「日本語は来年から」で、本当に間に合う?海外在住のお子さまの日本語教育で見落とされやすい「時間」の問題
September 6, 2026
目次
- 1. 1年間休んでも、元の場所で待っていてくれるわけではない
- 2. 小学3年生の日本語のまま、小学4年生になる
- 3. 「家では日本語だから、来年からでも大丈夫」
- 4. 実際、日本語を継承語として育つ子どもの語彙には差が生まれる
- 5. 低学年では「大丈夫」に見える
- 6. 「来年から」が、何年も続く家庭がある
- 7. 一度離れた日本語を「勉強」に戻すのは意外に大変
- 8. だから「少しだけ続ける」ことに意味がある
- 9. 「週1回で意味があるの?」という質問
- 10. 読書を続けている子には、違う景色が見えることがある
- 11. 日本語学習は「追いつく」より「離れすぎない」方が楽
- 12. 日本語よりサッカーを選ぶ。それも家庭の選択です
- 13. 日本語を始める「完璧なタイミング」は、なかなか来ない
- 13-1 参考資料
日本語教室へのお問い合わせをいただいたご家庭とお話ししていると、時々こんなお話を伺います。
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「日本語は大切だと思っているのですが、今は習い事が忙しくて……」
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「今年は学校に慣れることを優先したいので、日本語は来年から考えようと思っています」
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「もう少し落ち着いたら、補習校か日本語教室を始めようと思っています」
その判断自体が間違っているとは思いません。海外で暮らす子どもたちは忙しいです。英語や現地語の学習、サッカーやピアノの習い事、オランダではチェスも人気がありますし、お友だちとのスリープオーバー(お泊まり会)もあります。
すべてをやらせることはできません。家庭ごとに優先順位が違うのも当然です。ですから、「今すぐ日本語教室へ通わせるべきです」という話をしたいわけではありません。
でも大切なのは、私の教室でなくとも、補習校やオンラインの教室などに通い、日本語を年齢と一緒に成長させる機会を、完全に止めないことだと思っています。
なぜなら、子どもの日本語には、大人の習い事とは少し違う「時間」の問題があるからです。
1年間休んでも、元の場所で待っていてくれるわけではない
例えば、大人がピアノを習っているとします。1年間忙しくなり、ピアノを休む。翌年再開したとき、多少忘れていることはあっても、基本的には自分が以前いたところから再スタートできます。ピアノそのものが、この1年間で小学4年生から小学5年生になったりはしません。
でも、子どもの日本語は違います。小学3年生で日本語学習を止めたとします。1年後、本人は小学4年生になります。当然、比較対象になる日本の子どもたちも小学4年生です。その間、日本の学校にいる子どもたちは、新しい漢字を覚え、新しい語彙を学び、より長い文章を読み、説明文を読み、理由を説明し、文章を書き、理科や社会を日本語で学んでいます。
つまり、こちらが止まっている間も、「年齢相応の日本語」の方は先へ進んでいます。ここが非常に重要です。
日本語学習を1年間休んだからといって、必ず日本語能力そのものが大きく低下するとは限りません。家庭で日本語を話していれば、日常会話はむしろ上達することもあります。
でも、本人の日本語が以前と同じくらいに保たれていても、同年代との距離は広がる可能性があります。
「落ちる」というより、「伸びる速度が違う」と考えた方が近いかもしれません。
小学3年生の日本語のまま、小学4年生になる
以前の記事でも書きましたが、小学3年生で話せる日本語は、小学3年生としては十分な日本語かもしれません。でも、それをそのまま小学6年生まで維持しても、小学6年生相当の日本語にはなりません。子どもの成長とともに必要な言葉が変わるからです。
低学年なら、「どっちが違う?」「何が先だった?」「どうして?」くらいだったものが、学年が上がるにつれて、「その理由は?」「具体例を挙げて」「二つを比較すると?」「原因は何だと思う?」「この資料から何が分かる?」「筆者の主張は?」「その意見の根拠は?」となっていきます。
さらに中学生になると、「客観的に考える」、「複数の立場を比較する」、「根拠の妥当性を考える」、「具体例から一般化する」といった、より高度な言語と思考が求められます。
つまり、日本語のゴールポストは毎年動いているのです。
「家では日本語だから、来年からでも大丈夫」
ここでよく出てくるのが、「でも家では日本語を話しているので、一年間くらい大丈夫ですよね」という考えです。
もちろん、家庭で日本語を話していることは大きな意味があります。でも、前回の記事でも書いたように、家庭で使う日本語と、読書や学習で使う日本語は、必ずしも同じではありません。
「今日学校どうだった?」「お腹すいた?」「早く寝なさい」「明日はサッカーだよ」という日本語を毎日使っていても、
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「原因」
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「傾向」
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「根拠」
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「対照的」
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「影響」
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「一方で」
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「にもかかわらず」
といった言葉を使う機会は、それほど多くありません。つまり、日常会話の日本語は毎日使っていても、学習に必要な日本語はあまり使っていないという状態が起こり得ます。
そのため、「日本語を話しているから日本語学習は止まっていない」とは、必ずしも言えません。
実際、日本語を継承語として育つ子どもの語彙には差が生まれる
以前の記事でも紹介した、日本語を継承語として育てている子ども427人を対象とした研究があります。2025年に『Child Development』に掲載された研究です。この研究では、日本語を継承語として育つ子どもと、日本語環境で育つ子どもの語彙発達を比較しています。
その結果、グループとして見ると、幼児期には大きな差が見られなかったものの、5歳7か月頃から語彙得点の差が現れ、その差は調査対象となった青年期まで続いていました。もちろん、これは、「海外に住むと5歳7か月から日本語が遅れる」という意味ではありません。この研究の参加者は主に英語圏・ドイツ語圏で育った日本語継承語話者であり、個人差も非常に大きくあります。
むしろ重要なのは、幼い頃には日本語環境で育つ子どもとの差が見えにくくても、年齢が上がるにつれて語彙発達の違いが表面化することがあるという点です。これは、教室で子どもたちを見ている実感とも重なります。
低学年では「大丈夫」に見える
これが、この問題を難しくしています。小学校低学年の年齢では日本語で普通に話している。祖父母とも話せる。日本のアニメも分かる。簡単な本も読める。だから、「日本語は大丈夫そう」に見えます。
そして、「今は英語を優先しよう」「サッカーを続けたい」「ピアノもあるし」「日本語は来年からでもいいかな」となります。
ところが小学5年生、小学6年生になる頃、日本の同年代向けの文章を読ませてみると、
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知らない言葉が急に増える。
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文章を読む速度が遅い。
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説明文になると理解しにくい。
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「どういう意味?」と聞かれても説明できない。
ということが起こる場合があります。本人の日本語が突然悪くなったのではありません。周囲の日本語の方が先へ進んだ結果、差が見えるようになってきた可能性があります。
「来年から」が、何年も続く家庭がある
教室を運営していて、少し気になることがあります。「今年は忙しいので、来年から」とお話しされていたご家庭が、翌年になると往々にしてもっと忙しくなっていることです。学年が上がれば、学校の宿題も増えます。スポーツも本格的になります。音楽を続けていれば練習時間も増えます。友人関係も重要になります。Secondary Schoolへ進めば、さらに忙しくなります。
つまり、「来年になれば時間ができる」とは限りません。むしろ、私が教室を通じて見てきた範囲では、学年が上がるにつれて、日本語を新しく生活に入れることの方が難しくなるケースがほとんどです。
小学2年生なら、「土曜日は日本語の本を読む」という習慣を比較的作りやすい。
でも中学1年生になって突然、「今日から毎週日本語を勉強しよう」と言われても、本人にとっては、「なぜ今さら?」となるかもしれません。
時間の問題だけではありません。生活習慣の問題にもなるのです。
一度離れた日本語を「勉強」に戻すのは意外に大変
幼い頃から日本語の本を読むことが日常に入っている子にとって、日本語の読書は、「勉強」ではありません。本を読むだけです。日本語で話すことも、「日本語学習」ではありません。普通に話しているだけです。
でも数年間、日本語で読み書きをほとんどしなかった後で再開すると、日本語は突然、「追加の勉強」になります。
学校では英語やオランダ語で十分勉強している。その後漢字を覚える、日本語の本を読む、作文や感想文を書く
本人からすると、「なぜ?」となります。しかも、その時点では日本語の本が難しくなっています。同年代向けの本は読みにくい。でも簡単な本では内容が幼すぎて面白くない。これは海外で日本語読書を再開するときに、よく起こる問題です。知的な年齢と、日本語で読める本の年齢が合わなくなるのです。
12歳なのに、日本語では7~8歳向けの文章しか楽に読めない。でも12歳の本人は、その内容には興味を持てない。だから読まない。読まないので、さらに読む力が伸びない。こうした循環に入ると、日本語を再開するハードルは一段高くなります。
だから「少しだけ続ける」ことに意味がある
では、海外にいる間、日本の学校と同じだけ国語をやらなければならないのでしょうか。私はそうは思いません。家庭によって目標は違います。日本へ数年後に帰る家庭や海外で高校まで過ごす家庭、永住する家庭など、様々で、それぞれ必要な日本語は違います。
でも、日本語を将来も使える言語として残したいのであれば、ゼロにしないことには大きな意味があると思います。
週に何時間も勉強できなくても、
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本を読む
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日本語で日記を書く
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祖父母に文章を送る
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漫画を読む
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日本のニュースを一緒に見る
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漢字を少し続ける
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日本語のオーディオブックを聞きながら文字を追う
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補習校へ行く
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日本語教室へ通う
何でも構いません。重要なのは、本人の日本語に、新しい言葉と新しい文章が入り続ける状態をつくることです。
「週1回で意味があるの?」という質問
これも時々聞かれます。「週1回、日本語をやるだけで意味がありますか?」もちろん、週1時間だけで日本の学校に毎日通っている子どもと同じ日本語環境を作ることはできません。
でも私は、週1回そのものより、そこから日常へ何がつながるかが重要だと思っています。例えば、一冊の本を読み始めると、面白くなって家でも続きを読み知らない言葉に出会う。次の本を手に取るようになり、そこで覚えた表現を家庭で使うこともあるでしょう。そうなると、日本語との接触は週1時間ではなくなります。
逆に、週1回教室へ行っていても、それ以外の6日間、日本語の文章を全く読まないのであれば、できることには限界があります。ですから、「何時間日本語を習っているか」だけでなく、「日本語が生活の中に残っているか」を見る方が大切だと思います。
読書を続けている子には、違う景色が見えることがある
教室には、幼い頃から海外で育っているにもかかわらず、非常に高い日本語力を持つお子さまもいます。そうしたお子さまたちを見ていると、共通していることがあります。もちろん全員ではありませんが、日本語の本を継続的に読んでいることです。
家庭には日本語の本がたくさんある。日本へ行ったら本を買って帰る。図書館を利用する。本人も読書することに抵抗がない。そして結果として、年齢とともに読んでいる本も少しずつ難しくなっていく。
日本語を継承語として育てる子どもを対象にした2025年の研究でも、日本語での読書・作文・宿題などのLiteracy活動は、日本語の自己・保護者評価による能力と関連していました。また、日本で過ごすなどの集中的な日本語環境は語彙得点とも関連していました。
さらに、米国の15~18歳の日本語継承語話者を対象とした研究では、日本語で楽しみのために読書する頻度が、日本語語彙力を予測する要因の一つになっていました。もちろん、「本を読めば必ず日本語が高くなる」という単純な因果関係ではありません。本が好きだから読む。日本語が得意だから読む。親の働きかけがあるから読む。さまざまな要因が絡みます。
それでも、日本語で読み続けることが、年齢とともに日本語を成長させる重要な環境の一つであるとは言えそうです。
日本語学習は「追いつく」より「離れすぎない」方が楽
私は、この点を保護者の方に一番伝えたいと思っています。日本語教育では、「必要になったら取り戻せばいい」と考えがちです。もちろん、後から伸ばすことはできるでしょう。子どもには大きな学習能力がありますし、日本語環境へ戻ることで急速に伸びるケースもあります。だから、「今やらなければ取り返しがつかない」と不安を煽る必要はありません。
ただ、小学3年生のときに少し離れている状態から戻るのと、中学1年生になって何年分もの読み書きや語彙の差を一度に埋めようとするのとでは、必要な負荷が違います。後者では本人の学校生活も忙しくなり、扱う文章も難しく、必要な漢字も増えています。本人の「日本語を勉強する理由」も必要になります。
だから私は、「後から一気に追いつく」より、「大きく離れないように少しずつ続ける」方が、子どもにとっても家庭にとっても負担が少ないと思っています。
日本語よりサッカーを選ぶ。それも家庭の選択です
ここは大切なので、はっきり書いておきたいと思います。子どもの時間は有限です。サッカーが大好きなら、サッカーを優先する。音楽の才能があるなら、音楽に時間を使う。英語を最優先にする。それも、家庭として十分にあり得る選択です。すべての海外在住の子どもが、日本の同年代と同じ日本語力を持たなければならないとは思いません。
大切なのは、何を選び、何を手放しているのかを理解したうえで選択することだと思います。
「日本語は今やらなくても、必要になったらすぐ戻るだろう」と思って日本語を止めることと、「日本語の読み書きには一定のギャップが生まれる可能性がある。それでも今は他のことを優先する」と理解して選ぶことは違います。後者なら、家庭としての教育方針です。そして、「完全にやめるのではなく、週末に本だけは読もう」という中間の選択もできます。教育には、0か100かしかないわけではありません。
日本語を始める「完璧なタイミング」は、なかなか来ない
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「学校に慣れたら」
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「英語が落ち着いたら」
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「サッカーが一段落したら」
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「来年になったら」
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「Secondaryに入ったら」
そう考えているうちに、時間は過ぎていきます。そして子どもは成長します。小学3年生は小学4年生になり、小学4年生は小学5年生になります。日本語も、それに合わせて成長する必要があります。だからたくさんやる必要はありません。完璧にやる必要もありません。日本の学校と同じことをすべてやる必要もありません。でも、「日本語だけは来年から」と完全に止める前に、一度考えてみてほしいと思います。
来年になったとき、戻る場所は今と同じでしょうか。お子さま自身は一歳成長しています。同年代の日本語も一歳分成長しています。そして、日本語を再び生活に入れるための時間は、本当に増えているでしょうか。
日本語教育で大切なのは、一気に追いつくことではなく、本人の成長と一緒に、日本語も少しずつ前へ進ませておくことなのかもしれません。
参考資料
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Kubota, M. et al. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340.
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Mori, Y. & Calder, T. M. (2017), The Role of Parental Support and Family Variables in L1 and L2 Vocabulary Development of Japanese Heritage Language Students in the United States, Foreign Language Annals.
