Sakura国語のワークショップ ロゴ

「日本語は来年から」で、本当に間に合う?海外在住のお子さまの日本語教育で見落とされやすい「時間」の問題

September 6, 2026

「日本語は来年から」で、本当に間に合う?海外在住のお子さまの日本語教育で見落とされやすい「時間」の問題

日本語教室へのお問い合わせをいただいたご家庭とお話ししていると、時々こんなお話を伺います。

  • 「日本語は大切だと思っているのですが、今は習い事が忙しくて……」

  • 「今年は学校に慣れることを優先したいので、日本語は来年から考えようと思っています」

  • 「もう少し落ち着いたら、補習校か日本語教室を始めようと思っています」

その判断自体が間違っているとは思いません。海外で暮らす子どもたちは忙しいです。英語や現地語の学習、サッカーやピアノの習い事、オランダではチェスも人気がありますし、お友だちとのスリープオーバー(お泊まり会)もあります。

すべてをやらせることはできません。家庭ごとに優先順位が違うのも当然です。ですから、「今すぐ日本語教室へ通わせるべきです」という話をしたいわけではありません。

でも大切なのは、私の教室でなくとも、補習校やオンラインの教室などに通い、日本語を年齢と一緒に成長させる機会を、完全に止めないことだと思っています。

なぜなら、子どもの日本語には、大人の習い事とは少し違う「時間」の問題があるからです。


1年間休んでも、元の場所で待っていてくれるわけではない

例えば、大人がピアノを習っているとします。1年間忙しくなり、ピアノを休む。翌年再開したとき、多少忘れていることはあっても、基本的には自分が以前いたところから再スタートできます。ピアノそのものが、この1年間で小学4年生から小学5年生になったりはしません。

でも、子どもの日本語は違います。小学3年生で日本語学習を止めたとします。1年後、本人は小学4年生になります。当然、比較対象になる日本の子どもたちも小学4年生です。その間、日本の学校にいる子どもたちは、新しい漢字を覚え、新しい語彙を学び、より長い文章を読み、説明文を読み、理由を説明し、文章を書き、理科や社会を日本語で学んでいます。

つまり、こちらが止まっている間も、「年齢相応の日本語」の方は先へ進んでいます。ここが非常に重要です。

日本語学習を1年間休んだからといって、必ず日本語能力そのものが大きく低下するとは限りません。家庭で日本語を話していれば、日常会話はむしろ上達することもあります。

でも、本人の日本語が以前と同じくらいに保たれていても、同年代との距離は広がる可能性があります。

「落ちる」というより、「伸びる速度が違う」と考えた方が近いかもしれません。


小学3年生の日本語のまま、小学4年生になる

以前の記事でも書きましたが、小学3年生で話せる日本語は、小学3年生としては十分な日本語かもしれません。でも、それをそのまま小学6年生まで維持しても、小学6年生相当の日本語にはなりません。子どもの成長とともに必要な言葉が変わるからです。

低学年なら、「どっちが違う?」「何が先だった?」「どうして?」くらいだったものが、学年が上がるにつれて、「その理由は?」「具体例を挙げて」「二つを比較すると?」「原因は何だと思う?」「この資料から何が分かる?」「筆者の主張は?」「その意見の根拠は?」となっていきます。

さらに中学生になると、「客観的に考える」、「複数の立場を比較する」、「根拠の妥当性を考える」、「具体例から一般化する」といった、より高度な言語と思考が求められます。

つまり、日本語のゴールポストは毎年動いているのです。


「家では日本語だから、来年からでも大丈夫」

ここでよく出てくるのが、「でも家では日本語を話しているので、一年間くらい大丈夫ですよね」という考えです。

もちろん、家庭で日本語を話していることは大きな意味があります。でも、前回の記事でも書いたように、家庭で使う日本語と、読書や学習で使う日本語は、必ずしも同じではありません。

「今日学校どうだった?」「お腹すいた?」「早く寝なさい」「明日はサッカーだよ」という日本語を毎日使っていても、

  • 「原因」

  • 「傾向」

  • 「根拠」

  • 「対照的」

  • 「影響」

  • 「一方で」

  • 「にもかかわらず」

といった言葉を使う機会は、それほど多くありません。つまり、日常会話の日本語は毎日使っていても、学習に必要な日本語はあまり使っていないという状態が起こり得ます。

そのため、「日本語を話しているから日本語学習は止まっていない」とは、必ずしも言えません。


実際、日本語を継承語として育つ子どもの語彙には差が生まれる

以前の記事でも紹介した、日本語を継承語として育てている子ども427人を対象とした研究があります。2025年に『Child Development』に掲載された研究です。この研究では、日本語を継承語として育つ子どもと、日本語環境で育つ子どもの語彙発達を比較しています。

その結果、グループとして見ると、幼児期には大きな差が見られなかったものの、5歳7か月頃から語彙得点の差が現れ、その差は調査対象となった青年期まで続いていました。もちろん、これは、「海外に住むと5歳7か月から日本語が遅れる」という意味ではありません。この研究の参加者は主に英語圏・ドイツ語圏で育った日本語継承語話者であり、個人差も非常に大きくあります。

むしろ重要なのは、幼い頃には日本語環境で育つ子どもとの差が見えにくくても、年齢が上がるにつれて語彙発達の違いが表面化することがあるという点です。これは、教室で子どもたちを見ている実感とも重なります。


低学年では「大丈夫」に見える

これが、この問題を難しくしています。小学校低学年の年齢では日本語で普通に話している。祖父母とも話せる。日本のアニメも分かる。簡単な本も読める。だから、「日本語は大丈夫そう」に見えます。

そして、「今は英語を優先しよう」「サッカーを続けたい」「ピアノもあるし」「日本語は来年からでもいいかな」となります。

ところが小学5年生、小学6年生になる頃、日本の同年代向けの文章を読ませてみると、

  • 知らない言葉が急に増える。

  • 文章を読む速度が遅い。

  • 説明文になると理解しにくい。

  • 「どういう意味?」と聞かれても説明できない。

ということが起こる場合があります。本人の日本語が突然悪くなったのではありません。周囲の日本語の方が先へ進んだ結果、差が見えるようになってきた可能性があります。


「来年から」が、何年も続く家庭がある

教室を運営していて、少し気になることがあります。「今年は忙しいので、来年から」とお話しされていたご家庭が、翌年になると往々にしてもっと忙しくなっていることです。学年が上がれば、学校の宿題も増えます。スポーツも本格的になります。音楽を続けていれば練習時間も増えます。友人関係も重要になります。Secondary Schoolへ進めば、さらに忙しくなります。

つまり、「来年になれば時間ができる」とは限りません。むしろ、私が教室を通じて見てきた範囲では、学年が上がるにつれて、日本語を新しく生活に入れることの方が難しくなるケースがほとんどです。

小学2年生なら、「土曜日は日本語の本を読む」という習慣を比較的作りやすい。

でも中学1年生になって突然、「今日から毎週日本語を勉強しよう」と言われても、本人にとっては、「なぜ今さら?」となるかもしれません。

時間の問題だけではありません。生活習慣の問題にもなるのです。


一度離れた日本語を「勉強」に戻すのは意外に大変

幼い頃から日本語の本を読むことが日常に入っている子にとって、日本語の読書は、「勉強」ではありません。本を読むだけです。日本語で話すことも、「日本語学習」ではありません。普通に話しているだけです。

でも数年間、日本語で読み書きをほとんどしなかった後で再開すると、日本語は突然、「追加の勉強」になります。

学校では英語やオランダ語で十分勉強している。その後漢字を覚える、日本語の本を読む、作文や感想文を書く

本人からすると、「なぜ?」となります。しかも、その時点では日本語の本が難しくなっています。同年代向けの本は読みにくい。でも簡単な本では内容が幼すぎて面白くない。これは海外で日本語読書を再開するときに、よく起こる問題です。知的な年齢と、日本語で読める本の年齢が合わなくなるのです。

12歳なのに、日本語では7~8歳向けの文章しか楽に読めない。でも12歳の本人は、その内容には興味を持てない。だから読まない。読まないので、さらに読む力が伸びない。こうした循環に入ると、日本語を再開するハードルは一段高くなります。


だから「少しだけ続ける」ことに意味がある

では、海外にいる間、日本の学校と同じだけ国語をやらなければならないのでしょうか。私はそうは思いません。家庭によって目標は違います。日本へ数年後に帰る家庭や海外で高校まで過ごす家庭、永住する家庭など、様々で、それぞれ必要な日本語は違います。

でも、日本語を将来も使える言語として残したいのであれば、ゼロにしないことには大きな意味があると思います。

週に何時間も勉強できなくても、

  • 本を読む

  • 日本語で日記を書く

  • 祖父母に文章を送る

  • 漫画を読む

  • 日本のニュースを一緒に見る

  • 漢字を少し続ける

  • 日本語のオーディオブックを聞きながら文字を追う

  • 補習校へ行く

  • 日本語教室へ通う

何でも構いません。重要なのは、本人の日本語に、新しい言葉と新しい文章が入り続ける状態をつくることです。


「週1回で意味があるの?」という質問

これも時々聞かれます。「週1回、日本語をやるだけで意味がありますか?」もちろん、週1時間だけで日本の学校に毎日通っている子どもと同じ日本語環境を作ることはできません。

でも私は、週1回そのものより、そこから日常へ何がつながるかが重要だと思っています。例えば、一冊の本を読み始めると、面白くなって家でも続きを読み知らない言葉に出会う。次の本を手に取るようになり、そこで覚えた表現を家庭で使うこともあるでしょう。そうなると、日本語との接触は週1時間ではなくなります。

逆に、週1回教室へ行っていても、それ以外の6日間、日本語の文章を全く読まないのであれば、できることには限界があります。ですから、「何時間日本語を習っているか」だけでなく、「日本語が生活の中に残っているか」を見る方が大切だと思います。


読書を続けている子には、違う景色が見えることがある

教室には、幼い頃から海外で育っているにもかかわらず、非常に高い日本語力を持つお子さまもいます。そうしたお子さまたちを見ていると、共通していることがあります。もちろん全員ではありませんが、日本語の本を継続的に読んでいることです。

家庭には日本語の本がたくさんある。日本へ行ったら本を買って帰る。図書館を利用する。本人も読書することに抵抗がない。そして結果として、年齢とともに読んでいる本も少しずつ難しくなっていく。

日本語を継承語として育てる子どもを対象にした2025年の研究でも、日本語での読書・作文・宿題などのLiteracy活動は、日本語の自己・保護者評価による能力と関連していました。また、日本で過ごすなどの集中的な日本語環境は語彙得点とも関連していました。

さらに、米国の15~18歳の日本語継承語話者を対象とした研究では、日本語で楽しみのために読書する頻度が、日本語語彙力を予測する要因の一つになっていました。もちろん、「本を読めば必ず日本語が高くなる」という単純な因果関係ではありません。本が好きだから読む。日本語が得意だから読む。親の働きかけがあるから読む。さまざまな要因が絡みます。

それでも、日本語で読み続けることが、年齢とともに日本語を成長させる重要な環境の一つであるとは言えそうです。


日本語学習は「追いつく」より「離れすぎない」方が楽

私は、この点を保護者の方に一番伝えたいと思っています。日本語教育では、「必要になったら取り戻せばいい」と考えがちです。もちろん、後から伸ばすことはできるでしょう。子どもには大きな学習能力がありますし、日本語環境へ戻ることで急速に伸びるケースもあります。だから、「今やらなければ取り返しがつかない」と不安を煽る必要はありません。

ただ、小学3年生のときに少し離れている状態から戻るのと、中学1年生になって何年分もの読み書きや語彙の差を一度に埋めようとするのとでは、必要な負荷が違います。後者では本人の学校生活も忙しくなり、扱う文章も難しく、必要な漢字も増えています。本人の「日本語を勉強する理由」も必要になります。

だから私は、「後から一気に追いつく」より、「大きく離れないように少しずつ続ける」方が、子どもにとっても家庭にとっても負担が少ないと思っています。


日本語よりサッカーを選ぶ。それも家庭の選択です

ここは大切なので、はっきり書いておきたいと思います。子どもの時間は有限です。サッカーが大好きなら、サッカーを優先する。音楽の才能があるなら、音楽に時間を使う。英語を最優先にする。それも、家庭として十分にあり得る選択です。すべての海外在住の子どもが、日本の同年代と同じ日本語力を持たなければならないとは思いません。

大切なのは、何を選び、何を手放しているのかを理解したうえで選択することだと思います。

「日本語は今やらなくても、必要になったらすぐ戻るだろう」と思って日本語を止めることと、「日本語の読み書きには一定のギャップが生まれる可能性がある。それでも今は他のことを優先する」と理解して選ぶことは違います。後者なら、家庭としての教育方針です。そして、「完全にやめるのではなく、週末に本だけは読もう」という中間の選択もできます。教育には、0か100かしかないわけではありません。


日本語を始める「完璧なタイミング」は、なかなか来ない

  • 「学校に慣れたら」

  • 「英語が落ち着いたら」

  • 「サッカーが一段落したら」

  • 「来年になったら」

  • 「Secondaryに入ったら」

そう考えているうちに、時間は過ぎていきます。そして子どもは成長します。小学3年生は小学4年生になり、小学4年生は小学5年生になります。日本語も、それに合わせて成長する必要があります。だからたくさんやる必要はありません。完璧にやる必要もありません。日本の学校と同じことをすべてやる必要もありません。でも、「日本語だけは来年から」と完全に止める前に、一度考えてみてほしいと思います。

来年になったとき、戻る場所は今と同じでしょうか。お子さま自身は一歳成長しています。同年代の日本語も一歳分成長しています。そして、日本語を再び生活に入れるための時間は、本当に増えているでしょうか。

日本語教育で大切なのは、一気に追いつくことではなく、本人の成長と一緒に、日本語も少しずつ前へ進ませておくことなのかもしれません。


参考資料

  • Kubota, M. et al. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340.

  • Mori, Y. & Calder, T. M. (2017), The Role of Parental Support and Family Variables in L1 and L2 Vocabulary Development of Japanese Heritage Language Students in the United States, Foreign Language Annals.

まずは無料体験から
Sakura国語の教室で日本語力を伸ばそう

その他のコラムを読む

IBでは二言語必要?|在外日本人家庭がDP進学前に知っておきたい言語選択

2026.10.13

IBでは二言語必要?|在外日本人家庭がDP進学前に知っておきたい言語選択

「日本人だからJapanese A」「インター校だからEnglish A」とは限らない 前回の記事では、IB Diploma Programme(DP)では教科の難しさだけでなく、自分で課題を管理し、調査し、文章を書き、複数の締め切りを同時に管理する力が求められるため、高校から突然DPへ進む場合には、学習方法そのものへの準備が必要だと書きました。 そして、在外日本人家庭がDPを考える際には、もう一つ早い段階から考えておいた方がよいことがあります。それが言語の選択です。 「インター校に通っているからEnglish Aでいいのでは?」「日本人なのだからJapanese Aを取ればいい」「IBでは第二外国語が必須らしい」といった話を聞くことがありますが、DPの言語選択はそれほど単純ではありません。 特に海外で育つ日本人のお子さまの場合、家庭では日本語を流暢に話し、学校では英語で学んでいるというケースが少なくありません。そのため、一見すると「日本語も英語もできるから問題ない」と思えます。しかしDPで問われるのは、日常会話ができるかだけではなく、その言語で複雑な文章を読み、分析し、根拠を示しながら自分の考えを論理的に表現できるかという力です。 ここでも、これまでこの連載で繰り返し考えてきた「話せる言語」と「学べる言語」は必ずしも同じではない、という問題が出てきます。 DPでは、本当に二言語必要なのでしょうか 結論から言うと、DPでは少なくとも二つの言語を学びます。IBでは、Studies in Language and Literatureから少なくとも一つの言語科目を履修し、さらに別の言語を学ぶことが求められています。一般的には、もう一つをLanguage Acquisitionから選びますが、異なる二言語でStudies in Language and Literatureを二科目履修することで、第二言語の要件を満たすこともできます。 例えば、English AとFrench Bという組み合わせもあれば、English AとJapanese Aという組み合わせも可能です。 ここで一つ区別しておきたいのが、「DPで二言語を学ぶこと」と「Bilingual Diplomaを取得すること」は別の話だという点です。 Bilingual Diplomaは、異なる二つのLanguage AでそれぞれGrade 3以上を取得する場合、またはLanguage Aとは異なる言語でIndividuals and SocietiesやScienceの対象科目を履修し、所定の条件を満たした場合などに授与されます。単に二言語を履修しているだけで、自動的にBilingual Diplomaになるわけではありません。 Bilingual Diplomaを取ること自体を目標にする必要もありません。大切なのは、その科目構成が本人の言語力と将来の進路に合っているかどうかです。 Language Aは「国籍の言語」を選ぶ科目ではない 在外日本人家庭にとって、最も誤解が起きやすいのがLanguage Aだと思います。 Language Aという名前を見ると、「母語」や「国籍の言語」のように感じるかもしれません。しかしIBは、Studies in Language and Literatureを、Academicに十分な能力を持つ言語で履修する科目として位置づけています。 Language A: Literatureでは文学作品を読み、表現、構成、視点、文脈などを分析し、自分の解釈を文章や口頭で論理的に示します。Language A: Language and Literatureでは、文学だけでなくさまざまな種類のテキストを扱い、言葉がどのように意味を生み、社会や文化と関係しているのかも考えます。 Japanese Aには現在、Language and LiteratureとLiteratureの両方があり、SL・HLの双方が設定されています。またJapanese BもSL・HL、Japanese ab initioはSLとして用意されています。 したがって、「日本人だからJapanese A」という決め方は必ずしも適切ではありません。 家庭で日本語を話していることは大きな土台ですが、Japanese Aで必要になるのは、それに加えて日本語で高度な読み書きと分析ができることです。 同じことはEnglish Aにも言えます。インターナショナルスクールに何年も通い、友達と自然に英語で話し、普段の授業を英語で受けられることと、初めて読む文学作品や複雑な文章を分析し、根拠を示しながら論を構築することは同じではありません。 EALを卒業していることとも別です。 つまり、Japanese AとEnglish Aのどちらを選ぶかを考えるときに見るべきなのは、「どちらを流暢に話すか」だけではなく、どちらの言語なら高度な文章を読み、分析し、書けるのかという点です。 Japanese Aでは、実際に何をするのでしょうか ここは、具体的に見た方が分かりやすいと思います。 現行のLanguage Aの評価では、Paper 1、Paper 2、Individual Oralがあり、HLではHigher Level Essayも課されます。 Paper 1では、事前に学習していない文章が提示され、その場で文章を読み、作者の表現や構成がどのように意味を作っているのかを分析して論述します。SLでは二つの文章から一つを選んで分析し、HLでは二つの文章について分析します。つまり、「文章の意味が分かった」だけではなく、なぜそのように書かれているのか、それが読者にどのような効果を生んでいるのかまで考える必要があります。 Paper 2では、授業で学んだ二つの文学作品を使い、提示された問いに対して比較論述を行います。二作品のあらすじを説明するのではなく、内容や形式、作者の選択などを比較しながら、一つの論として文章を組み立てることが求められます。 さらにIndividual Oralでは、作品やテキストについて分析した内容を口頭で論理的に提示します。HLではこれに加えてHigher Level Essayがあります。 こうして具体的に見ると、「日本語で家族と問題なく会話できる16歳」と、「Japanese Aで学べる16歳」の間に、どのような違いがあるのかが見えてきます。 例えば、祖父母や友達とは日本語で自然に話せる一方、日本語の小説をほとんど読んでおらず、評論や説明文にも触れていない。また、日本語である程度まとまった文章を書き、自分の考えを根拠とともに論述した経験もほとんどない、というお子さまの場合、会話力が高くてもJapanese Aには別の準備が必要でしょう。 これは、この連載の以前に取り上げた「『日本語を話せる』と『日本語を読める・書ける』は別の力」という問題が、DPでは非常に具体的な形で現れる例だと思います。 Language Bは「簡単なLanguage A」ではない もう一つ誤解されやすいのがLanguage Bです。 Language Bは、Language Aを少し簡単にした科目ではありません。すでにある程度学習経験のある言語をさらに伸ばすためのLanguage Acquisition科目で、SLとHLがあります。HLではSLより高い言語運用能力が求められ、文学作品も扱います。 一方、Language ab initioは、その言語を全く、またはほとんど学んだ経験のない学生を対象にした科目で、SLのみです。IBも、すでに日常的な話題について聞いたり読んだりして理解・応答できる学生をab initioへ配置することは、適切なAcademic Challengeにならないとしています。 したがって、「Japanese Aは難しそうだからJapanese ab initioにすればいい」という選び方が自由にできるわけではありません。 どのレベルが適切なのかは、国籍ではなく、それまでの学習歴や実際の言語能力を踏まえて学校側が判断します。在外日本人のお子さまで日本語が家庭言語になっている場合、Japanese Bやab initioを当然に選択できるとは限らないという点には注意が必要です。 学校にJapanese Aがない場合――SSSTには重要な制限がある 在外日本人家庭で実際に起こりやすいのが、「本人には日本語力があるけれど、通っている学校ではJapanese Aを開講していない」という問題です。 その場合、学校によってはSchool-Supported Self-Taught(SSST)という仕組みを利用できることがあります。 ただし、ここには非常に重要な制限があります。 SSSTで履修できるのはLanguage A: LiteratureのSLのみです。 HLでは利用できず、Language A: Language and LiteratureにもSSSTは適用されません。IBのLanguage A: Literatureガイドでも、SSSTの対象はSLのみと明記されています。また、学校側にはSSSTの学生を支援する体制を用意することが求められます。 つまり、学校にJapanese Aの授業がなく、将来Japanese A HLを取りたいと考えている場合、「SSSTで対応すればいい」というわけではありません。 また、外部の日本語教師を家庭で探し、その先生から授業を受ければ自動的にIBのJapanese Aとして認められる、という仕組みでもありません。SSSTはあくまでIB World Schoolが制度として支援する科目です。 そのため、Japanese Aを将来の選択肢として考えているのであれば、DPが始まる直前ではなく、中学生のうちから学校のDP Coordinatorに、Japanese Aを開講しているか、SL・HLのどちらがあるのか、SSSTに対応しているか、必要な外部支援や追加費用があるか、といった点を確認しておくことをおすすめします。 日本の大学へ進学する場合、Japanese Aが実際の出願条件になることもある IBの言語科目は、Diplomaを取るためだけに選ぶものではありません。その先の大学入試にも関係する場合があります。 在外日本人家庭にとって特に知っておきたいのが、日本の大学へ進む可能性を残す場合です。 例えば、国際基督教大学(ICU)の2027年度総合型選抜「IBDP利用」では、IB Diplomaの取得・取得見込みに加えて、「日本語A」を履修済み、または履修中であることが条件になっています。さらに第二次選考では、日本語・英語を用いた面接やプレゼンテーションが行われます。 一方、東京学芸大学の2027年度国際バカロレア選抜では、出願資格を「日本語を母語とする者」、または日本語A(SL)、日本語A(HL)、日本語B(HL)のいずれかを履修している者としています。つまり、同じ日本の大学のIB選抜でも、日本語に関する条件の立て方は一様ではありません。 ここで重要なのは、「日本の大学へ行くならJapanese Aが必須」ということではありません。大学、学部、入試方式によって条件は異なりますし、入試制度は年度によって変更されることもあります。 しかし、Japanese Aを履修できる日本語力を残していることが、日本の大学の一部の入試方式を選択肢として残す場合があることは知っておいてよいと思います。 Japanese Aを取らなくても、日本語で考えて書く力が必要になる場合がある さらに、日本の大学への進学を考える場合、日本語の読み書きが問われるのはIB選抜だけではありません。 帰国生選抜でも、大学や学部によっては日本語による小論文や面接が課されます。例えば東京学芸大学の2027年度帰国生選抜では、多くのコースで小論文や面接が選抜に含まれており、志願者全員に日本語による個人面接を課すことも募集要項に明記されています。 したがって、将来Japanese Aを履修するかどうかとは別に、日本の大学も選択肢として残したいのであれば、日本語で文章を読み、自分の考えをまとめ、理由や根拠とともに説明する力を維持する意味があります。 ここで考えたいのは、「Japanese Aを取るために日本語を続ける」という狭い話ではありません。 IB選抜、帰国生選抜、日本への帰国、海外大学。 どの進路を最終的に選ぶか分からない中学生の段階では、Academicな日本語を残しておくことそのものが、将来の選択肢を閉じないことにつながる可能性があります。 DPが始まってから日本語を戻そうとすると、かなりの負荷になる 例えば、小学5年生で海外へ移住し、その後も家庭では日本語を話しているものの、日本語で本を読んだり文章を書いたりすることがほとんどなくなったとします。 中学生になっても日本語での会話は流暢なので、ご家族からすると、日本語力が大きく落ちているようには見えないかもしれません。 そして15歳になり、DPの科目を選ぶ段階になって初めて、「Japanese Aを取った方がいいのでは」と考える。 ところが、そこで必要になるのは日常会話の日本語ではありません。初めて見る文章を分析し、文学作品を比較し、自分の考えを根拠とともに論述する日本語です。 もし数年間、日本語でまとまった文章をほとんど読んでおらず、文章を書く経験も少なければ、16歳の段階でその力を一気に作るのは大きな負荷になります。 これは以前の記事書いた、「日本語は来年から」で、本当に間に合う?という問題そのものです。 日本語の読み書きを続ける意味は、日本へ帰国したときに困らないためだけではありません。海外で高校まで進みIBを選択した場合にも、日本語が学ぶための言語として残っていることで、DPの科目選択や、その先の大学進学の選択肢が広がる可能性があります。 「日本語を維持する」から、「Japanese Aも選べる日本語」へ もしご家庭として、「高校まで海外で教育を受ける可能性がある」「DPへ進むかもしれない」「そのときJapanese Aも選択肢として残したい」と考えているのであれば、中学生の段階から日本語教育の目標を少し変えてもよいと思います。 単に「日本語を忘れない」のではなく、「16歳になったとき、日本語で年齢相応の文章を読み、考え、それを文章として表現できる状態を残す」ことを目標にするのです。 そのためには、漢字ドリルだけでは十分ではありません。年齢相応の物語やノンフィクションを読み、少しずつ評論や社会的なテーマにも触れる。読んだ内容について話し、自分の意見とその理由を書く。複数の文章を読んで、それぞれの考え方や表現の違いを比較する。 これまでの記事で取り上げてきた、読書、語彙、読解、作文、論理的に説明する力が、ここで全部つながってきます。 もちろん、Japanese Aのためだけに日本語を学ぶ必要はありません。日本語で深く読み、考え、表現できること自体に価値があります。 ただ、その力を中学生まで継続した結果として、DP進学時にもJapanese Aという選択肢が残り、その先の大学進学にも複数の可能性が残るのであれば、それは大きな意味を持つと思います。 家庭でも、一度「話せる」以外の日本語を確認してみる では、中学生のお子さまの日本語がどの程度育っているのか、家庭ではどのように確認すればよいのでしょうか。 Japanese Aを履修できるかどうかを家庭だけで判定することはできませんし、最終的には学校のDP Coordinatorや担当教員と相談する必要があります。ただ、最初の確認として、日常会話以外の日本語を見てみることはできます。 例えば、中学生向けの小説やノンフィクションを一冊、自力で読み通せるでしょうか。読み終えた後、「何について書かれていたか」だけではなく、「なぜこの人物はそう行動したと思うか」「筆者の意見に賛成か。その理由は何か」といった問いに、自分の言葉で答えられるでしょうか。 さらに最初の目安として、自分の意見を、理由や具体例とともに600~800字程度の文章にまとめられるかを見てみてもよいと思います。 もちろん、600~800字書ければJapanese Aで問題ない、という意味ではありません。反対に、今書けないからJapanese Aを諦めるべきだという話でもありません。 重要なのは、現在地を早めに知ることです。 語彙や読解についてもう少し客観的に確認したい場合には、読書指数診断などを一つの参考材料として利用する方法もあります。ただし、これもJapanese Aへの適性を判断する試験ではありません。会話、読解、語彙、作文など複数の面を見ながら、「これからどこを伸ばせばよいのか」を考えるための材料として使うのがよいと思います。 中学1年生で気づけば、数年かけて準備できます。 DPが始まる直前に初めて気づくのとは、大きな違いがあります。 「母語はどちら?」より、「それぞれの言語で何ができる?」 海外で長く生活していると、「この子の母語は日本語なのか、英語なのか」と迷うことがあります。 しかしDPの言語選択を考えるときには、その問いだけにこだわる必要はないと思っています。 どちらを先に覚えたか、家庭でどちらを話しているか、国籍がどこかという情報ももちろん大切です。しかしDPでより重要になるのは、それぞれの言語で何ができるのかです。 日本語なら、難しい文章を読み、自分の考えを論理的に表現できるのか。英語なら、文学作品や複雑な文章を分析し、根拠を示しながら論述できるのか。 日本語でそれができればJapanese Aという選択肢があり、英語でできればEnglish Aという選択肢があります。両方でできるのであれば二つのLanguage Aを検討することもできますし、日本語は家庭言語として残しながら、英語を中心的な学習言語として育てるという選択もあります。 すべての子どもが二つのLanguage Aを履修する必要はありませんし、「バイリンガル」という肩書きを目指す必要もありません。 大切なのは、二言語を持っているかではなく、その二言語で何ができるのか。そして、将来どの言語で何を学びたいのかを考えながら、必要な言語を育てていくことだと思います。 DPの言語選択は、DPが始まってから考えない 在外日本人家庭に私がおすすめしたいのは、DP開始直前になって初めて言語選択を考えるのではなく、可能であれば中学生の段階で一度、将来の選択肢を確認しておくことです。 今の学校ではDPでどのLanguage Aを開講しているのか。Japanese Aはあるのか。SLとHLのどちらがあるのか。なければSSSTに対応しているのか。English Aを選ぶ場合、現在の英語力からどのような準備が必要なのか。日本の大学も選択肢として考えるのであれば、候補となる大学のIB選抜や帰国生選抜では何が求められるのか。 そして何より、本人の日本語と英語は、それぞれ「話せる」だけではなく、どの程度読める・書ける・考えられるのか。 これを早めに確認しておけば、日本語の読書を増やす、作文を始める、英語の学術的な文章力を強化する、第三言語をLanguage Bへつなげる、といった準備を数年かけて進めることができます。 この連載は、もともと海外で育つ子どもの日本語をどう考えるか、というところから始まりました。 家庭で日本語を話しているから大丈夫なのか。日本語の読書はなぜ必要なのか。読み書きをどこまで続ければいいのか。「日本語は来年から」でも間に合うのか。 IBまで進むと、それらは単なる「日本語を忘れないための話」ではなかったことが分かります。 小学生、中学生の間に日本語で本を読み、語彙を増やし、文章を書き、自分の考えを説明する経験を続けてきたことが、高校生になったときに「Japanese Aも選べる」という具体的な教育上の選択肢につながることがあります。 さらに、その日本語力が、将来日本の大学へ進むときの小論文や面接にもつながる可能性があります。 「日本語を続けるかどうか」は、小学生の漢字テストだけの問題ではありません。将来その子がどの言語で学び、どの大学へ進み、どの世界とつながることができるのか。 そのための、長い教育設計の一部なのだと思います。 参考資料 International Baccalaureate, Learning a language in the Diploma Programme International Baccalaureate, Studies in language and literature International Baccalaureate, Language A: Literature Guide International Baccalaureate, Examiner Instructions 2026 — Language A International Baccalaureate, Language B International Baccalaureate, Language ab initio International Baccalaureate, DP Passing Criteria International Baccalaureate, All Diploma Programme Subjects 国際基督教大学(ICU)「2027年度 総合型選抜〈IBDP利用〉」 東京学芸大学「2027年度 国際バカロレア選抜 学生募集要項」 東京学芸大学「2027年度 帰国生選抜 学生募集要項」

IBを選ぶ前に知っておきたいこと|高校からいきなりDPは想像以上に大変

2026.10.06

IBを選ぶ前に知っておきたいこと|高校からいきなりDPは想像以上に大変

「IBに入る」のではなく、「IB型の学び方に切り替わる」と考えてほしい 海外で子どもの進路を考えていると、IB(International Baccalaureate/国際バカロレア)という選択肢を目にする機会が増えます。 世界各国の大学への進学につながりやすいことに加え、暗記だけではなくCritical ThinkingやResearchを重視し、自分の考えを持って論理的に説明する力を育てる。こうした特徴に魅力を感じ、将来はIB Diploma Programme(DP)へ進ませたいと考えるご家庭も少なくないと思います。 私自身、IBの教育理念には非常に魅力的な部分が多いと思っています。 ただし、DPを検討するときに一つ注意してほしいことがあります。それは、「高校になったらIBを始めればいい」とだけ考えていると、想像以上に大きな学習スタイルの変化に直面する可能性があるということです。 これは、「DPは難しいから頭の良い子しかできない」という話ではありません。DPでは、単に学習内容が難しくなるだけではなく、自分で計画し、調べ、考え、文章にし、複数の課題を同時に管理することが求められるからです。 つまり、高校からDPへ入るということは、教科が難しくなるだけではなく、場合によっては**「勉強の仕方そのもの」をかなり短期間で変えること**になります。 DPは、6教科を勉強するだけのプログラムではない まず、DPがどのようなプログラムなのかを簡単に整理しておきます。 DPは原則16~19歳を対象とした2年間のプログラムで、学生は6つの教科群から科目を履修します。それに加えて、DP Coreと呼ばれるTheory of Knowledge(TOK)、Extended Essay(EE)、Creativity, Activity, Service(CAS)の3つにも取り組みます。 (ibo.org) この「Core」が、一般的な高校教育との違いを考えるうえで非常に重要です。 例えばExtended Essayでは、学生自身が研究テーマを決め、Research Questionを設定し、資料を調べ、議論を組み立て、最終的に4,000語の研究論文を完成させます。大学の卒業論文ほどではありませんが、高校生の段階で「先生から出された問題に答える」のではなく、自分で問いを設定して長期間かけて研究することが求められます。 TOKでは、「私たちはなぜそれを知っていると言えるのか」「何を証拠と考えるのか」といった、知識そのものについて考えます。評価にはExhibitionに加え、1,600語のEssayも含まれます。 そのうえで、各教科にも試験だけではなく、校内で行うInternal Assessmentなどの課題があります。DPの評価は最終試験だけで決まる仕組みではなく、教科によっては長期間かけて作成する課題も評価対象になります。 つまりDPの2年間は、「6教科を勉強して最後に試験を受ける」という単純なものではありません。通常の授業、宿題、試験勉強、Internal Assessment、TOK、Extended Essay、CASが、同じ2年間の中で同時に進んでいきます。ここにDP特有の難しさがあります。 大変なのは、「難しい問題」より「全部を同時に管理すること」 DPについて「大変」と聞くと、多くの人は、数学が難しい、英語のEssayが難しい、覚える量が多い、といった教科内容を想像するかもしれません。 もちろん、それもあります。しかし私は、それ以上に大きいのが自己管理だと思っています。 例えばExtended Essayは、提出日の前日に一晩頑張れば完成する課題ではありません。テーマを決め、Research Questionを絞り、資料を探して読み、構成を考え、執筆し、SupervisorとのReflectionを重ねながら完成させていきます。 その一方で、ほかの教科も当然進んでいます。数学のテストがある週にHistoryのEssayの締め切りがあり、ScienceのInternal Assessmentを進めながらTOKのEssayも書く、といったことが起こります。 こうなると必要なのは、「勉強ができる」ことだけではありません。何をいつまでに終わらせるのかを逆算し、大きな課題を小さく分け、自分で進捗を管理する力が必要になります。 IB自身も、DPのような要求の高い教育プログラムではSelf-managementが重要であり、とりわけTime ManagementはDP学生にとって重要な能力だと説明しています。 実際、DP経験者を対象にした研究でも、学生はDPを通してTime Management、Research、Writing、Critical Thinkingなどの力を身につけ、それらが大学進学後にも役立ったと報告されています。一方、DP導入校を調査した研究では、学生のStressが課題の一つとして挙げられています。 つまりDPの負荷は、欠点であると同時に、DPが大学進学後に役立つ力を育てる理由でもあるのです。 高校から突然「自分で管理してください」と言われても難しい ここで私が気になるのが、それまでどのような学習をしてきたかです。 例えば、それまでの学校生活で、先生や保護者が宿題や提出物を細かく管理し、試験範囲も明確で、課題は数日から1週間程度で終わるものが中心だったとします。また、正解のある問題を解くことが多く、必要な資料も先生から与えられる環境に慣れていたとします。 その状態から16歳になった瞬間、「半年後の締め切りから逆算して自分で研究を進めてください」「自分で問いを設定してください」「複数の資料を比較して、自分のArgumentを作ってください」「Criterionを読んで、自分の成果物を評価してください」と求められても、最初から簡単にできるとは限りません。 問題は能力ではありません。そのような学び方を経験したことがあるかどうかです。 DPで初めてSelf-managementやIndependent Researchを本格的に経験すると、教科学習と同時に「IBでの学び方」そのものまで学ばなければならなくなります。そこが、高校から突然DPへ入るときの大きな負荷になり得ます。 では、MYPから始めなければDPは無理なのか? ここは誤解のないようにしておきたいと思います。MYP(Middle Years Programme)を履修していなければDPへ進めない、ということではありません。 DPは16~19歳向けの独立したプログラムで、MYP以外の教育課程からDPへ進む学生もいます。過去のIBによる比較資料でも、DPへの進学者はMYPだけでなく、他の教育課程から来ることが想定されています。また、MYPを経験した学生が必ずDPで高得点を取るとも限らないでしょう。 IBのContinuumについて調べた研究では、PYP・MYPを経験した学生とDPのみを経験した学生の試験結果には有意な差が見られなかったようです。一方で、学校や学生への質的調査では、MYPで身につけたOrganization、Time Management、Inquiry-based Learning、Problem Solving、Criterion-referenced Assessmentへの慣れがDPへの準備に役立ったという報告がありました。 私は、この違いが重要だと思います。MYPをやればDPで成功する、という話ではない。けれど、DPで必要になる「学び方」に早くから触れておける。このメリットはあるのではないでしょうか。 MYPでは、すでに「勉強の仕方」を学んでいる MYPの特徴の一つに、Approaches to Learning(ATL)があります。 これは単なる教科知識ではなく、Research、Critical and Creative Thinking、Communication、Collaboration、Self-managementといった、「どう学ぶか」に関する力を育てる考え方です。 さらにMYPの最終学年にはPersonal Projectがあります。学生自身が興味のあるテーマを選び、長期間にわたって計画を立て、調査し、成果物を作り、そのプロセスを振り返ります。評価されるATLにはSelf-management、Research、Communication、Critical and Creative Thinkingなどが含まれます。 これは、もちろんExtended Essayと同じではありません。 しかし、自分でテーマを選び、長期的な計画を立て、期限まで自分で進め、資料を調べ、最後にプロセスを振り返るという経験を、DPへ入る前に一度していることには意味があります。 高校に入って初めて「半年かけて自分でProjectを完成させてください」と言われるのと、中学生の間から似た学習を経験しているのとでは、心理的な負荷も違うでしょう。 MYPの本当のメリットは、Personal Projectだけではない MYPというとPersonal Projectが目立ちますが、それだけではありません。日々の学習の中でも、「なぜそう考えるのか」「どのEvidenceを使ったのか」「どのCriterionを満たしているのか」「自分の学習をどうReflectするのか」といったことを繰り返します。 つまり、正解を当てるだけではなく、自分の考えに根拠をつけ、それを説明することが求められます。また、課題の評価基準がCriterionとして示され、それを読みながら自分の成果物を作ることにも慣れていきます。これはDPでも重要です。 先生が「これを書けば80点」と全部指示してくれるのではなく、Assessment Criteriaを理解し、「この課題では何を求められているのか」を自分で読み取る必要があります。 つまりMYPからDPへ進むメリットは、単にIBという名前のカリキュラムを長く経験することではなく、IB特有の学び方を、何年もかけて少しずつ日常化できることなのだと思います。 非MYPからDPへ進むなら、何を準備すればよいのでしょうか では、日本人学校や他のインターナショナルスクール、各国の国内カリキュラムからDPへ進む場合はどうでしょうか。 決して悲観する必要はありません。むしろ、DPで何が要求されるのかを事前に理解して、その学び方を少しずつ練習しておけばよいのだと思います。 例えばDPが始まる1~2年前から、長期課題を自分で管理する経験を作ることができます。夏休みに一つテーマを決め、数週間かけて調べてレポートを書く。先生や親が毎週「やった?」と確認するのではなく、最終提出日から逆算して本人に計画を作らせる。文章を書くときには、単なる感想ではなく、Claimを出し、その理由とEvidenceを示す。インターネット検索だけで終わらせず、複数の資料を比較し、「この情報はどこから来たのか」を意識する。そして提出後には、「何がうまくいったか」「次に何を変えるか」を振り返る。 こうした小さな経験を積んでおくだけでも、DP開始時の負荷は変わると思います。 必要なのは、「MYPの名前がついた教育を受けること」そのものではなく、DPで求められる学習習慣をDP開始前に経験しておくことだからです。 親がすべて管理してきた場合は、少しずつ手を離す必要がある これは、IBに限らず中高生の教育全般に言えることかもしれません。 親が長い間、試験日や宿題、提出物、予定表、忘れ物まで細かく管理していると、子ども自身は「誰かが教えてくれる」ことに慣れてしまいます。小学生のうちは、それでもよい場面がたくさんあります。 しかしDPでは、自分自身で管理することが急に増えます。そのため、DPへ進む可能性があるのであれば、中学生くらいから、「親が管理する」から「本人が管理し、親は必要なときだけ支える」へ少しずつ変えていくことも重要だと思います。 失敗も必要です。提出期限を忘れる、予定より時間がかかる、計画が甘かったことに気づく。中学生のうちの小さな失敗なら修正できます。 しかしDPのExtended EssayやInternal Assessmentで初めてそれを経験すると、代償が大きくなります。 自己管理は、説明されて身につくものではなく、実際に自分で管理して失敗し、修正することで身につく力です。 「頭が良いからDPに向いている」とは限らない DPを考えるときには、「学校の成績が良い」「テストで高得点を取る」「記憶力が高い」といったことだけで適性を判断しない方がよいと思います。 もちろん、基礎的な学力は重要です。しかしDPでは、それに加えて、長期間課題を続ける力、複数の締め切りを管理する力、自分でResearchする力、分からないときに助けを求める力、完璧でなくても一度Draftを作る力、Feedbackを受けて修正する力なども求められます。 IBの研究でも、DP学生が大学進学後に強みとして挙げるのは、教科知識だけではなくTime Management、Organization、Research、Analytical Writingなどです。 だから私は、「うちの子は成績がいいからIB」だけではなく、「この学び方が、この子に合っているだろうか」を見ることも大切だと思っています。 DPの負荷は、必ずしも悪いことではない ここまで読むと、DPがとても大変なプログラムに見えるかもしれません。実際、大変だと思います。でも、その負荷そのものが、DPの大きな教育価値でもあります。 大学に進めば、先生が毎日宿題を確認してくれるわけではありません。長いResearch Paperを書き、自分で文献を探し、複数の授業を同時に管理し、締め切りも自分で把握する必要があります。つまりDPで要求されることの多くは、その後の大学教育にかなり近いものです。 DP経験者を対象にした研究でも、大学進学後に「DPで学んだTime ManagementやResearch、Writingの経験が役立った」と回答する学生が多く報告されています。 だから私は、「DPは大変だから避けるべき」とは全く思いません。むしろ、大変だからこそ、その2年間に入る前に準備しておくという考え方をしてほしいと思っています。 「IBを選ぶ」のではなく、「IBで学べる状態を作る」 以前の記事で、学校選びは「入口」より「出口」を考えてほしい、と書きました。IBについても同じです。 「大学進学に有利そうだからDPへ入る」「国際的な資格だからDPへ入る」だけではなく、DPが始まる前に、自分で課題を管理した経験があるか、自分でResearchしたことがあるか、長い文章を書いたことがあるか、複数の締め切りを管理したことがあるか、Feedbackを受けて書き直した経験があるか、といった点を一度考えてみる必要があります。 もし、まだできないのであれば、「DPには向いていない」と判断する必要はありません。DPが始まるまでに、少しずつ経験させればいいのです。 MYPに進む方法もありますし、別の学校で同じようなProject-based Learningを経験する方法もあります。家庭でも、自分で調べてまとめる機会は作れます。大切なのは、16歳になって初めて、すべてを同時に始めないことだと思います。 そして、もう一つ大きな問題が「言語」です DPを考える日本人家庭には、もう一つ非常に重要な問題があります。それは、何語でDPを受けるのかという問題です。例えば、普段英語で授業を受けているからといって、English Aで文学作品を分析し、Essayを書けるレベルにあるとは限りません。 一方、日本語は家庭では流暢に話していても、これまでの記事で書いてきたように、日本語で同年代向けの文学を読み、論理的な文章を書く力まで育っているとは限りません。 そしてDPでは、言語科目の選択がDiploma全体の設計にも関わってきます。「英語が得意だから大丈夫」「日本人だからJapaneseを選べばいい」というほど単純ではありません。 DPへ進む可能性があるのであれば、どの言語を、どのレベルで、どのように履修するのかを、中学生くらいの段階から意識しておく意味があります。 これは、これまでにわたって書いてきた「在外のお子さまの日本語」の話とも、実は直接つながっています。 参考資料 International Baccalaureate, Diploma Programme International Baccalaureate, DP core International Baccalaureate, Theory of knowledge International Baccalaureate, Extended essay International Baccalaureate, How the MYP works International Baccalaureate, Personal project Walker, Bryant & Lee (2014), The International Baccalaureate continuum: Student, teacher and school outcomes International Baccalaureate Research, Key findings from research on the impact of the Diploma Programme