考えてみると、これはそれほど不思議なことではありません。子どもは、日本語の会話を毎日家庭で使っているかもしれません。朝起きて、「おはよう」、「早く着替えて」、「今日何時に帰ってくる?」。学校から帰れば、「今日どうだった?」、「お腹すいた」、「宿題終わった?」こうした日本語を何年も使っています。 でも、 ひらがなを毎日読んでいるでしょうか? カタカナを書いているでしょうか? 日本語の長い文章を読んでいるでしょうか? 日本語で作文を書いているでしょうか。 インター校や現地校へ通っていれば、学校で毎日行っている読み書きは英語やオランダ語です。つまり、話す日本語には毎日練習する機会があるのに、読む・書く日本語にはほとんど練習する機会がないという状態が起こります。 そう考えれば、会話力と読み書きに差が生まれること自体は、むしろ自然です。継承語話者は、教育を受ける多数派言語では読み書きを身につけやすい一方、継承語では聞く・話す能力と読み書き能力に大きな個人差が生じることが知られています。研究レビューでも、継承語話者の能力は聞く・話す・読む・書くの各領域で一様ではないことが指摘されています。 文字は、会話しているだけでは自然には身につかない ここは非常に重要です。日本語をたくさん聞いていれば、ある程度日本語を話せるようになります。でも、「ありがとう」と何千回聞いていても、それだけで自然に「あ・り・が・と・う」と書けるようになるわけではありません。まして、「ありがとうございます」と、「有り難うございます」の違いを自然に理解するわけでもありません。 文字は、文字を見て、音と結びつけ、読んで、書いて、何度も使うことで身についていきます。日本で育つ子どもには、この機会が身のまわりに溢れています。幼稚園の名札や絵本、街中の看板、テレビの字幕、学校のプリント、教科書、黒板、宿題などなど、列挙し出すと切りがありません。 日本語が生活の中に文字として存在しています。海外で生活すると、この「文字としての日本語」が一気に限定されてしまいます。家庭で日本語を話していたとしても、日本語を文字として目にする量は、日本で生活する子どもとは全く違うのです。 ひらがな・カタカナが書けないことを、責めるべきではない 教室で、小学校高学年や中学生でも、ひらがな・カタカナの書字に苦労するお子さまを見ることがあります。例えば、「ぬ」と「め」が混乱する、「シ」と「ツ」が分からない、促音の「っ」をどこに入れるのか分からない、長音をどう書くのか迷う、文章のどの部分がカタカナになるのか判らない、言葉は知っているのに文字にできない。 でも、私はこれを、「中学生なのに、こんなことも書けない」と考えるべきではないと思っています。本人は、学校で英語やオランダ語を使って毎日勉強しています。そちらの言語ではEssayを書き、Presentationをし、難しい内容を理解しているかもしれません。 単に、日本語を書く経験が圧倒的に少なかっただけかもしれません。書くという能力は、話す能力とは別に練習する必要があります。 日本で育つ子どもについての研究でも、ひらがなの読みの力と、その後のひらがな・漢字の読み書き能力には関連があり、読み書きの技能が段階的に発達していくことが示されています。 ですから、「話せるのになぜ書けないの?」ではなく、「これまで書く機会がどのくらいあっただろう?」と考えた方がよいと思います。 日本語入力ができることと、日本語を書けることも少し違う 最近はもう一つ、興味深いことがあります。スマートフォンなら日本語で文章を打てる。LINEなら日本語でメッセージできる。でも、「紙に書いてみて」と言うと書けない。ということがあります。 スマートフォンなら、「きょうはがっこうにいきました」と入力すれば、「今日は学校に行きました」と変換してくれます。「学校」という漢字を書けなくても、読むことさえできれば選べます。これは悪いことではありません。現代社会では、手書きよりタイピングする機会の方が多いでしょう。ですから、「漢字を手で全部書けなければ日本語ができない」とも思いません。 ただし、入力できること、読めること、手で書けること、文章を構成できることは、それぞれ違う能力だということは理解しておく必要があります。 重要なのは、「学校」という漢字を手書きできるかだけではありません。「今日学校であった出来事を、知らない人にも分かるように説明してください」と言われたときに、日本語で文章を組み立てられるか。私は、こちらの方がより重要だと思っています。 「書く」は、文字を書くことだけではない 「日本語を書く力」というと、漢字を書けるかどうかに目が行きがちです。でも、高学年以降になると本当に必要になるのは、考えを文章にする力です。 例えば、「私はこの意見に賛成です」までは書ける。では、「なぜですか?」と聞かれたらどうでしょう。「なぜなら……」と理由を書く。さらに、「具体例を挙げてください」と言われる。そして、「反対の立場の人はどう考えるでしょうか」まで考える。こうなると、単に漢字を知っているだけでは書けません。 頭の中にある考えを、順序立て、必要な情報を選び、相手に伝わるように文章として構成する必要があります。 書くというのは、思考を言葉として外に出し、構造化する作業でもあります。 会話なら、相手が助けてくれる 書くことが難しいもう一つの理由があります。会話では、相手がいます。子どもが、「今日ね、学校であの子がさ、またあれやって……」と言えば、親が、「○○君?」と聞いてくれます。 「うん。それで先生が……」 「怒ったの?」 「そうそう」 と、相手が会話を補ってくれます。表情もあります。ジェスチャーもあります。分からなければ聞き返してもらえます。 でも文章では、相手は横にいません。「あの子」と言われても分かりません。「あれ」では伝わりません。書き手自身が、 誰のことなのか 何が起こったのか なぜ起こったのか どう感じたのか を説明する必要があります。 つまり書くことによって、「自分は分かっている」から「相手にも分かるように説明する」へ思考を変える必要があります。この力は、自然な家庭会話だけでは必ずしも十分に練習できません。 読めないと、「知っている日本語」が増えにくくなる 読み書きの中でも、私はまず「読むこと」が非常に重要だと思っています。なぜなら、読めるようになると、自分で日本語を増やせるようになるからです。 本を読む ニュースを読む インターネットで調べる 漫画を読む 字幕を読む 説明書を読む 日本語で検索する 誰かに日本語を教えてもらわなくても、文字を通じて、自分で新しい日本語を取りに行けるようになります。 逆に、日本語を話せても日本語を読むことが苦手だと、日本語のインプットは人との会話に依存します。家庭で使われている言葉から先へ進みにくくなります。 前回までの記事で何度も取り上げてきた日本語継承語話者427人の研究でも、読書・作文・宿題などの日本語Literacy活動が、日本語能力に関係する重要な要素として示されています。 読むことが、書くことにもつながる ここも重要です。文章を書けるようにするため、「作文をたくさん書かせよう」と考えることがあります。もちろん書く練習は必要です。でも、書く前に、良い日本語をたくさん読むことも非常に重要です。 文章を読めば、「こういうときは『しかし』を使うんだ」、「理由を書くときは『なぜなら』なんだ」、「話が変わると段落が変わるんだ」、「こうやって人物の気持ちを表現するんだ」といった文章の型を、少しずつ取り込んでいきます。 2026年に発表された、9~15歳のバイリンガル児童の継承語としての英語の書く力を3年間追跡した研究でも、家庭での読書習慣がwritingの発達を支える重要な要素として報告されています。特に高いwriting能力を持つ子どもには、自主的な読書や継続的な家庭での読書経験が多く見られました。 対象言語は英語ですから、その結果をそのまま日本語へ当てはめることはできません。ただ、継承語の読み書きは、家庭でその言語を話しているだけで自動的に育つものではなく、文字に触れる活動が重要であるという点は、日本語教育を考えるうえでも非常に示唆的です。 「うちの子は日本語を話せるから大丈夫」が危険なのではない ここで誤解してほしくないことがあります。私は、「日本語を話せても読み書きできなければ意味がない」と言いたいわけではありません。会話できること自体、とても大きな力です。家庭によって、日本語をどこまで育てたいのかという目標も違います。海外に永住し、日本語は家族との会話ができれば十分、と考える家庭もあるでしょう。それも一つの選択です。 問題は、「話せるから、読み書きも必要になればすぐできるだろう」と錯覚してしまうことです。 話す力があることは大きな土台になります。でも、読む・書くためには、文字に触れ、読んで、書く経験が必ず必要なのです。 将来、日本語をどこで使うのかを考えてほしい では、日本語の読み書きをどこまで続けるべきなのでしょうか。これは、すべての家庭に同じ答えはありません。重要なのは、その子が将来、日本語をどのように使う可能性があるのかを考えることだと思います。 例えば、 日本へ帰国する可能性がある。 日本の中学・高校・大学へ進学する可能性がある。 日本で働く可能性がある。 日本の親族との関係を持ち続けたい。 将来、自分の子どもにも日本語を伝えたい。 日本の本やニュースを自分で読めるようにしたい。 そうした可能性が少しでもあるのであれば、「会話ができるから十分」で止めず、日本語を文字でも扱える状態を残しておくことには大きな意味があります。 反対に家庭として、「今後の教育・生活はすべて現地語で、日本語は家族との会話ができれば十分」と考えるのであれば、それも明確な教育方針です。 大切なのは、「気づかないうちに読み書きがなくなっていた」、ではなく、どのレベルの日本語を残すかを、家庭として意識的に選ぶことなのです。 漢字だけに焦点を当てすぎない 日本語の読み書きについて話すと、どうしても、「漢字を何文字覚えていますか?」という話になります。もちろん漢字は大切です。でも、漢字ドリルだけやっていても、読解力や文章力が自然に育つとは限りません。 例えば、「原因」という漢字を書ける。でも、「原因と結果の関係を説明してください」と言われたときに答えられない。それでは十分ではありません。逆に漢字を書くのは苦手でも、文章を読み、内容を理解し、自分の考えを日本語で説明できる。こちらには大きな力があります。 だから私は、日本語の読み書きを、「漢字が書けるか」だけで測らない方がいいと思っています。見るべきなのは、 文章を読めるか 意味を理解できるか 知らない言葉を前後から考えられるか 自分の考えを文章にできるか 相手に分かるように説明できるか という、もう少し広いLiteracyの力です。 読み書きも、いきなり100点を目指さなくていい 前回の記事でも書きましたが、日本語教育は0か100かで考える必要はありません。日本の学校と同じ量の漢字を毎日やる必要はないかもしれません。でも、週に一冊、日本語の本を読む、短い日記を書く、日本語でゲームをするなどの経験でも日本語を文字として使う回路を残すことができます。 大切なのは、日本語が「家族と話すための音」だけにならず、自分で情報を得て、自分の考えを伝えるための文字でもあり続けることだと思います。 読み書きができると、日本語の世界を自分で広げられる 私が、海外の子どもに日本語の読み書きを残してほしいと思う最大の理由は、漢字テストでいい点を取るためではありません。日本へ帰国したとき困らないためだけでもありません。 読み書きができれば、本人が親を介さずに、日本語の世界へアクセスできるからです。 自分で本を選ぶ 自分で検索する ニュースを読む 好きなアーティストの記事を読む 日本の人とメッセージする 大学について調べる 仕事を探す 契約書を読む そして自分の考えを文章で伝える そのとき日本語は、「親から受け継いだ家庭の言葉」から、「自分自身が使える言語」へ変わります。私は、これが読み書きの大きな意味だと思っています。 「日本語は大丈夫」の中身を、一度分解してみる お子さまが日本語で流暢に話していることは、とても大切な力です。でも、一度だけ、「日本語は大丈夫」という言葉を分解してみてください。 日本語を聞いて理解できる? 日本語で日常会話ができる? 知らない人にも出来事を説明できる? ひらがな・カタカナを読める? 書ける? 同年代向けの本を読める? 説明文を理解できる? 自分の考えを文章にできる? 理由や根拠を書ける? 全部できる必要はありません。家庭によって目標は違います。でも、どこまでできていて、どこから難しいのかを知っていることは、とても大切です。海外で育つ子どもの日本語は、「できる」「できない」の二択ではありません。読む、聞く、話す、書く力はそれぞれが違う速度で育ちます。 だから、「日本語を話しているから大丈夫」ではなく、「この子の日本語は、今どんな形で育っているだろう?」と見てみて、そこから、その家庭に本当に必要な日本語教育が見えてくるのではないかと思います。 参考資料 Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340. Nakamura, J. (2026), English as a Heritage Language in Japan: Writing Development From Late Childhood to Adolescence, Reading Research Quarterly. 花房香(2020)「読み書き能力の発達―就学前から小学2年生までの追跡研究―」 Takahashi, N. & Nakamura, T. (2015), Abilities needed by Japanese children to write kanji: Development of the ATLAN Kakitori subtest, The Japanese Journal of Psychology.

「日本語は来年から」で、本当に間に合う?海外在住のお子さまの日本語教育で見落とされやすい「時間」の問題

2026.09.06

「日本語は来年から」で、本当に間に合う?海外在住のお子さまの日本語教育で見落とされやすい「時間」の問題

日本語教室へのお問い合わせをいただいたご家庭とお話ししていると、時々こんなお話を伺います。 「日本語は大切だと思っているのですが、今は習い事が忙しくて……」 「今年は学校に慣れることを優先したいので、日本語は来年から考えようと思っています」 「もう少し落ち着いたら、補習校か日本語教室を始めようと思っています」 その判断自体が間違っているとは思いません。海外で暮らす子どもたちは忙しいです。英語や現地語の学習、サッカーやピアノの習い事、オランダではチェスも人気がありますし、お友だちとのスリープオーバー(お泊まり会)もあります。 すべてをやらせることはできません。家庭ごとに優先順位が違うのも当然です。ですから、「今すぐ日本語教室へ通わせるべきです」という話をしたいわけではありません。 でも大切なのは、私の教室でなくとも、補習校やオンラインの教室などに通い、日本語を年齢と一緒に成長させる機会を、完全に止めないことだと思っています。 なぜなら、子どもの日本語には、大人の習い事とは少し違う「時間」の問題があるからです。 1年間休んでも、元の場所で待っていてくれるわけではない 例えば、大人がピアノを習っているとします。1年間忙しくなり、ピアノを休む。翌年再開したとき、多少忘れていることはあっても、基本的には自分が以前いたところから再スタートできます。ピアノそのものが、この1年間で小学4年生から小学5年生になったりはしません。 でも、子どもの日本語は違います。小学3年生で日本語学習を止めたとします。1年後、本人は小学4年生になります。当然、比較対象になる日本の子どもたちも小学4年生です。その間、日本の学校にいる子どもたちは、新しい漢字を覚え、新しい語彙を学び、より長い文章を読み、説明文を読み、理由を説明し、文章を書き、理科や社会を日本語で学んでいます。 つまり、こちらが止まっている間も、「年齢相応の日本語」の方は先へ進んでいます。ここが非常に重要です。 日本語学習を1年間休んだからといって、必ず日本語能力そのものが大きく低下するとは限りません。家庭で日本語を話していれば、日常会話はむしろ上達することもあります。 でも、本人の日本語が以前と同じくらいに保たれていても、同年代との距離は広がる可能性があります。 「落ちる」というより、「伸びる速度が違う」と考えた方が近いかもしれません。 小学3年生の日本語のまま、小学4年生になる 以前の記事でも書きましたが、小学3年生で話せる日本語は、小学3年生としては十分な日本語かもしれません。でも、それをそのまま小学6年生まで維持しても、小学6年生相当の日本語にはなりません。子どもの成長とともに必要な言葉が変わるからです。 低学年なら、「どっちが違う?」「何が先だった?」「どうして?」くらいだったものが、学年が上がるにつれて、「その理由は?」「具体例を挙げて」「二つを比較すると?」「原因は何だと思う?」「この資料から何が分かる?」「筆者の主張は?」「その意見の根拠は?」となっていきます。 さらに中学生になると、「客観的に考える」、「複数の立場を比較する」、「根拠の妥当性を考える」、「具体例から一般化する」といった、より高度な言語と思考が求められます。 つまり、日本語のゴールポストは毎年動いているのです。 「家では日本語だから、来年からでも大丈夫」 ここでよく出てくるのが、「でも家では日本語を話しているので、一年間くらい大丈夫ですよね」という考えです。 もちろん、家庭で日本語を話していることは大きな意味があります。でも、前回の記事でも書いたように、家庭で使う日本語と、読書や学習で使う日本語は、必ずしも同じではありません。 「今日学校どうだった?」「お腹すいた?」「早く寝なさい」「明日はサッカーだよ」という日本語を毎日使っていても、 「原因」 「傾向」 「根拠」 「対照的」 「影響」 「一方で」 「にもかかわらず」 といった言葉を使う機会は、それほど多くありません。つまり、日常会話の日本語は毎日使っていても、学習に必要な日本語はあまり使っていないという状態が起こり得ます。 そのため、「日本語を話しているから日本語学習は止まっていない」とは、必ずしも言えません。 実際、日本語を継承語として育つ子どもの語彙には差が生まれる 以前の記事でも紹介した、日本語を継承語として育てている子ども427人を対象とした研究があります。2025年に『Child Development』に掲載された研究です。この研究では、日本語を継承語として育つ子どもと、日本語環境で育つ子どもの語彙発達を比較しています。 その結果、グループとして見ると、幼児期には大きな差が見られなかったものの、5歳7か月頃から語彙得点の差が現れ、その差は調査対象となった青年期まで続いていました。もちろん、これは、「海外に住むと5歳7か月から日本語が遅れる」という意味ではありません。この研究の参加者は主に英語圏・ドイツ語圏で育った日本語継承語話者であり、個人差も非常に大きくあります。 むしろ重要なのは、幼い頃には日本語環境で育つ子どもとの差が見えにくくても、年齢が上がるにつれて語彙発達の違いが表面化することがあるという点です。これは、教室で子どもたちを見ている実感とも重なります。 低学年では「大丈夫」に見える これが、この問題を難しくしています。小学校低学年の年齢では日本語で普通に話している。祖父母とも話せる。日本のアニメも分かる。簡単な本も読める。だから、「日本語は大丈夫そう」に見えます。 そして、「今は英語を優先しよう」「サッカーを続けたい」「ピアノもあるし」「日本語は来年からでもいいかな」となります。 ところが小学5年生、小学6年生になる頃、日本の同年代向けの文章を読ませてみると、 知らない言葉が急に増える。 文章を読む速度が遅い。 説明文になると理解しにくい。 「どういう意味?」と聞かれても説明できない。 ということが起こる場合があります。本人の日本語が突然悪くなったのではありません。周囲の日本語の方が先へ進んだ結果、差が見えるようになってきた可能性があります。 「来年から」が、何年も続く家庭がある 教室を運営していて、少し気になることがあります。「今年は忙しいので、来年から」とお話しされていたご家庭が、翌年になると往々にしてもっと忙しくなっていることです。学年が上がれば、学校の宿題も増えます。スポーツも本格的になります。音楽を続けていれば練習時間も増えます。友人関係も重要になります。Secondary Schoolへ進めば、さらに忙しくなります。 つまり、「来年になれば時間ができる」とは限りません。むしろ、私が教室を通じて見てきた範囲では、学年が上がるにつれて、日本語を新しく生活に入れることの方が難しくなるケースがほとんどです。 小学2年生なら、「土曜日は日本語の本を読む」という習慣を比較的作りやすい。 でも中学1年生になって突然、「今日から毎週日本語を勉強しよう」と言われても、本人にとっては、「なぜ今さら?」となるかもしれません。 時間の問題だけではありません。生活習慣の問題にもなるのです。 一度離れた日本語を「勉強」に戻すのは意外に大変 幼い頃から日本語の本を読むことが日常に入っている子にとって、日本語の読書は、「勉強」ではありません。本を読むだけです。日本語で話すことも、「日本語学習」ではありません。普通に話しているだけです。 でも数年間、日本語で読み書きをほとんどしなかった後で再開すると、日本語は突然、「追加の勉強」になります。 学校では英語やオランダ語で十分勉強している。その後漢字を覚える、日本語の本を読む、作文や感想文を書く 本人からすると、「なぜ?」となります。しかも、その時点では日本語の本が難しくなっています。同年代向けの本は読みにくい。でも簡単な本では内容が幼すぎて面白くない。これは海外で日本語読書を再開するときに、よく起こる問題です。知的な年齢と、日本語で読める本の年齢が合わなくなるのです。 12歳なのに、日本語では7~8歳向けの文章しか楽に読めない。でも12歳の本人は、その内容には興味を持てない。だから読まない。読まないので、さらに読む力が伸びない。こうした循環に入ると、日本語を再開するハードルは一段高くなります。 だから「少しだけ続ける」ことに意味がある では、海外にいる間、日本の学校と同じだけ国語をやらなければならないのでしょうか。私はそうは思いません。家庭によって目標は違います。日本へ数年後に帰る家庭や海外で高校まで過ごす家庭、永住する家庭など、様々で、それぞれ必要な日本語は違います。 でも、日本語を将来も使える言語として残したいのであれば、ゼロにしないことには大きな意味があると思います。 週に何時間も勉強できなくても、 本を読む 日本語で日記を書く 祖父母に文章を送る 漫画を読む 日本のニュースを一緒に見る 漢字を少し続ける 日本語のオーディオブックを聞きながら文字を追う 補習校へ行く 日本語教室へ通う 何でも構いません。重要なのは、本人の日本語に、新しい言葉と新しい文章が入り続ける状態をつくることです。 「週1回で意味があるの?」という質問 これも時々聞かれます。「週1回、日本語をやるだけで意味がありますか?」もちろん、週1時間だけで日本の学校に毎日通っている子どもと同じ日本語環境を作ることはできません。 でも私は、週1回そのものより、そこから日常へ何がつながるかが重要だと思っています。例えば、一冊の本を読み始めると、面白くなって家でも続きを読み知らない言葉に出会う。次の本を手に取るようになり、そこで覚えた表現を家庭で使うこともあるでしょう。そうなると、日本語との接触は週1時間ではなくなります。 逆に、週1回教室へ行っていても、それ以外の6日間、日本語の文章を全く読まないのであれば、できることには限界があります。ですから、「何時間日本語を習っているか」だけでなく、「日本語が生活の中に残っているか」を見る方が大切だと思います。 読書を続けている子には、違う景色が見えることがある 教室には、幼い頃から海外で育っているにもかかわらず、非常に高い日本語力を持つお子さまもいます。そうしたお子さまたちを見ていると、共通していることがあります。もちろん全員ではありませんが、日本語の本を継続的に読んでいることです。 家庭には日本語の本がたくさんある。日本へ行ったら本を買って帰る。図書館を利用する。本人も読書することに抵抗がない。そして結果として、年齢とともに読んでいる本も少しずつ難しくなっていく。 日本語を継承語として育てる子どもを対象にした2025年の研究でも、日本語での読書・作文・宿題などのLiteracy活動は、日本語の自己・保護者評価による能力と関連していました。また、日本で過ごすなどの集中的な日本語環境は語彙得点とも関連していました。 さらに、米国の15~18歳の日本語継承語話者を対象とした研究では、日本語で楽しみのために読書する頻度が、日本語語彙力を予測する要因の一つになっていました。もちろん、「本を読めば必ず日本語が高くなる」という単純な因果関係ではありません。本が好きだから読む。日本語が得意だから読む。親の働きかけがあるから読む。さまざまな要因が絡みます。 それでも、日本語で読み続けることが、年齢とともに日本語を成長させる重要な環境の一つであるとは言えそうです。 日本語学習は「追いつく」より「離れすぎない」方が楽 私は、この点を保護者の方に一番伝えたいと思っています。日本語教育では、「必要になったら取り戻せばいい」と考えがちです。もちろん、後から伸ばすことはできるでしょう。子どもには大きな学習能力がありますし、日本語環境へ戻ることで急速に伸びるケースもあります。だから、「今やらなければ取り返しがつかない」と不安を煽る必要はありません。 ただ、小学3年生のときに少し離れている状態から戻るのと、中学1年生になって何年分もの読み書きや語彙の差を一度に埋めようとするのとでは、必要な負荷が違います。後者では本人の学校生活も忙しくなり、扱う文章も難しく、必要な漢字も増えています。本人の「日本語を勉強する理由」も必要になります。 だから私は、「後から一気に追いつく」より、「大きく離れないように少しずつ続ける」方が、子どもにとっても家庭にとっても負担が少ないと思っています。 日本語よりサッカーを選ぶ。それも家庭の選択です ここは大切なので、はっきり書いておきたいと思います。子どもの時間は有限です。サッカーが大好きなら、サッカーを優先する。音楽の才能があるなら、音楽に時間を使う。英語を最優先にする。それも、家庭として十分にあり得る選択です。すべての海外在住の子どもが、日本の同年代と同じ日本語力を持たなければならないとは思いません。 大切なのは、何を選び、何を手放しているのかを理解したうえで選択することだと思います。 「日本語は今やらなくても、必要になったらすぐ戻るだろう」と思って日本語を止めることと、「日本語の読み書きには一定のギャップが生まれる可能性がある。それでも今は他のことを優先する」と理解して選ぶことは違います。後者なら、家庭としての教育方針です。そして、「完全にやめるのではなく、週末に本だけは読もう」という中間の選択もできます。教育には、0か100かしかないわけではありません。 日本語を始める「完璧なタイミング」は、なかなか来ない 「学校に慣れたら」 「英語が落ち着いたら」 「サッカーが一段落したら」 「来年になったら」 「Secondaryに入ったら」 そう考えているうちに、時間は過ぎていきます。そして子どもは成長します。小学3年生は小学4年生になり、小学4年生は小学5年生になります。日本語も、それに合わせて成長する必要があります。だからたくさんやる必要はありません。完璧にやる必要もありません。日本の学校と同じことをすべてやる必要もありません。でも、「日本語だけは来年から」と完全に止める前に、一度考えてみてほしいと思います。 来年になったとき、戻る場所は今と同じでしょうか。お子さま自身は一歳成長しています。同年代の日本語も一歳分成長しています。そして、日本語を再び生活に入れるための時間は、本当に増えているでしょうか。 日本語教育で大切なのは、一気に追いつくことではなく、本人の成長と一緒に、日本語も少しずつ前へ進ませておくことなのかもしれません。 参考資料 Kubota, M. et al. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340. Mori, Y. & Calder, T. M. (2017), The Role of Parental Support and Family Variables in L1 and L2 Vocabulary Development of Japanese Heritage Language Students in the United States, Foreign Language Annals.