Sakura国語のワークショップ ロゴ

「日本語は来年から」で、本当に間に合う?海外在住のお子さまの日本語教育で見落とされやすい「時間」の問題

September 6, 2026

「日本語は来年から」で、本当に間に合う?海外在住のお子さまの日本語教育で見落とされやすい「時間」の問題

日本語教室へのお問い合わせをいただいたご家庭とお話ししていると、時々こんなお話を伺います。

  • 「日本語は大切だと思っているのですが、今は習い事が忙しくて……」

  • 「今年は学校に慣れることを優先したいので、日本語は来年から考えようと思っています」

  • 「もう少し落ち着いたら、補習校か日本語教室を始めようと思っています」

その判断自体が間違っているとは思いません。海外で暮らす子どもたちは忙しいです。英語や現地語の学習、サッカーやピアノの習い事、オランダではチェスも人気がありますし、お友だちとのスリープオーバー(お泊まり会)もあります。

すべてをやらせることはできません。家庭ごとに優先順位が違うのも当然です。ですから、「今すぐ日本語教室へ通わせるべきです」という話をしたいわけではありません。

でも大切なのは、私の教室でなくとも、補習校やオンラインの教室などに通い、日本語を年齢と一緒に成長させる機会を、完全に止めないことだと思っています。

なぜなら、子どもの日本語には、大人の習い事とは少し違う「時間」の問題があるからです。


1年間休んでも、元の場所で待っていてくれるわけではない

例えば、大人がピアノを習っているとします。1年間忙しくなり、ピアノを休む。翌年再開したとき、多少忘れていることはあっても、基本的には自分が以前いたところから再スタートできます。ピアノそのものが、この1年間で小学4年生から小学5年生になったりはしません。

でも、子どもの日本語は違います。小学3年生で日本語学習を止めたとします。1年後、本人は小学4年生になります。当然、比較対象になる日本の子どもたちも小学4年生です。その間、日本の学校にいる子どもたちは、新しい漢字を覚え、新しい語彙を学び、より長い文章を読み、説明文を読み、理由を説明し、文章を書き、理科や社会を日本語で学んでいます。

つまり、こちらが止まっている間も、「年齢相応の日本語」の方は先へ進んでいます。ここが非常に重要です。

日本語学習を1年間休んだからといって、必ず日本語能力そのものが大きく低下するとは限りません。家庭で日本語を話していれば、日常会話はむしろ上達することもあります。

でも、本人の日本語が以前と同じくらいに保たれていても、同年代との距離は広がる可能性があります。

「落ちる」というより、「伸びる速度が違う」と考えた方が近いかもしれません。


小学3年生の日本語のまま、小学4年生になる

以前の記事でも書きましたが、小学3年生で話せる日本語は、小学3年生としては十分な日本語かもしれません。でも、それをそのまま小学6年生まで維持しても、小学6年生相当の日本語にはなりません。子どもの成長とともに必要な言葉が変わるからです。

低学年なら、「どっちが違う?」「何が先だった?」「どうして?」くらいだったものが、学年が上がるにつれて、「その理由は?」「具体例を挙げて」「二つを比較すると?」「原因は何だと思う?」「この資料から何が分かる?」「筆者の主張は?」「その意見の根拠は?」となっていきます。

さらに中学生になると、「客観的に考える」、「複数の立場を比較する」、「根拠の妥当性を考える」、「具体例から一般化する」といった、より高度な言語と思考が求められます。

つまり、日本語のゴールポストは毎年動いているのです。


「家では日本語だから、来年からでも大丈夫」

ここでよく出てくるのが、「でも家では日本語を話しているので、一年間くらい大丈夫ですよね」という考えです。

もちろん、家庭で日本語を話していることは大きな意味があります。でも、前回の記事でも書いたように、家庭で使う日本語と、読書や学習で使う日本語は、必ずしも同じではありません。

「今日学校どうだった?」「お腹すいた?」「早く寝なさい」「明日はサッカーだよ」という日本語を毎日使っていても、

  • 「原因」

  • 「傾向」

  • 「根拠」

  • 「対照的」

  • 「影響」

  • 「一方で」

  • 「にもかかわらず」

といった言葉を使う機会は、それほど多くありません。つまり、日常会話の日本語は毎日使っていても、学習に必要な日本語はあまり使っていないという状態が起こり得ます。

そのため、「日本語を話しているから日本語学習は止まっていない」とは、必ずしも言えません。


実際、日本語を継承語として育つ子どもの語彙には差が生まれる

以前の記事でも紹介した、日本語を継承語として育てている子ども427人を対象とした研究があります。2025年に『Child Development』に掲載された研究です。この研究では、日本語を継承語として育つ子どもと、日本語環境で育つ子どもの語彙発達を比較しています。

その結果、グループとして見ると、幼児期には大きな差が見られなかったものの、5歳7か月頃から語彙得点の差が現れ、その差は調査対象となった青年期まで続いていました。もちろん、これは、「海外に住むと5歳7か月から日本語が遅れる」という意味ではありません。この研究の参加者は主に英語圏・ドイツ語圏で育った日本語継承語話者であり、個人差も非常に大きくあります。

むしろ重要なのは、幼い頃には日本語環境で育つ子どもとの差が見えにくくても、年齢が上がるにつれて語彙発達の違いが表面化することがあるという点です。これは、教室で子どもたちを見ている実感とも重なります。


低学年では「大丈夫」に見える

これが、この問題を難しくしています。小学校低学年の年齢では日本語で普通に話している。祖父母とも話せる。日本のアニメも分かる。簡単な本も読める。だから、「日本語は大丈夫そう」に見えます。

そして、「今は英語を優先しよう」「サッカーを続けたい」「ピアノもあるし」「日本語は来年からでもいいかな」となります。

ところが小学5年生、小学6年生になる頃、日本の同年代向けの文章を読ませてみると、

  • 知らない言葉が急に増える。

  • 文章を読む速度が遅い。

  • 説明文になると理解しにくい。

  • 「どういう意味?」と聞かれても説明できない。

ということが起こる場合があります。本人の日本語が突然悪くなったのではありません。周囲の日本語の方が先へ進んだ結果、差が見えるようになってきた可能性があります。


「来年から」が、何年も続く家庭がある

教室を運営していて、少し気になることがあります。「今年は忙しいので、来年から」とお話しされていたご家庭が、翌年になると往々にしてもっと忙しくなっていることです。学年が上がれば、学校の宿題も増えます。スポーツも本格的になります。音楽を続けていれば練習時間も増えます。友人関係も重要になります。Secondary Schoolへ進めば、さらに忙しくなります。

つまり、「来年になれば時間ができる」とは限りません。むしろ、私が教室を通じて見てきた範囲では、学年が上がるにつれて、日本語を新しく生活に入れることの方が難しくなるケースがほとんどです。

小学2年生なら、「土曜日は日本語の本を読む」という習慣を比較的作りやすい。

でも中学1年生になって突然、「今日から毎週日本語を勉強しよう」と言われても、本人にとっては、「なぜ今さら?」となるかもしれません。

時間の問題だけではありません。生活習慣の問題にもなるのです。


一度離れた日本語を「勉強」に戻すのは意外に大変

幼い頃から日本語の本を読むことが日常に入っている子にとって、日本語の読書は、「勉強」ではありません。本を読むだけです。日本語で話すことも、「日本語学習」ではありません。普通に話しているだけです。

でも数年間、日本語で読み書きをほとんどしなかった後で再開すると、日本語は突然、「追加の勉強」になります。

学校では英語やオランダ語で十分勉強している。その後漢字を覚える、日本語の本を読む、作文や感想文を書く

本人からすると、「なぜ?」となります。しかも、その時点では日本語の本が難しくなっています。同年代向けの本は読みにくい。でも簡単な本では内容が幼すぎて面白くない。これは海外で日本語読書を再開するときに、よく起こる問題です。知的な年齢と、日本語で読める本の年齢が合わなくなるのです。

12歳なのに、日本語では7~8歳向けの文章しか楽に読めない。でも12歳の本人は、その内容には興味を持てない。だから読まない。読まないので、さらに読む力が伸びない。こうした循環に入ると、日本語を再開するハードルは一段高くなります。


だから「少しだけ続ける」ことに意味がある

では、海外にいる間、日本の学校と同じだけ国語をやらなければならないのでしょうか。私はそうは思いません。家庭によって目標は違います。日本へ数年後に帰る家庭や海外で高校まで過ごす家庭、永住する家庭など、様々で、それぞれ必要な日本語は違います。

でも、日本語を将来も使える言語として残したいのであれば、ゼロにしないことには大きな意味があると思います。

週に何時間も勉強できなくても、

  • 本を読む

  • 日本語で日記を書く

  • 祖父母に文章を送る

  • 漫画を読む

  • 日本のニュースを一緒に見る

  • 漢字を少し続ける

  • 日本語のオーディオブックを聞きながら文字を追う

  • 補習校へ行く

  • 日本語教室へ通う

何でも構いません。重要なのは、本人の日本語に、新しい言葉と新しい文章が入り続ける状態をつくることです。


「週1回で意味があるの?」という質問

これも時々聞かれます。「週1回、日本語をやるだけで意味がありますか?」もちろん、週1時間だけで日本の学校に毎日通っている子どもと同じ日本語環境を作ることはできません。

でも私は、週1回そのものより、そこから日常へ何がつながるかが重要だと思っています。例えば、一冊の本を読み始めると、面白くなって家でも続きを読み知らない言葉に出会う。次の本を手に取るようになり、そこで覚えた表現を家庭で使うこともあるでしょう。そうなると、日本語との接触は週1時間ではなくなります。

逆に、週1回教室へ行っていても、それ以外の6日間、日本語の文章を全く読まないのであれば、できることには限界があります。ですから、「何時間日本語を習っているか」だけでなく、「日本語が生活の中に残っているか」を見る方が大切だと思います。


読書を続けている子には、違う景色が見えることがある

教室には、幼い頃から海外で育っているにもかかわらず、非常に高い日本語力を持つお子さまもいます。そうしたお子さまたちを見ていると、共通していることがあります。もちろん全員ではありませんが、日本語の本を継続的に読んでいることです。

家庭には日本語の本がたくさんある。日本へ行ったら本を買って帰る。図書館を利用する。本人も読書することに抵抗がない。そして結果として、年齢とともに読んでいる本も少しずつ難しくなっていく。

日本語を継承語として育てる子どもを対象にした2025年の研究でも、日本語での読書・作文・宿題などのLiteracy活動は、日本語の自己・保護者評価による能力と関連していました。また、日本で過ごすなどの集中的な日本語環境は語彙得点とも関連していました。

さらに、米国の15~18歳の日本語継承語話者を対象とした研究では、日本語で楽しみのために読書する頻度が、日本語語彙力を予測する要因の一つになっていました。もちろん、「本を読めば必ず日本語が高くなる」という単純な因果関係ではありません。本が好きだから読む。日本語が得意だから読む。親の働きかけがあるから読む。さまざまな要因が絡みます。

それでも、日本語で読み続けることが、年齢とともに日本語を成長させる重要な環境の一つであるとは言えそうです。


日本語学習は「追いつく」より「離れすぎない」方が楽

私は、この点を保護者の方に一番伝えたいと思っています。日本語教育では、「必要になったら取り戻せばいい」と考えがちです。もちろん、後から伸ばすことはできるでしょう。子どもには大きな学習能力がありますし、日本語環境へ戻ることで急速に伸びるケースもあります。だから、「今やらなければ取り返しがつかない」と不安を煽る必要はありません。

ただ、小学3年生のときに少し離れている状態から戻るのと、中学1年生になって何年分もの読み書きや語彙の差を一度に埋めようとするのとでは、必要な負荷が違います。後者では本人の学校生活も忙しくなり、扱う文章も難しく、必要な漢字も増えています。本人の「日本語を勉強する理由」も必要になります。

だから私は、「後から一気に追いつく」より、「大きく離れないように少しずつ続ける」方が、子どもにとっても家庭にとっても負担が少ないと思っています。


日本語よりサッカーを選ぶ。それも家庭の選択です

ここは大切なので、はっきり書いておきたいと思います。子どもの時間は有限です。サッカーが大好きなら、サッカーを優先する。音楽の才能があるなら、音楽に時間を使う。英語を最優先にする。それも、家庭として十分にあり得る選択です。すべての海外在住の子どもが、日本の同年代と同じ日本語力を持たなければならないとは思いません。

大切なのは、何を選び、何を手放しているのかを理解したうえで選択することだと思います。

「日本語は今やらなくても、必要になったらすぐ戻るだろう」と思って日本語を止めることと、「日本語の読み書きには一定のギャップが生まれる可能性がある。それでも今は他のことを優先する」と理解して選ぶことは違います。後者なら、家庭としての教育方針です。そして、「完全にやめるのではなく、週末に本だけは読もう」という中間の選択もできます。教育には、0か100かしかないわけではありません。


日本語を始める「完璧なタイミング」は、なかなか来ない

  • 「学校に慣れたら」

  • 「英語が落ち着いたら」

  • 「サッカーが一段落したら」

  • 「来年になったら」

  • 「Secondaryに入ったら」

そう考えているうちに、時間は過ぎていきます。そして子どもは成長します。小学3年生は小学4年生になり、小学4年生は小学5年生になります。日本語も、それに合わせて成長する必要があります。だからたくさんやる必要はありません。完璧にやる必要もありません。日本の学校と同じことをすべてやる必要もありません。でも、「日本語だけは来年から」と完全に止める前に、一度考えてみてほしいと思います。

来年になったとき、戻る場所は今と同じでしょうか。お子さま自身は一歳成長しています。同年代の日本語も一歳分成長しています。そして、日本語を再び生活に入れるための時間は、本当に増えているでしょうか。

日本語教育で大切なのは、一気に追いつくことではなく、本人の成長と一緒に、日本語も少しずつ前へ進ませておくことなのかもしれません。


参考資料

  • Kubota, M. et al. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340.

  • Mori, Y. & Calder, T. M. (2017), The Role of Parental Support and Family Variables in L1 and L2 Vocabulary Development of Japanese Heritage Language Students in the United States, Foreign Language Annals.

まずは無料体験から
Sakura国語の教室で日本語力を伸ばそう

その他のコラムを読む

国際バカロレアDPでJapanese Aを選べる日本語は、どう育てる?|在外のお子さまが中学生までにしておきたいこと

2026.10.29

国際バカロレアDPでJapanese Aを選べる日本語は、どう育てる?|在外のお子さまが中学生までにしておきたいこと

IBDP – Japanese Aの準備は、IBの問題集を解くことから始まるわけではない 前回の記事では、IB Diploma Programme(DP)の言語選択について、Japanese A、English A、Language B、School-Supported Self-Taught(SSST)などの違いを取り上げました。 その中で一番お伝えしたかったのは、「日本人だからJapanese Aを選べる」とは限らない、ということです。家庭で日本語を流暢に話していても、Japanese Aでは文学作品やさまざまな文章を読み、分析し、自分の解釈や意見を根拠とともに文章や口頭で表現する力が必要になります。では、将来Japanese Aを選択肢として残したい場合、小学生や中学生のうちから何をしておけばよいのでしょうか。 ここで最初に強調しておきたいのは、中学生からIBの試験対策を始める必要はないということです。Paper 1の書き方を覚える。Paper 2の過去問を解く。文学用語を暗記する。そうしたことを早く始めるのが目的ではありません。むしろ大切なのは、もっと基本的なところです。 年齢相応の日本語の文章を読める。読んだ内容について「なぜそう思うのか」を説明できる。文章の中から自分の考えを支える部分を見つけられる。そして、自分の考えをある程度まとまった文章として書ける。こうした力を中学生までに少しずつ育てておけば、16歳になってDPへ進んだとき、Japanese A特有の学び方にも入りやすくなります。 Japanese Aでは、「読める」の意味が変わる IBのLanguage A: Literatureでは、SL(Standard Level)で7作品、HL(High Level)では10作品を学びます。単に作品を最後まで読むだけではなく、表現、構成、文脈、作者の選択などを分析し、それについて文章や口頭で考えを示します。Language A: Language and Literatureでも、SLでは4作品、HLでは6作品の文学作品に加え、さまざまな非文学テキストを扱います。 さらに現行の評価では、初めて見る文章をその場で分析するPaper 1、二つの作品を比較して論述するPaper 2、Individual Oralがあり、HLではHigher Level Essayも加わります。つまりJapanese Aでいう「読める」は、 「漢字が読める」 「内容が分かる」 だけではありません。例えば小説を読んで、「主人公は最後に考え方を変えた」と理解できるところから、 「なぜ作者は、この場面の前後で主人公の描写を変えたのか」 「その変化は作品全体のテーマとどう関係しているのか」 「それを文章中のどの表現から説明できるのか」 まで考えていく必要があります。 もちろん、小学生や中学生にいきなりIBレベルの文学分析を求める必要はありません。しかし、「何が書いてあった?」で終わらず、「なぜ?」「どこからそう思った?」まで考える習慣は、もっと早い時期から作ることができます。 まず必要なのは、年齢に合った文章を最後まで読む力 在外のお子さまで最初に難しくなりやすいのは、文学分析以前に、年齢相応の日本語の本を一冊読み通すことです。 学校では英語やオランダ語で毎日文章を読んでいる一方、日本語では漫画や短いSNS、家族からのメッセージくらいしか読まないということも珍しくありません。すると、日本語自体は流暢に話せても、数十ページ、100ページと続く文章を日本語で追い続けることに慣れていない、という状態が起こります。 ここで大切なのは、いきなり「中学2年生だから中学2年生向けの名作を読ませる」と考えないことです。 これまでの記事でも書いてきましたが、在外のお子さまの場合、本人の知的な興味と、日本語で無理なく読める文章のレベルが一致していないことがあります。内容としては中学生向けのテーマに興味があるのに、日本語では小学校高学年向け程度の文章の方が読みやすい、ということもあります。 その場合には、まず本人が「読みたい」と思えるテーマを優先しながら、日本語で一冊読み切る経験を増やす方がよいと思います。 2025年に発表された427人の日本語継承語話者を対象とした研究でも、日本語での読書や作文、宿題などを含む読み書きの経験は、日本語の語彙力との関連を示す重要な要素の一つでした。家庭で日本語を話していることだけでなく、日本語を文字として使う経験にも意味があることが示されています。ですからJapanese Aを将来考えるとしても、最初にやるべきことはIB対策ではなく、日本語で読むことを日常から消さないことだと思います。 もし今、日本語の本をほとんど読んでいないなら ここまで読んで、「うちの子は、もう日本語の本をほとんど読んでいない」、「勧めても『日本語は面倒』と言われてしまう」と感じたご家庭もあるかもしれません。 実際、小学校高学年から中学生にかけて日本語の読書が途切れるのは、在外家庭ではとてもよくあることです。学校の課題は英語や現地語で増え、友達との時間も増え、日本語の本はどうしても後回しになります。 その場合、まず目指したいのは「年齢相応の本を読ませる」ことではなく、日本語で読むことへの抵抗を下げることです。 例えば、本人がすでに英語で読んで好きだった作品の日本語版を手に取ってみる。アニメや映画で知っている作品の原作を読んでみる。サッカー、ゲーム、料理、動物など、本人の興味がある分野のノンフィクションや短い読み物から始める。漫画も、日本語の文字に触れる入口としては十分に意味があります。 この段階では、読み終えたあとに内容を確認する質問をしすぎない方がよいと思います。「読んだら試される」と感じると、日本語の本はさらに遠ざかります。最初は「面白かった?」くらいで十分です。 もう一つ大切なのは、中学生になってから再開しても遅すぎるわけではないということです。会話の日本語が残っている子どもは、読む量が戻ってくると語彙や読む速さも比較的早く戻ってくることがあります。ただし、それには一定の期間が必要です。DP直前ではなく、気づいた今から少しずつ始めることに意味があります。 家庭だけでは読む時間を確保しにくい場合には、日本語で本を読むこと自体を習慣にできる場を外に持つのも一つの方法です。私たちの「読書で育てる国語力」のクラスでも、教室の中で実際に本を読む時間を取り、そこから語彙力、読解力、読む速さを少しずつ育てています。 「あらすじ」から「なぜそう思うのか」へ進む 本を読んだ後に、「何が書いてあった?」と聞くと、内容を説明できる子はたくさんいます。 これは大切な力です。 しかし、中学生くらいから少しずつ、その先へ進めてみてもよいと思います。例えば、 「この中で一番印象に残った場面は?」 「どうしてそこが印象に残った?」 「主人公は、なぜその行動をしたと思う?」 「別の登場人物から見たら、この出来事はどう見える?」 「その考えは、文章のどこから分かる?」 といった問いです。 ここで重要なのは、正解を当てさせることではありません。自分の考えを出し、その理由を言葉にすることです。さらに、その理由を本文の中から探すようになると、「私はこう思う」だけだったものが、「私はこう考える。なぜなら、この場面で登場人物がこう言っているから」へ変わっていきます。 これはJapanese Aだけに必要な力ではありません。学校でのエッセイ、ディベート、プレゼンテーション、大学でのレポートなど、さまざまな学習へつながる力です。 「感想を書く」から、「考えを組み立てる」へ 日本語の作文というと、「夏休みの思い出」「遠足の感想」「本を読んでどう思ったか」といったものをイメージすることがあります。もちろん、こうした作文にも意味があります。 しかし中学生くらいからは、少しずつ自分の意見を構造化する文章にも触れていった方がよいと思います。例えば、「学校では宿題を減らすべきだと思いますか」という問いについて、「私は減らした方がいいと思います。大変だからです。」で終わるのではなく、 「私は宿題を減らすべきだと考える。理由は、量が多すぎると自分で学習方法を選ぶ時間がなくなるからだ。例えば……」 と、意見、理由、具体例をつなげていく。 反対に、「宿題には学習習慣を維持するメリットもある」 という別の立場についても考える。 こうなると作文は、単に日本語を書く練習ではなく、考えを整理する練習になります。 在外の日本語継承児童の作文発達を小学校4年生から中学3年生まで追った事例研究でも、日本語の語彙や漢字表現には難しさが残る一方、接続表現や文章構造、論理的なまとまりは発達していく様子が報告されています。 この研究は一人の子どもを追跡した事例なので一般化はできませんが、非常に興味深い点があります。それは、漢字や語彙が完璧でなくても、文章を構造化して考えを伝える力は育てられるという点です。 Japanese Aを意識する場合も、漢字の正答率だけを追うのではなく、「この子は日本語で一つの考えを最後まで組み立てられるか」を見ていくことが重要だと思います。 漢字を全部書けることより、文章を読んで考えられること 在外のお子さまの日本語教育では、どうしても漢字が目立ちます。 学年配当漢字を何字覚えたか。 漢字テストで何点取ったか。 日本の同学年と比べてどこまで進んでいるか。 もちろん漢字は、日本語を読むうえで重要です。ある程度の漢字が読めなければ、年齢相応の文章にアクセスすること自体が難しくなります。ただ、Japanese Aを考えるときに、「小学校6年生までの漢字を全部書けるから大丈夫」とも言えません。 逆に、漢字の手書きに多少苦労していても、文章を読み、意味を理解し、その内容について深く考えられるお子さまもいます。 私は、在外のお子さまについては特に、「漢字を書く力」と「日本語で学ぶ力」を分けて見ることが大切だと思っています。スマートフォンやコンピューターで文章を書くことが増えた現在、漢字を手書きできることだけが日本語の読み書きの力ではありません。もちろん書字を完全に捨てる必要はありませんが、限られた学習時間の中で、 漢字ドリルを30分増やすのか。 それとも、日本語の本を30分読むのか。 文章について親子で話すのか。 短い意見文を書くのか。 という選択になった場合、Japanese Aにつながる力という観点では後者にも大きな意味があります。 小説だけ読んでいればよいわけでもない Japanese Aと聞くと、「文学をたくさん読ませなければ」と考えるかもしれません。確かにLanguage A: Literatureでは文学作品が中心です。しかしLanguage A: Language and Literatureでは、文学作品だけでなく、さまざまな非文学テキストも扱います。現在のコースでも、文章の目的、読者、文脈などを意識しながら、テキストがどのように意味を作っているかを批判的に読むことが重視されています。 ですから、中学生の段階では小説だけでなく、 ニュース記事 エッセイ 人物のインタビュー 科学や社会についての説明文 広告 新聞のコラム といった文章にも日本語で触れるとよいと思います。 例えば、同じニュースについて二つの記事を読んで、 どちらの記事の方が肯定的に書いている? 「タイトルの付け方はどう違う?」 「誰に読んでもらうことを想定していると思う?」 と話してみる。 これだけでも、文章を「情報の入れ物」として読むところから、書き手の意図や表現まで考えて読む方向へ少しずつ進むことができます。 「二つを比べる」経験も増やしてほしい Japanese AのPaper 2では、二つの作品をもとに比較論述を行います。もちろん、中学生にPaper 2の練習をさせる必要はありません。ただ、「一つについて考える」だけでなく、二つを比べる経験は早めに作ることができます。 例えば、同じ戦争を扱った二つの作品 同じスポーツ選手について書かれた二つの記事 同じニュースを報じる二つの新聞 同じテーマについての賛成・反対の意見 こうしたものを読み、 「共通しているところは?」 「違うところは?」 「なぜ違うと思う?」 「どちらの方が説得力がある?」 と考えてみる。この「比較する」という作業は、思っている以上に高度です。一つ目の文章を理解し、二つ目も理解したうえで、両者の共通点と相違点を抽象化しなければならないからです。この力はIBだけではなく、大学で資料を比較したり、社会の中で複数の意見を判断したりするときにも必要になります。 口頭で「きちんと説明する」経験も必要になる 在外のお子さまで見落とされやすいのが、日本語でフォーマルに話す経験です。家庭では日本語を流暢に話していても、会話の相手は家族です。「あれさ、今日学校でさ……」と言えば、親は背景を知っていますし、「○○君のこと?」と補ってくれます。 でも、Japanese AのIndividual Oralのような場では、相手が補ってくれることを前提にはできません。自分で話の順序を作り、必要な背景を説明し、分析した内容を筋道立てて伝える必要があります。Language Aのコース自体も、書くだけでなく口頭で分析や考えを表現する力を重視しています。 ですので中学生くらいから、時々、 「その本について、読んでいない人にも分かるように3分で説明してみて」 「あなたの意見と、その理由を説明して」 というような機会を作ることにも意味があります。 日本語でプレゼンテーションをする。 家族に本を紹介する。 日本の祖父母に学校で学んだことを説明する。 テーマを一つ決めて短いスピーチをする。 大げさな授業にする必要はありません。家庭会話以外の日本語を使う場所を作ることが重要なのだと思います。 中学生のうちに、どこまでできればよいのでしょうか ここまで読むと、「では中学3年生までに、どのレベルまで行けばJapanese Aを取れるのですか?」と思うかもしれません。 残念ながら、これには明確な点数や学年基準はありません。IBにも、「中学生でこの漢字が読めればJapanese Aに進める」「800字書ければ履修できる」といった基準はありません。また、学校によって履修判断も異なります。 ですから、私はJapanese Aの準備を一つのテストで判断するのではなく、いくつかの力の組み合わせとして見るのがよいと思っています。 例えば14~15歳くらいになったとき、年齢に大きく外れない日本語の本を一冊読み通すことができ、その内容について自分の考えを説明できる。文章の中から、その考えを支える部分を探せる。社会的なテーマについて、自分の意見、理由、具体例をある程度まとまった文章にできる。そして一つのテーマについて、数分間、日本語で順序立てて説明できる。 これらがすべて完璧である必要はありません。むしろ、 読む力はかなりあるけれど、書く経験が少ない 会話は強いけれど、文章になると語彙が足りない 作文はできるけれど、日本語の本をほとんど読んでいない というように、その子なりの得意・不得意の形が見えてくるはずです。 語彙や読解の現在地を客観的に知りたい場合には、私たちの教室で行っている読書指数診断のような測定も、一つの材料になります。Japanese Aへの適性を判定するものではありませんが、家庭での印象だけでは見えにくい部分を確認できます。そこが分かれば、残りの1~2年で何を補えばよいのかを考えられます。 Japanese Aを目指さない家庭にも、同じ力には意味がある ここで一つ誤解してほしくないことがあります。この記事は、「在外日本人ならJapanese Aを取るべき」という話ではありません。 English Aを選ぶ家庭もありますし、日本語は家庭言語として残し、学校教育は英語を中心に進めるという選択もあります。それは十分に合理的です。またJapanese Aを選ばないから、日本語教育に失敗したということでもありません。 ただ、ここまで取り上げてきた、 日本語で年齢相応の文章を読む 内容について考える 自分の意見と理由を説明する 文章を書く 複数の情報を比較する という力は、Japanese Aを履修しなくても無駄にはなりません。 将来日本の大学へ進む 日本語で仕事をする 日本のニュースや本を読む 日本に住む 家族や社会と日本語で複雑な話をする そうした場面で使える力だからです Japanese Aは、その力をどこまで育てるかを考える際の、一つの具体的な将来像として捉えるくらいがよいと思います。 親がJapanese Aの先生になる必要はない では、家庭では毎日本を読ませ、作文を添削し、文学について質問し続けなければならないのでしょうか。私はそうは思いません。親が先生になりすぎると、日本語そのものが「勉強の言葉」になってしまうことがあります。 親にできる最も大きなことは、日本語を使う材料と機会を用意することだと思います。本人が興味を持ちそうな本を家に置く。日本語で読めるニュースを送る。一緒に映画を見て感想を話す。「それはなぜ?」と、ときどき聞いてみる。日本の家族と少し深いテーマについて話す機会を作る。 時間の目安としては、毎日長時間取り組む必要はありません。例えば週に数回、1回20~30分ほど日本語で読む時間があるだけでも、まったく読まない状態とは大きく違います。大切なのは量よりも、日本語で読むことが途切れないことです。 また、国際結婚などで日本語を話す親が一人だけの家庭や、仕事で時間を取りにくい家庭もあると思います。その場合は、すべてを家庭の中で完結させようとしなくて大丈夫です。日本の祖父母とのオンライン通話、補習校や日本語の教室の友達など、家庭の外に日本語を使う相手や場所を持つことも、立派な環境づくりです。 そして、本格的に文章の読み方や書き方、考えの組み立て方が必要になった段階では、学校の先生や専門の指導者に任せる。家庭は日本語を育てる環境を作り、教育者は技術を教える。そのくらいの役割分担でよいと思います。 私たちの教室でも、この記事で書いてきた「読む」と「考えて表現する」を、二つのクラスに分けて育てています。小学生から高校生を対象とした「読書で育てる国語力」では、教室で実際に本を読み、語彙力、読解力、読む速さを伸ばしながら、論理的に考えるための土台となるインプットを育てます。そのうえで中学生も対象としたロジカルシンキング教室では、読書で得た語彙力や読解力をもとに、意見と理由を組み立てて書く、異なる立場を比べる、人に分かるように説明するといったアウトプットを練習します。小学生のお子さまには、考える・話す・書く力を少人数で育てる「日本語での表現クラス」もあります。 SSSTを考えている家庭ほど、早めに自立した読書力を 前回の記事で触れた通り、学校にJapanese Aがない場合、Language A: Literature SLであればSchool-Supported Self-Taught(SSST)という選択肢があります。ただし、SSSTはSLのみであり、学生には学校と外部の指導者による支援が必要です。IBのガイドでも、SSSTの学生は通常のSLと同じ基本的なシラバス要件を満たすことが求められています。これは「先生がいないから簡単なJapanese A」という意味ではありません。 むしろ日本語の授業が学校内に通常の形で存在しない分、自分で作品を読み、課題を進める力がより重要になる場合があります。そのため将来SSSTの可能性があるご家庭ほど、中学生のうちから、「日本語の本は、誰かに読めと言われなければ読まない」という状態から、自分で日本語の本を読み、自分で内容について考えられる状態へ少しずつ移していく意味があります。 「Japanese A対策」ではなく、日本語を年齢と一緒に育てる ここまでJapanese Aについて書いてきましたが、結局のところ、特別なことを言っているわけではありません。 小学生のときには、小学生なりの本を読む。中学生になったら、中学生なりのテーマについて読む。少しずつ、感想だけでなく理由を説明する。自分と違う意見も読む。文章を書く。人に分かるように説明する。つまり、本人が成長するのと一緒に、日本語でできることも成長させていく。それだけです。 在外のお子さまの場合、学校で使う英語や現地語は、学校生活とともに自然に年齢相応へ引き上げられていきます。Grade 6になればGrade 6の文章を読み、Grade 8になればGrade 8のエッセイを書きます。 しかし日本語は、家庭で会話しているだけでは、同じ仕組みが自動的にはありません。だからこそ日本語については意識的に、「今、この子は13歳だけれど、日本語でも13歳らしいことを読んだり考えたりしているだろうか」と、ときどき確認してみる。私は、それが一番大切なのだと思っています。 そのうえで、DP開始の1~2年前になったら、学校のDP CoordinatorやLanguage A担当者に相談し、現在の日本語でJapanese Aが現実的なのか、SLとHLのどちらが適切なのか、学校にJapanese Aがあるのか、SSSTになるのか、何を補強する必要があるのかを確認する。15~16歳になって初めて「日本人だからJapanese Aにする?」と考えるより、その方がずっと本人に合った選択ができます。 Japanese Aを選べるかどうかは、その結果の一つにすぎません。選ばなかったとしても、それまで育ててきた日本語が無駄になることはありません。日本語で本を読み、考え、書き、人に説明できる力そのものが、その子に残ります。 これまでこの連載で何度も書いてきた、「日本語を維持する」のではなく、「本人の年齢と一緒に日本語も成長させる」。IBのJapanese Aという進路を考えると、その意味がさらに具体的に見えてくるのではないでしょうか。 参考資料 International Baccalaureate, Language A: literature International Baccalaureate, Language A: language and literature International Baccalaureate, Examiner Instructions 2026 — Language A International Baccalaureate, Language A: literature guide Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340. 外山千咲・柴山真琴・高橋登・池上摩希子(2019)「継承日本語学習児における二言語作文力の発達過程」『日本語教育』172, 102–117.

IBでは二言語必要?|在外日本人家庭がDP進学前に知っておきたい言語選択

2026.10.13

IBでは二言語必要?|在外日本人家庭がDP進学前に知っておきたい言語選択

「日本人だからJapanese A」「インター校だからEnglish A」とは限らない 前回の記事では、IB Diploma Programme(DP)では教科の難しさだけでなく、自分で課題を管理し、調査し、文章を書き、複数の締め切りを同時に管理する力が求められるため、高校から突然DPへ進む場合には、学習方法そのものへの準備が必要だと書きました。 そして、在外日本人家庭がDPを考える際には、もう一つ早い段階から考えておいた方がよいことがあります。それが言語の選択です。 「インター校に通っているからEnglish Aでいいのでは?」「日本人なのだからJapanese Aを取ればいい」「IBでは第二外国語が必須らしい」といった話を聞くことがありますが、DPの言語選択はそれほど単純ではありません。 特に海外で育つ日本人のお子さまの場合、家庭では日本語を流暢に話し、学校では英語で学んでいるというケースが少なくありません。そのため、一見すると「日本語も英語もできるから問題ない」と思えます。しかしDPで問われるのは、日常会話ができるかだけではなく、その言語で複雑な文章を読み、分析し、根拠を示しながら自分の考えを論理的に表現できるかという力です。 ここでも、これまでこの連載で繰り返し考えてきた「話せる言語」と「学べる言語」は必ずしも同じではない、という問題が出てきます。 DPでは、本当に二言語必要なのでしょうか 結論から言うと、DPでは少なくとも二つの言語を学びます。IBでは、Studies in Language and Literatureから少なくとも一つの言語科目を履修し、さらに別の言語を学ぶことが求められています。一般的には、もう一つをLanguage Acquisitionから選びますが、異なる二言語でStudies in Language and Literatureを二科目履修することで、第二言語の要件を満たすこともできます。 例えば、English AとFrench Bという組み合わせもあれば、English AとJapanese Aという組み合わせも可能です。 ここで一つ区別しておきたいのが、「DPで二言語を学ぶこと」と「Bilingual Diplomaを取得すること」は別の話だという点です。 Bilingual Diplomaは、異なる二つのLanguage AでそれぞれGrade 3以上を取得する場合、またはLanguage Aとは異なる言語でIndividuals and SocietiesやScienceの対象科目を履修し、所定の条件を満たした場合などに授与されます。単に二言語を履修しているだけで、自動的にBilingual Diplomaになるわけではありません。 Bilingual Diplomaを取ること自体を目標にする必要もありません。大切なのは、その科目構成が本人の言語力と将来の進路に合っているかどうかです。 Language Aは「国籍の言語」を選ぶ科目ではない 在外日本人家庭にとって、最も誤解が起きやすいのがLanguage Aだと思います。 Language Aという名前を見ると、「母語」や「国籍の言語」のように感じるかもしれません。しかしIBは、Studies in Language and Literatureを、Academicに十分な能力を持つ言語で履修する科目として位置づけています。 Language A: Literatureでは文学作品を読み、表現、構成、視点、文脈などを分析し、自分の解釈を文章や口頭で論理的に示します。Language A: Language and Literatureでは、文学だけでなくさまざまな種類のテキストを扱い、言葉がどのように意味を生み、社会や文化と関係しているのかも考えます。 Japanese Aには現在、Language and LiteratureとLiteratureの両方があり、SL・HLの双方が設定されています。またJapanese BもSL・HL、Japanese ab initioはSLとして用意されています。 したがって、「日本人だからJapanese A」という決め方は必ずしも適切ではありません。 家庭で日本語を話していることは大きな土台ですが、Japanese Aで必要になるのは、それに加えて日本語で高度な読み書きと分析ができることです。 同じことはEnglish Aにも言えます。インターナショナルスクールに何年も通い、友達と自然に英語で話し、普段の授業を英語で受けられることと、初めて読む文学作品や複雑な文章を分析し、根拠を示しながら論を構築することは同じではありません。 EALを卒業していることとも別です。 つまり、Japanese AとEnglish Aのどちらを選ぶかを考えるときに見るべきなのは、「どちらを流暢に話すか」だけではなく、どちらの言語なら高度な文章を読み、分析し、書けるのかという点です。 Japanese Aでは、実際に何をするのでしょうか ここは、具体的に見た方が分かりやすいと思います。 現行のLanguage Aの評価では、Paper 1、Paper 2、Individual Oralがあり、HLではHigher Level Essayも課されます。 Paper 1では、事前に学習していない文章が提示され、その場で文章を読み、作者の表現や構成がどのように意味を作っているのかを分析して論述します。SLでは二つの文章から一つを選んで分析し、HLでは二つの文章について分析します。つまり、「文章の意味が分かった」だけではなく、なぜそのように書かれているのか、それが読者にどのような効果を生んでいるのかまで考える必要があります。 Paper 2では、授業で学んだ二つの文学作品を使い、提示された問いに対して比較論述を行います。二作品のあらすじを説明するのではなく、内容や形式、作者の選択などを比較しながら、一つの論として文章を組み立てることが求められます。 さらにIndividual Oralでは、作品やテキストについて分析した内容を口頭で論理的に提示します。HLではこれに加えてHigher Level Essayがあります。 こうして具体的に見ると、「日本語で家族と問題なく会話できる16歳」と、「Japanese Aで学べる16歳」の間に、どのような違いがあるのかが見えてきます。 例えば、祖父母や友達とは日本語で自然に話せる一方、日本語の小説をほとんど読んでおらず、評論や説明文にも触れていない。また、日本語である程度まとまった文章を書き、自分の考えを根拠とともに論述した経験もほとんどない、というお子さまの場合、会話力が高くてもJapanese Aには別の準備が必要でしょう。 これは、この連載の以前に取り上げた「『日本語を話せる』と『日本語を読める・書ける』は別の力」という問題が、DPでは非常に具体的な形で現れる例だと思います。 Language Bは「簡単なLanguage A」ではない もう一つ誤解されやすいのがLanguage Bです。 Language Bは、Language Aを少し簡単にした科目ではありません。すでにある程度学習経験のある言語をさらに伸ばすためのLanguage Acquisition科目で、SLとHLがあります。HLではSLより高い言語運用能力が求められ、文学作品も扱います。 一方、Language ab initioは、その言語を全く、またはほとんど学んだ経験のない学生を対象にした科目で、SLのみです。IBも、すでに日常的な話題について聞いたり読んだりして理解・応答できる学生をab initioへ配置することは、適切なAcademic Challengeにならないとしています。 したがって、「Japanese Aは難しそうだからJapanese ab initioにすればいい」という選び方が自由にできるわけではありません。 どのレベルが適切なのかは、国籍ではなく、それまでの学習歴や実際の言語能力を踏まえて学校側が判断します。在外日本人のお子さまで日本語が家庭言語になっている場合、Japanese Bやab initioを当然に選択できるとは限らないという点には注意が必要です。 学校にJapanese Aがない場合――SSSTには重要な制限がある 在外日本人家庭で実際に起こりやすいのが、「本人には日本語力があるけれど、通っている学校ではJapanese Aを開講していない」という問題です。 その場合、学校によってはSchool-Supported Self-Taught(SSST)という仕組みを利用できることがあります。 ただし、ここには非常に重要な制限があります。 SSSTで履修できるのはLanguage A: LiteratureのSLのみです。 HLでは利用できず、Language A: Language and LiteratureにもSSSTは適用されません。IBのLanguage A: Literatureガイドでも、SSSTの対象はSLのみと明記されています。また、学校側にはSSSTの学生を支援する体制を用意することが求められます。 つまり、学校にJapanese Aの授業がなく、将来Japanese A HLを取りたいと考えている場合、「SSSTで対応すればいい」というわけではありません。 また、外部の日本語教師を家庭で探し、その先生から授業を受ければ自動的にIBのJapanese Aとして認められる、という仕組みでもありません。SSSTはあくまでIB World Schoolが制度として支援する科目です。 そのため、Japanese Aを将来の選択肢として考えているのであれば、DPが始まる直前ではなく、中学生のうちから学校のDP Coordinatorに、Japanese Aを開講しているか、SL・HLのどちらがあるのか、SSSTに対応しているか、必要な外部支援や追加費用があるか、といった点を確認しておくことをおすすめします。 日本の大学へ進学する場合、Japanese Aが実際の出願条件になることもある IBの言語科目は、Diplomaを取るためだけに選ぶものではありません。その先の大学入試にも関係する場合があります。 在外日本人家庭にとって特に知っておきたいのが、日本の大学へ進む可能性を残す場合です。 例えば、国際基督教大学(ICU)の2027年度総合型選抜「IBDP利用」では、IB Diplomaの取得・取得見込みに加えて、「日本語A」を履修済み、または履修中であることが条件になっています。さらに第二次選考では、日本語・英語を用いた面接やプレゼンテーションが行われます。 一方、東京学芸大学の2027年度国際バカロレア選抜では、出願資格を「日本語を母語とする者」、または日本語A(SL)、日本語A(HL)、日本語B(HL)のいずれかを履修している者としています。つまり、同じ日本の大学のIB選抜でも、日本語に関する条件の立て方は一様ではありません。 ここで重要なのは、「日本の大学へ行くならJapanese Aが必須」ということではありません。大学、学部、入試方式によって条件は異なりますし、入試制度は年度によって変更されることもあります。 しかし、Japanese Aを履修できる日本語力を残していることが、日本の大学の一部の入試方式を選択肢として残す場合があることは知っておいてよいと思います。 Japanese Aを取らなくても、日本語で考えて書く力が必要になる場合がある さらに、日本の大学への進学を考える場合、日本語の読み書きが問われるのはIB選抜だけではありません。 帰国生選抜でも、大学や学部によっては日本語による小論文や面接が課されます。例えば東京学芸大学の2027年度帰国生選抜では、多くのコースで小論文や面接が選抜に含まれており、志願者全員に日本語による個人面接を課すことも募集要項に明記されています。 したがって、将来Japanese Aを履修するかどうかとは別に、日本の大学も選択肢として残したいのであれば、日本語で文章を読み、自分の考えをまとめ、理由や根拠とともに説明する力を維持する意味があります。 ここで考えたいのは、「Japanese Aを取るために日本語を続ける」という狭い話ではありません。 IB選抜、帰国生選抜、日本への帰国、海外大学。 どの進路を最終的に選ぶか分からない中学生の段階では、Academicな日本語を残しておくことそのものが、将来の選択肢を閉じないことにつながる可能性があります。 DPが始まってから日本語を戻そうとすると、かなりの負荷になる 例えば、小学5年生で海外へ移住し、その後も家庭では日本語を話しているものの、日本語で本を読んだり文章を書いたりすることがほとんどなくなったとします。 中学生になっても日本語での会話は流暢なので、ご家族からすると、日本語力が大きく落ちているようには見えないかもしれません。 そして15歳になり、DPの科目を選ぶ段階になって初めて、「Japanese Aを取った方がいいのでは」と考える。 ところが、そこで必要になるのは日常会話の日本語ではありません。初めて見る文章を分析し、文学作品を比較し、自分の考えを根拠とともに論述する日本語です。 もし数年間、日本語でまとまった文章をほとんど読んでおらず、文章を書く経験も少なければ、16歳の段階でその力を一気に作るのは大きな負荷になります。 これは以前の記事書いた、「日本語は来年から」で、本当に間に合う?という問題そのものです。 日本語の読み書きを続ける意味は、日本へ帰国したときに困らないためだけではありません。海外で高校まで進みIBを選択した場合にも、日本語が学ぶための言語として残っていることで、DPの科目選択や、その先の大学進学の選択肢が広がる可能性があります。 「日本語を維持する」から、「Japanese Aも選べる日本語」へ もしご家庭として、「高校まで海外で教育を受ける可能性がある」「DPへ進むかもしれない」「そのときJapanese Aも選択肢として残したい」と考えているのであれば、中学生の段階から日本語教育の目標を少し変えてもよいと思います。 単に「日本語を忘れない」のではなく、「16歳になったとき、日本語で年齢相応の文章を読み、考え、それを文章として表現できる状態を残す」ことを目標にするのです。 そのためには、漢字ドリルだけでは十分ではありません。年齢相応の物語やノンフィクションを読み、少しずつ評論や社会的なテーマにも触れる。読んだ内容について話し、自分の意見とその理由を書く。複数の文章を読んで、それぞれの考え方や表現の違いを比較する。 これまでの記事で取り上げてきた、読書、語彙、読解、作文、論理的に説明する力が、ここで全部つながってきます。 もちろん、Japanese Aのためだけに日本語を学ぶ必要はありません。日本語で深く読み、考え、表現できること自体に価値があります。 ただ、その力を中学生まで継続した結果として、DP進学時にもJapanese Aという選択肢が残り、その先の大学進学にも複数の可能性が残るのであれば、それは大きな意味を持つと思います。 家庭でも、一度「話せる」以外の日本語を確認してみる では、中学生のお子さまの日本語がどの程度育っているのか、家庭ではどのように確認すればよいのでしょうか。 Japanese Aを履修できるかどうかを家庭だけで判定することはできませんし、最終的には学校のDP Coordinatorや担当教員と相談する必要があります。ただ、最初の確認として、日常会話以外の日本語を見てみることはできます。 例えば、中学生向けの小説やノンフィクションを一冊、自力で読み通せるでしょうか。読み終えた後、「何について書かれていたか」だけではなく、「なぜこの人物はそう行動したと思うか」「筆者の意見に賛成か。その理由は何か」といった問いに、自分の言葉で答えられるでしょうか。 さらに最初の目安として、自分の意見を、理由や具体例とともに600~800字程度の文章にまとめられるかを見てみてもよいと思います。 もちろん、600~800字書ければJapanese Aで問題ない、という意味ではありません。反対に、今書けないからJapanese Aを諦めるべきだという話でもありません。 重要なのは、現在地を早めに知ることです。 語彙や読解についてもう少し客観的に確認したい場合には、読書指数診断などを一つの参考材料として利用する方法もあります。ただし、これもJapanese Aへの適性を判断する試験ではありません。会話、読解、語彙、作文など複数の面を見ながら、「これからどこを伸ばせばよいのか」を考えるための材料として使うのがよいと思います。 中学1年生で気づけば、数年かけて準備できます。 DPが始まる直前に初めて気づくのとは、大きな違いがあります。 「母語はどちら?」より、「それぞれの言語で何ができる?」 海外で長く生活していると、「この子の母語は日本語なのか、英語なのか」と迷うことがあります。 しかしDPの言語選択を考えるときには、その問いだけにこだわる必要はないと思っています。 どちらを先に覚えたか、家庭でどちらを話しているか、国籍がどこかという情報ももちろん大切です。しかしDPでより重要になるのは、それぞれの言語で何ができるのかです。 日本語なら、難しい文章を読み、自分の考えを論理的に表現できるのか。英語なら、文学作品や複雑な文章を分析し、根拠を示しながら論述できるのか。 日本語でそれができればJapanese Aという選択肢があり、英語でできればEnglish Aという選択肢があります。両方でできるのであれば二つのLanguage Aを検討することもできますし、日本語は家庭言語として残しながら、英語を中心的な学習言語として育てるという選択もあります。 すべての子どもが二つのLanguage Aを履修する必要はありませんし、「バイリンガル」という肩書きを目指す必要もありません。 大切なのは、二言語を持っているかではなく、その二言語で何ができるのか。そして、将来どの言語で何を学びたいのかを考えながら、必要な言語を育てていくことだと思います。 DPの言語選択は、DPが始まってから考えない 在外日本人家庭に私がおすすめしたいのは、DP開始直前になって初めて言語選択を考えるのではなく、可能であれば中学生の段階で一度、将来の選択肢を確認しておくことです。 今の学校ではDPでどのLanguage Aを開講しているのか。Japanese Aはあるのか。SLとHLのどちらがあるのか。なければSSSTに対応しているのか。English Aを選ぶ場合、現在の英語力からどのような準備が必要なのか。日本の大学も選択肢として考えるのであれば、候補となる大学のIB選抜や帰国生選抜では何が求められるのか。 そして何より、本人の日本語と英語は、それぞれ「話せる」だけではなく、どの程度読める・書ける・考えられるのか。 これを早めに確認しておけば、日本語の読書を増やす、作文を始める、英語の学術的な文章力を強化する、第三言語をLanguage Bへつなげる、といった準備を数年かけて進めることができます。 この連載は、もともと海外で育つ子どもの日本語をどう考えるか、というところから始まりました。 家庭で日本語を話しているから大丈夫なのか。日本語の読書はなぜ必要なのか。読み書きをどこまで続ければいいのか。「日本語は来年から」でも間に合うのか。 IBまで進むと、それらは単なる「日本語を忘れないための話」ではなかったことが分かります。 小学生、中学生の間に日本語で本を読み、語彙を増やし、文章を書き、自分の考えを説明する経験を続けてきたことが、高校生になったときに「Japanese Aも選べる」という具体的な教育上の選択肢につながることがあります。 さらに、その日本語力が、将来日本の大学へ進むときの小論文や面接にもつながる可能性があります。 「日本語を続けるかどうか」は、小学生の漢字テストだけの問題ではありません。将来その子がどの言語で学び、どの大学へ進み、どの世界とつながることができるのか。 そのための、長い教育設計の一部なのだと思います。 参考資料 International Baccalaureate, Learning a language in the Diploma Programme International Baccalaureate, Studies in language and literature International Baccalaureate, Language A: Literature Guide International Baccalaureate, Examiner Instructions 2026 — Language A International Baccalaureate, Language B International Baccalaureate, Language ab initio International Baccalaureate, DP Passing Criteria International Baccalaureate, All Diploma Programme Subjects 国際基督教大学(ICU)「2027年度 総合型選抜〈IBDP利用〉」 東京学芸大学「2027年度 国際バカロレア選抜 学生募集要項」 東京学芸大学「2027年度 帰国生選抜 学生募集要項」