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在外のお子さまの日本語|「話せる」と「読める・書ける」は別の力

September 9, 2026

在外のお子さまは、日本語を流暢に話せても、読む・書く力が同じように育っているとは限りません。会話力と読み書きの違い、家庭で意識したい日本語教育のポイントを解説します。

会話が流暢だからこそ読み書きの遅れは見えにくい、という現実

海外で育つ子どもたちの日本語を見ていると、とても興味深いことがあります。

  • 日本語で普通に話している。

  • 冗談も言える。

  • 親が言っていることも理解している。

  • 日本のアニメも楽しんでいる。

だから保護者から見ると、「うちの子は日本語は大丈夫」に見えます。ところが、実際に日本語の文章を読んでもらうと、少し様子が変わることがあります。

  • 漢字が読めない。

  • 文章になると読む速度が急に落ちる。

  • 一文ずつは読めても、全体として何が書いてあるのか分からない。

そして、「じゃあ、これについて自分の考えを書いてみて」と言うと、さらに難しくなる。

教室では、小学校高学年、ときには中学生になっていても、ひらがなやカタカナを書くことにかなり苦労するお子さまに出会うこともあります。でも、本人と日本語で話しているだけでは、そのことに気づかないことがあります。なぜなら、話す日本語はかなり流暢だからです。ここに、海外での日本語教育の非常に見えにくい落とし穴があります。


「日本語力」を一つの能力として考えない

私たちはつい、「この子は日本語ができる」もしくは「日本語が弱い」と、一つの能力のように考えてしまいます。でも、実際には日本語にはさまざまな力があります。

  • 聞く

  • 話す

  • 読む

  • 書く

さらに読む中にも、

  • 文字が読める

  • 単語の意味が分かる

  • 文章の内容を理解する

  • 筆者の意図を読み取る

  • 複数の情報を関連づける

といった違う力があります。書くことも同じです。

  • ひらがなを書く

  • 漢字を書く

  • 文章を作る

  • 出来事を順序立てて説明する

  • 理由を書く

  • 自分の意見と根拠を構造化する

これらは全部同じ能力ではありません。

日本語を継承語として育てる子ども427人を対象とした2025年の研究でも、日本語能力を調べる際には、話す・理解する・読む・書くがそれぞれ別の項目として評価されています。また、読書・作文・宿題などのLiteracy活動が独立した言語経験として分析され、日本語能力との関連が示されています。

つまり、日本語を話せることと、日本語を読んだり書いたりできることは、分けて考える必要があるのです。


なぜ「話す」はできるのに、「読む・書く」は難しいのか

考えてみると、これはそれほど不思議なことではありません。子どもは、日本語の会話を毎日家庭で使っているかもしれません。朝起きて、「おはよう」、「早く着替えて」、「今日何時に帰ってくる?」。学校から帰れば、「今日どうだった?」、「お腹すいた」、「宿題終わった?」こうした日本語を何年も使っています。

でも、

  • ひらがなを毎日読んでいるでしょうか?

  • カタカナを書いているでしょうか?

  • 日本語の長い文章を読んでいるでしょうか?

  • 日本語で作文を書いているでしょうか。

インター校や現地校へ通っていれば、学校で毎日行っている読み書きは英語やオランダ語です。つまり、話す日本語には毎日練習する機会があるのに、読む・書く日本語にはほとんど練習する機会がないという状態が起こります。

そう考えれば、会話力と読み書きに差が生まれること自体は、むしろ自然です。継承語話者は、教育を受ける多数派言語では読み書きを身につけやすい一方、継承語では聞く・話す能力と読み書き能力に大きな個人差が生じることが知られています。研究レビューでも、継承語話者の能力は聞く・話す・読む・書くの各領域で一様ではないことが指摘されています。


文字は、会話しているだけでは自然には身につかない

ここは非常に重要です。日本語をたくさん聞いていれば、ある程度日本語を話せるようになります。でも、「ありがとう」と何千回聞いていても、それだけで自然に「あ・り・が・と・う」と書けるようになるわけではありません。まして、「ありがとうございます」と、「有り難うございます」の違いを自然に理解するわけでもありません。

文字は、文字を見て、音と結びつけ、読んで、書いて、何度も使うことで身についていきます。日本で育つ子どもには、この機会が身のまわりに溢れています。幼稚園の名札や絵本、街中の看板、テレビの字幕、学校のプリント、教科書、黒板、宿題などなど、列挙し出すと切りがありません。

日本語が生活の中に文字として存在しています。海外で生活すると、この「文字としての日本語」が一気に限定されてしまいます。家庭で日本語を話していたとしても、日本語を文字として目にする量は、日本で生活する子どもとは全く違うのです。


ひらがな・カタカナが書けないことを、責めるべきではない

教室で、小学校高学年や中学生でも、ひらがな・カタカナの書字に苦労するお子さまを見ることがあります。例えば、「ぬ」と「め」が混乱する、「シ」と「ツ」が分からない、促音の「っ」をどこに入れるのか分からない、長音をどう書くのか迷う、文章のどの部分がカタカナになるのか判らない、言葉は知っているのに文字にできない。

でも、私はこれを、「中学生なのに、こんなことも書けない」と考えるべきではないと思っています。本人は、学校で英語やオランダ語を使って毎日勉強しています。そちらの言語ではEssayを書き、Presentationをし、難しい内容を理解しているかもしれません。

単に、日本語を書く経験が圧倒的に少なかっただけかもしれません。書くという能力は、話す能力とは別に練習する必要があります。

日本で育つ子どもについての研究でも、ひらがなの読みの力と、その後のひらがな・漢字の読み書き能力には関連があり、読み書きの技能が段階的に発達していくことが示されています。

ですから、「話せるのになぜ書けないの?」ではなく、「これまで書く機会がどのくらいあっただろう?」と考えた方がよいと思います。


日本語入力ができることと、日本語を書けることも少し違う

最近はもう一つ、興味深いことがあります。スマートフォンなら日本語で文章を打てる。LINEなら日本語でメッセージできる。でも、「紙に書いてみて」と言うと書けない。ということがあります。

スマートフォンなら、「きょうはがっこうにいきました」と入力すれば、「今日は学校に行きました」と変換してくれます。「学校」という漢字を書けなくても、読むことさえできれば選べます。これは悪いことではありません。現代社会では、手書きよりタイピングする機会の方が多いでしょう。ですから、「漢字を手で全部書けなければ日本語ができない」とも思いません。

ただし、入力できること、読めること、手で書けること、文章を構成できることは、それぞれ違う能力だということは理解しておく必要があります。

重要なのは、「学校」という漢字を手書きできるかだけではありません。「今日学校であった出来事を、知らない人にも分かるように説明してください」と言われたときに、日本語で文章を組み立てられるか。私は、こちらの方がより重要だと思っています。


「書く」は、文字を書くことだけではない

「日本語を書く力」というと、漢字を書けるかどうかに目が行きがちです。でも、高学年以降になると本当に必要になるのは、考えを文章にする力です。

例えば、「私はこの意見に賛成です」までは書ける。では、「なぜですか?」と聞かれたらどうでしょう。「なぜなら……」と理由を書く。さらに、「具体例を挙げてください」と言われる。そして、「反対の立場の人はどう考えるでしょうか」まで考える。こうなると、単に漢字を知っているだけでは書けません。

頭の中にある考えを、順序立て、必要な情報を選び、相手に伝わるように文章として構成する必要があります。

書くというのは、思考を言葉として外に出し、構造化する作業でもあります。


会話なら、相手が助けてくれる

書くことが難しいもう一つの理由があります。会話では、相手がいます。子どもが、「今日ね、学校であの子がさ、またあれやって……」と言えば、親が、「○○君?」と聞いてくれます。

「うん。それで先生が……」

「怒ったの?」

「そうそう」

と、相手が会話を補ってくれます。表情もあります。ジェスチャーもあります。分からなければ聞き返してもらえます。

でも文章では、相手は横にいません。「あの子」と言われても分かりません。「あれ」では伝わりません。書き手自身が、

  • 誰のことなのか

  • 何が起こったのか

  • なぜ起こったのか

  • どう感じたのか

を説明する必要があります。

つまり書くことによって、「自分は分かっている」から「相手にも分かるように説明する」へ思考を変える必要があります。この力は、自然な家庭会話だけでは必ずしも十分に練習できません。


読めないと、「知っている日本語」が増えにくくなる

読み書きの中でも、私はまず「読むこと」が非常に重要だと思っています。なぜなら、読めるようになると、自分で日本語を増やせるようになるからです。

  • 本を読む

  • ニュースを読む

  • インターネットで調べる

  • 漫画を読む

  • 字幕を読む

  • 説明書を読む

  • 日本語で検索する

誰かに日本語を教えてもらわなくても、文字を通じて、自分で新しい日本語を取りに行けるようになります。

逆に、日本語を話せても日本語を読むことが苦手だと、日本語のインプットは人との会話に依存します。家庭で使われている言葉から先へ進みにくくなります。

前回までの記事で何度も取り上げてきた日本語継承語話者427人の研究でも、読書・作文・宿題などの日本語Literacy活動が、日本語能力に関係する重要な要素として示されています。


読むことが、書くことにもつながる

ここも重要です。文章を書けるようにするため、「作文をたくさん書かせよう」と考えることがあります。もちろん書く練習は必要です。でも、書く前に、良い日本語をたくさん読むことも非常に重要です。

文章を読めば、「こういうときは『しかし』を使うんだ」、「理由を書くときは『なぜなら』なんだ」、「話が変わると段落が変わるんだ」、「こうやって人物の気持ちを表現するんだ」といった文章の型を、少しずつ取り込んでいきます。

2026年に発表された、9~15歳のバイリンガル児童の継承語としての英語の書く力を3年間追跡した研究でも、家庭での読書習慣がwritingの発達を支える重要な要素として報告されています。特に高いwriting能力を持つ子どもには、自主的な読書や継続的な家庭での読書経験が多く見られました。

対象言語は英語ですから、その結果をそのまま日本語へ当てはめることはできません。ただ、継承語の読み書きは、家庭でその言語を話しているだけで自動的に育つものではなく、文字に触れる活動が重要であるという点は、日本語教育を考えるうえでも非常に示唆的です。


「うちの子は日本語を話せるから大丈夫」が危険なのではない

ここで誤解してほしくないことがあります。私は、「日本語を話せても読み書きできなければ意味がない」と言いたいわけではありません。会話できること自体、とても大きな力です。家庭によって、日本語をどこまで育てたいのかという目標も違います。海外に永住し、日本語は家族との会話ができれば十分、と考える家庭もあるでしょう。それも一つの選択です。

問題は、「話せるから、読み書きも必要になればすぐできるだろう」と錯覚してしまうことです。

話す力があることは大きな土台になります。でも、読む・書くためには、文字に触れ、読んで、書く経験が必ず必要なのです。


将来、日本語をどこで使うのかを考えてほしい

では、日本語の読み書きをどこまで続けるべきなのでしょうか。これは、すべての家庭に同じ答えはありません。重要なのは、その子が将来、日本語をどのように使う可能性があるのかを考えることだと思います。

例えば、

  • 日本へ帰国する可能性がある。

  • 日本の中学・高校・大学へ進学する可能性がある。

  • 日本で働く可能性がある。

  • 日本の親族との関係を持ち続けたい。

  • 将来、自分の子どもにも日本語を伝えたい。

  • 日本の本やニュースを自分で読めるようにしたい。

そうした可能性が少しでもあるのであれば、「会話ができるから十分」で止めず、日本語を文字でも扱える状態を残しておくことには大きな意味があります。

反対に家庭として、「今後の教育・生活はすべて現地語で、日本語は家族との会話ができれば十分」と考えるのであれば、それも明確な教育方針です。

大切なのは、「気づかないうちに読み書きがなくなっていた」、ではなく、どのレベルの日本語を残すかを、家庭として意識的に選ぶことなのです。


漢字だけに焦点を当てすぎない

日本語の読み書きについて話すと、どうしても、「漢字を何文字覚えていますか?」という話になります。もちろん漢字は大切です。でも、漢字ドリルだけやっていても、読解力や文章力が自然に育つとは限りません。

例えば、「原因」という漢字を書ける。でも、「原因と結果の関係を説明してください」と言われたときに答えられない。それでは十分ではありません。逆に漢字を書くのは苦手でも、文章を読み、内容を理解し、自分の考えを日本語で説明できる。こちらには大きな力があります。

だから私は、日本語の読み書きを、「漢字が書けるか」だけで測らない方がいいと思っています。見るべきなのは、

  • 文章を読めるか

  • 意味を理解できるか

  • 知らない言葉を前後から考えられるか

  • 自分の考えを文章にできるか

  • 相手に分かるように説明できるか

という、もう少し広いLiteracyの力です。


読み書きも、いきなり100点を目指さなくていい

前回の記事でも書きましたが、日本語教育は0か100かで考える必要はありません。日本の学校と同じ量の漢字を毎日やる必要はないかもしれません。でも、週に一冊、日本語の本を読む、短い日記を書く、日本語でゲームをするなどの経験でも日本語を文字として使う回路を残すことができます。

大切なのは、日本語が「家族と話すための音」だけにならず、自分で情報を得て、自分の考えを伝えるための文字でもあり続けることだと思います。


読み書きができると、日本語の世界を自分で広げられる

私が、海外の子どもに日本語の読み書きを残してほしいと思う最大の理由は、漢字テストでいい点を取るためではありません。日本へ帰国したとき困らないためだけでもありません。

読み書きができれば、本人が親を介さずに、日本語の世界へアクセスできるからです。

  • 自分で本を選ぶ

  • 自分で検索する

  • ニュースを読む

  • 好きなアーティストの記事を読む

  • 日本の人とメッセージする

  • 大学について調べる

  • 仕事を探す

  • 契約書を読む

  • そして自分の考えを文章で伝える

そのとき日本語は、「親から受け継いだ家庭の言葉」から、「自分自身が使える言語」へ変わります。私は、これが読み書きの大きな意味だと思っています。


「日本語は大丈夫」の中身を、一度分解してみる

お子さまが日本語で流暢に話していることは、とても大切な力です。でも、一度だけ、「日本語は大丈夫」という言葉を分解してみてください。

  • 日本語を聞いて理解できる?

  • 日本語で日常会話ができる?

  • 知らない人にも出来事を説明できる?

  • ひらがな・カタカナを読める?

  • 書ける?

  • 同年代向けの本を読める?

  • 説明文を理解できる?

  • 自分の考えを文章にできる?

  • 理由や根拠を書ける?

全部できる必要はありません。家庭によって目標は違います。でも、どこまでできていて、どこから難しいのかを知っていることは、とても大切です。海外で育つ子どもの日本語は、「できる」「できない」の二択ではありません。読む、聞く、話す、書く力はそれぞれが違う速度で育ちます。

だから、「日本語を話しているから大丈夫」ではなく、「この子の日本語は、今どんな形で育っているだろう?」と見てみて、そこから、その家庭に本当に必要な日本語教育が見えてくるのではないかと思います。

参考資料

  • Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340.

  • Nakamura, J. (2026), English as a Heritage Language in Japan: Writing Development From Late Childhood to Adolescence, Reading Research Quarterly.

  • 花房香(2020)「読み書き能力の発達―就学前から小学2年生までの追跡研究―」

  • Takahashi, N. & Nakamura, T. (2015), Abilities needed by Japanese children to write kanji: Development of the ATLAN Kakitori subtest, The Japanese Journal of Psychology.

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IBでは二言語必要?|在外日本人家庭がDP進学前に知っておきたい言語選択

2026.10.13

IBでは二言語必要?|在外日本人家庭がDP進学前に知っておきたい言語選択

「日本人だからJapanese A」「インター校だからEnglish A」とは限らない 前回の記事では、IB Diploma Programme(DP)では教科の難しさだけでなく、自分で課題を管理し、調査し、文章を書き、複数の締め切りを同時に管理する力が求められるため、高校から突然DPへ進む場合には、学習方法そのものへの準備が必要だと書きました。 そして、在外日本人家庭がDPを考える際には、もう一つ早い段階から考えておいた方がよいことがあります。それが言語の選択です。 「インター校に通っているからEnglish Aでいいのでは?」「日本人なのだからJapanese Aを取ればいい」「IBでは第二外国語が必須らしい」といった話を聞くことがありますが、DPの言語選択はそれほど単純ではありません。 特に海外で育つ日本人のお子さまの場合、家庭では日本語を流暢に話し、学校では英語で学んでいるというケースが少なくありません。そのため、一見すると「日本語も英語もできるから問題ない」と思えます。しかしDPで問われるのは、日常会話ができるかだけではなく、その言語で複雑な文章を読み、分析し、根拠を示しながら自分の考えを論理的に表現できるかという力です。 ここでも、これまでこの連載で繰り返し考えてきた「話せる言語」と「学べる言語」は必ずしも同じではない、という問題が出てきます。 DPでは、本当に二言語必要なのでしょうか 結論から言うと、DPでは少なくとも二つの言語を学びます。IBでは、Studies in Language and Literatureから少なくとも一つの言語科目を履修し、さらに別の言語を学ぶことが求められています。一般的には、もう一つをLanguage Acquisitionから選びますが、異なる二言語でStudies in Language and Literatureを二科目履修することで、第二言語の要件を満たすこともできます。 例えば、English AとFrench Bという組み合わせもあれば、English AとJapanese Aという組み合わせも可能です。 ここで一つ区別しておきたいのが、「DPで二言語を学ぶこと」と「Bilingual Diplomaを取得すること」は別の話だという点です。 Bilingual Diplomaは、異なる二つのLanguage AでそれぞれGrade 3以上を取得する場合、またはLanguage Aとは異なる言語でIndividuals and SocietiesやScienceの対象科目を履修し、所定の条件を満たした場合などに授与されます。単に二言語を履修しているだけで、自動的にBilingual Diplomaになるわけではありません。 Bilingual Diplomaを取ること自体を目標にする必要もありません。大切なのは、その科目構成が本人の言語力と将来の進路に合っているかどうかです。 Language Aは「国籍の言語」を選ぶ科目ではない 在外日本人家庭にとって、最も誤解が起きやすいのがLanguage Aだと思います。 Language Aという名前を見ると、「母語」や「国籍の言語」のように感じるかもしれません。しかしIBは、Studies in Language and Literatureを、Academicに十分な能力を持つ言語で履修する科目として位置づけています。 Language A: Literatureでは文学作品を読み、表現、構成、視点、文脈などを分析し、自分の解釈を文章や口頭で論理的に示します。Language A: Language and Literatureでは、文学だけでなくさまざまな種類のテキストを扱い、言葉がどのように意味を生み、社会や文化と関係しているのかも考えます。 Japanese Aには現在、Language and LiteratureとLiteratureの両方があり、SL・HLの双方が設定されています。またJapanese BもSL・HL、Japanese ab initioはSLとして用意されています。 したがって、「日本人だからJapanese A」という決め方は必ずしも適切ではありません。 家庭で日本語を話していることは大きな土台ですが、Japanese Aで必要になるのは、それに加えて日本語で高度な読み書きと分析ができることです。 同じことはEnglish Aにも言えます。インターナショナルスクールに何年も通い、友達と自然に英語で話し、普段の授業を英語で受けられることと、初めて読む文学作品や複雑な文章を分析し、根拠を示しながら論を構築することは同じではありません。 EALを卒業していることとも別です。 つまり、Japanese AとEnglish Aのどちらを選ぶかを考えるときに見るべきなのは、「どちらを流暢に話すか」だけではなく、どちらの言語なら高度な文章を読み、分析し、書けるのかという点です。 Japanese Aでは、実際に何をするのでしょうか ここは、具体的に見た方が分かりやすいと思います。 現行のLanguage Aの評価では、Paper 1、Paper 2、Individual Oralがあり、HLではHigher Level Essayも課されます。 Paper 1では、事前に学習していない文章が提示され、その場で文章を読み、作者の表現や構成がどのように意味を作っているのかを分析して論述します。SLでは二つの文章から一つを選んで分析し、HLでは二つの文章について分析します。つまり、「文章の意味が分かった」だけではなく、なぜそのように書かれているのか、それが読者にどのような効果を生んでいるのかまで考える必要があります。 Paper 2では、授業で学んだ二つの文学作品を使い、提示された問いに対して比較論述を行います。二作品のあらすじを説明するのではなく、内容や形式、作者の選択などを比較しながら、一つの論として文章を組み立てることが求められます。 さらにIndividual Oralでは、作品やテキストについて分析した内容を口頭で論理的に提示します。HLではこれに加えてHigher Level Essayがあります。 こうして具体的に見ると、「日本語で家族と問題なく会話できる16歳」と、「Japanese Aで学べる16歳」の間に、どのような違いがあるのかが見えてきます。 例えば、祖父母や友達とは日本語で自然に話せる一方、日本語の小説をほとんど読んでおらず、評論や説明文にも触れていない。また、日本語である程度まとまった文章を書き、自分の考えを根拠とともに論述した経験もほとんどない、というお子さまの場合、会話力が高くてもJapanese Aには別の準備が必要でしょう。 これは、この連載の以前に取り上げた「『日本語を話せる』と『日本語を読める・書ける』は別の力」という問題が、DPでは非常に具体的な形で現れる例だと思います。 Language Bは「簡単なLanguage A」ではない もう一つ誤解されやすいのがLanguage Bです。 Language Bは、Language Aを少し簡単にした科目ではありません。すでにある程度学習経験のある言語をさらに伸ばすためのLanguage Acquisition科目で、SLとHLがあります。HLではSLより高い言語運用能力が求められ、文学作品も扱います。 一方、Language ab initioは、その言語を全く、またはほとんど学んだ経験のない学生を対象にした科目で、SLのみです。IBも、すでに日常的な話題について聞いたり読んだりして理解・応答できる学生をab initioへ配置することは、適切なAcademic Challengeにならないとしています。 したがって、「Japanese Aは難しそうだからJapanese ab initioにすればいい」という選び方が自由にできるわけではありません。 どのレベルが適切なのかは、国籍ではなく、それまでの学習歴や実際の言語能力を踏まえて学校側が判断します。在外日本人のお子さまで日本語が家庭言語になっている場合、Japanese Bやab initioを当然に選択できるとは限らないという点には注意が必要です。 学校にJapanese Aがない場合――SSSTには重要な制限がある 在外日本人家庭で実際に起こりやすいのが、「本人には日本語力があるけれど、通っている学校ではJapanese Aを開講していない」という問題です。 その場合、学校によってはSchool-Supported Self-Taught(SSST)という仕組みを利用できることがあります。 ただし、ここには非常に重要な制限があります。 SSSTで履修できるのはLanguage A: LiteratureのSLのみです。 HLでは利用できず、Language A: Language and LiteratureにもSSSTは適用されません。IBのLanguage A: Literatureガイドでも、SSSTの対象はSLのみと明記されています。また、学校側にはSSSTの学生を支援する体制を用意することが求められます。 つまり、学校にJapanese Aの授業がなく、将来Japanese A HLを取りたいと考えている場合、「SSSTで対応すればいい」というわけではありません。 また、外部の日本語教師を家庭で探し、その先生から授業を受ければ自動的にIBのJapanese Aとして認められる、という仕組みでもありません。SSSTはあくまでIB World Schoolが制度として支援する科目です。 そのため、Japanese Aを将来の選択肢として考えているのであれば、DPが始まる直前ではなく、中学生のうちから学校のDP Coordinatorに、Japanese Aを開講しているか、SL・HLのどちらがあるのか、SSSTに対応しているか、必要な外部支援や追加費用があるか、といった点を確認しておくことをおすすめします。 日本の大学へ進学する場合、Japanese Aが実際の出願条件になることもある IBの言語科目は、Diplomaを取るためだけに選ぶものではありません。その先の大学入試にも関係する場合があります。 在外日本人家庭にとって特に知っておきたいのが、日本の大学へ進む可能性を残す場合です。 例えば、国際基督教大学(ICU)の2027年度総合型選抜「IBDP利用」では、IB Diplomaの取得・取得見込みに加えて、「日本語A」を履修済み、または履修中であることが条件になっています。さらに第二次選考では、日本語・英語を用いた面接やプレゼンテーションが行われます。 一方、東京学芸大学の2027年度国際バカロレア選抜では、出願資格を「日本語を母語とする者」、または日本語A(SL)、日本語A(HL)、日本語B(HL)のいずれかを履修している者としています。つまり、同じ日本の大学のIB選抜でも、日本語に関する条件の立て方は一様ではありません。 ここで重要なのは、「日本の大学へ行くならJapanese Aが必須」ということではありません。大学、学部、入試方式によって条件は異なりますし、入試制度は年度によって変更されることもあります。 しかし、Japanese Aを履修できる日本語力を残していることが、日本の大学の一部の入試方式を選択肢として残す場合があることは知っておいてよいと思います。 Japanese Aを取らなくても、日本語で考えて書く力が必要になる場合がある さらに、日本の大学への進学を考える場合、日本語の読み書きが問われるのはIB選抜だけではありません。 帰国生選抜でも、大学や学部によっては日本語による小論文や面接が課されます。例えば東京学芸大学の2027年度帰国生選抜では、多くのコースで小論文や面接が選抜に含まれており、志願者全員に日本語による個人面接を課すことも募集要項に明記されています。 したがって、将来Japanese Aを履修するかどうかとは別に、日本の大学も選択肢として残したいのであれば、日本語で文章を読み、自分の考えをまとめ、理由や根拠とともに説明する力を維持する意味があります。 ここで考えたいのは、「Japanese Aを取るために日本語を続ける」という狭い話ではありません。 IB選抜、帰国生選抜、日本への帰国、海外大学。 どの進路を最終的に選ぶか分からない中学生の段階では、Academicな日本語を残しておくことそのものが、将来の選択肢を閉じないことにつながる可能性があります。 DPが始まってから日本語を戻そうとすると、かなりの負荷になる 例えば、小学5年生で海外へ移住し、その後も家庭では日本語を話しているものの、日本語で本を読んだり文章を書いたりすることがほとんどなくなったとします。 中学生になっても日本語での会話は流暢なので、ご家族からすると、日本語力が大きく落ちているようには見えないかもしれません。 そして15歳になり、DPの科目を選ぶ段階になって初めて、「Japanese Aを取った方がいいのでは」と考える。 ところが、そこで必要になるのは日常会話の日本語ではありません。初めて見る文章を分析し、文学作品を比較し、自分の考えを根拠とともに論述する日本語です。 もし数年間、日本語でまとまった文章をほとんど読んでおらず、文章を書く経験も少なければ、16歳の段階でその力を一気に作るのは大きな負荷になります。 これは以前の記事書いた、「日本語は来年から」で、本当に間に合う?という問題そのものです。 日本語の読み書きを続ける意味は、日本へ帰国したときに困らないためだけではありません。海外で高校まで進みIBを選択した場合にも、日本語が学ぶための言語として残っていることで、DPの科目選択や、その先の大学進学の選択肢が広がる可能性があります。 「日本語を維持する」から、「Japanese Aも選べる日本語」へ もしご家庭として、「高校まで海外で教育を受ける可能性がある」「DPへ進むかもしれない」「そのときJapanese Aも選択肢として残したい」と考えているのであれば、中学生の段階から日本語教育の目標を少し変えてもよいと思います。 単に「日本語を忘れない」のではなく、「16歳になったとき、日本語で年齢相応の文章を読み、考え、それを文章として表現できる状態を残す」ことを目標にするのです。 そのためには、漢字ドリルだけでは十分ではありません。年齢相応の物語やノンフィクションを読み、少しずつ評論や社会的なテーマにも触れる。読んだ内容について話し、自分の意見とその理由を書く。複数の文章を読んで、それぞれの考え方や表現の違いを比較する。 これまでの記事で取り上げてきた、読書、語彙、読解、作文、論理的に説明する力が、ここで全部つながってきます。 もちろん、Japanese Aのためだけに日本語を学ぶ必要はありません。日本語で深く読み、考え、表現できること自体に価値があります。 ただ、その力を中学生まで継続した結果として、DP進学時にもJapanese Aという選択肢が残り、その先の大学進学にも複数の可能性が残るのであれば、それは大きな意味を持つと思います。 家庭でも、一度「話せる」以外の日本語を確認してみる では、中学生のお子さまの日本語がどの程度育っているのか、家庭ではどのように確認すればよいのでしょうか。 Japanese Aを履修できるかどうかを家庭だけで判定することはできませんし、最終的には学校のDP Coordinatorや担当教員と相談する必要があります。ただ、最初の確認として、日常会話以外の日本語を見てみることはできます。 例えば、中学生向けの小説やノンフィクションを一冊、自力で読み通せるでしょうか。読み終えた後、「何について書かれていたか」だけではなく、「なぜこの人物はそう行動したと思うか」「筆者の意見に賛成か。その理由は何か」といった問いに、自分の言葉で答えられるでしょうか。 さらに最初の目安として、自分の意見を、理由や具体例とともに600~800字程度の文章にまとめられるかを見てみてもよいと思います。 もちろん、600~800字書ければJapanese Aで問題ない、という意味ではありません。反対に、今書けないからJapanese Aを諦めるべきだという話でもありません。 重要なのは、現在地を早めに知ることです。 語彙や読解についてもう少し客観的に確認したい場合には、読書指数診断などを一つの参考材料として利用する方法もあります。ただし、これもJapanese Aへの適性を判断する試験ではありません。会話、読解、語彙、作文など複数の面を見ながら、「これからどこを伸ばせばよいのか」を考えるための材料として使うのがよいと思います。 中学1年生で気づけば、数年かけて準備できます。 DPが始まる直前に初めて気づくのとは、大きな違いがあります。 「母語はどちら?」より、「それぞれの言語で何ができる?」 海外で長く生活していると、「この子の母語は日本語なのか、英語なのか」と迷うことがあります。 しかしDPの言語選択を考えるときには、その問いだけにこだわる必要はないと思っています。 どちらを先に覚えたか、家庭でどちらを話しているか、国籍がどこかという情報ももちろん大切です。しかしDPでより重要になるのは、それぞれの言語で何ができるのかです。 日本語なら、難しい文章を読み、自分の考えを論理的に表現できるのか。英語なら、文学作品や複雑な文章を分析し、根拠を示しながら論述できるのか。 日本語でそれができればJapanese Aという選択肢があり、英語でできればEnglish Aという選択肢があります。両方でできるのであれば二つのLanguage Aを検討することもできますし、日本語は家庭言語として残しながら、英語を中心的な学習言語として育てるという選択もあります。 すべての子どもが二つのLanguage Aを履修する必要はありませんし、「バイリンガル」という肩書きを目指す必要もありません。 大切なのは、二言語を持っているかではなく、その二言語で何ができるのか。そして、将来どの言語で何を学びたいのかを考えながら、必要な言語を育てていくことだと思います。 DPの言語選択は、DPが始まってから考えない 在外日本人家庭に私がおすすめしたいのは、DP開始直前になって初めて言語選択を考えるのではなく、可能であれば中学生の段階で一度、将来の選択肢を確認しておくことです。 今の学校ではDPでどのLanguage Aを開講しているのか。Japanese Aはあるのか。SLとHLのどちらがあるのか。なければSSSTに対応しているのか。English Aを選ぶ場合、現在の英語力からどのような準備が必要なのか。日本の大学も選択肢として考えるのであれば、候補となる大学のIB選抜や帰国生選抜では何が求められるのか。 そして何より、本人の日本語と英語は、それぞれ「話せる」だけではなく、どの程度読める・書ける・考えられるのか。 これを早めに確認しておけば、日本語の読書を増やす、作文を始める、英語の学術的な文章力を強化する、第三言語をLanguage Bへつなげる、といった準備を数年かけて進めることができます。 この連載は、もともと海外で育つ子どもの日本語をどう考えるか、というところから始まりました。 家庭で日本語を話しているから大丈夫なのか。日本語の読書はなぜ必要なのか。読み書きをどこまで続ければいいのか。「日本語は来年から」でも間に合うのか。 IBまで進むと、それらは単なる「日本語を忘れないための話」ではなかったことが分かります。 小学生、中学生の間に日本語で本を読み、語彙を増やし、文章を書き、自分の考えを説明する経験を続けてきたことが、高校生になったときに「Japanese Aも選べる」という具体的な教育上の選択肢につながることがあります。 さらに、その日本語力が、将来日本の大学へ進むときの小論文や面接にもつながる可能性があります。 「日本語を続けるかどうか」は、小学生の漢字テストだけの問題ではありません。将来その子がどの言語で学び、どの大学へ進み、どの世界とつながることができるのか。 そのための、長い教育設計の一部なのだと思います。 参考資料 International Baccalaureate, Learning a language in the Diploma Programme International Baccalaureate, Studies in language and literature International Baccalaureate, Language A: Literature Guide International Baccalaureate, Examiner Instructions 2026 — Language A International Baccalaureate, Language B International Baccalaureate, Language ab initio International Baccalaureate, DP Passing Criteria International Baccalaureate, All Diploma Programme Subjects 国際基督教大学(ICU)「2027年度 総合型選抜〈IBDP利用〉」 東京学芸大学「2027年度 国際バカロレア選抜 学生募集要項」 東京学芸大学「2027年度 帰国生選抜 学生募集要項」

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2026.10.06

IBを選ぶ前に知っておきたいこと|高校からいきなりDPは想像以上に大変

「IBに入る」のではなく、「IB型の学び方に切り替わる」と考えてほしい 海外で子どもの進路を考えていると、IB(International Baccalaureate/国際バカロレア)という選択肢を目にする機会が増えます。 世界各国の大学への進学につながりやすいことに加え、暗記だけではなくCritical ThinkingやResearchを重視し、自分の考えを持って論理的に説明する力を育てる。こうした特徴に魅力を感じ、将来はIB Diploma Programme(DP)へ進ませたいと考えるご家庭も少なくないと思います。 私自身、IBの教育理念には非常に魅力的な部分が多いと思っています。 ただし、DPを検討するときに一つ注意してほしいことがあります。それは、「高校になったらIBを始めればいい」とだけ考えていると、想像以上に大きな学習スタイルの変化に直面する可能性があるということです。 これは、「DPは難しいから頭の良い子しかできない」という話ではありません。DPでは、単に学習内容が難しくなるだけではなく、自分で計画し、調べ、考え、文章にし、複数の課題を同時に管理することが求められるからです。 つまり、高校からDPへ入るということは、教科が難しくなるだけではなく、場合によっては**「勉強の仕方そのもの」をかなり短期間で変えること**になります。 DPは、6教科を勉強するだけのプログラムではない まず、DPがどのようなプログラムなのかを簡単に整理しておきます。 DPは原則16~19歳を対象とした2年間のプログラムで、学生は6つの教科群から科目を履修します。それに加えて、DP Coreと呼ばれるTheory of Knowledge(TOK)、Extended Essay(EE)、Creativity, Activity, Service(CAS)の3つにも取り組みます。 (ibo.org) この「Core」が、一般的な高校教育との違いを考えるうえで非常に重要です。 例えばExtended Essayでは、学生自身が研究テーマを決め、Research Questionを設定し、資料を調べ、議論を組み立て、最終的に4,000語の研究論文を完成させます。大学の卒業論文ほどではありませんが、高校生の段階で「先生から出された問題に答える」のではなく、自分で問いを設定して長期間かけて研究することが求められます。 TOKでは、「私たちはなぜそれを知っていると言えるのか」「何を証拠と考えるのか」といった、知識そのものについて考えます。評価にはExhibitionに加え、1,600語のEssayも含まれます。 そのうえで、各教科にも試験だけではなく、校内で行うInternal Assessmentなどの課題があります。DPの評価は最終試験だけで決まる仕組みではなく、教科によっては長期間かけて作成する課題も評価対象になります。 つまりDPの2年間は、「6教科を勉強して最後に試験を受ける」という単純なものではありません。通常の授業、宿題、試験勉強、Internal Assessment、TOK、Extended Essay、CASが、同じ2年間の中で同時に進んでいきます。ここにDP特有の難しさがあります。 大変なのは、「難しい問題」より「全部を同時に管理すること」 DPについて「大変」と聞くと、多くの人は、数学が難しい、英語のEssayが難しい、覚える量が多い、といった教科内容を想像するかもしれません。 もちろん、それもあります。しかし私は、それ以上に大きいのが自己管理だと思っています。 例えばExtended Essayは、提出日の前日に一晩頑張れば完成する課題ではありません。テーマを決め、Research Questionを絞り、資料を探して読み、構成を考え、執筆し、SupervisorとのReflectionを重ねながら完成させていきます。 その一方で、ほかの教科も当然進んでいます。数学のテストがある週にHistoryのEssayの締め切りがあり、ScienceのInternal Assessmentを進めながらTOKのEssayも書く、といったことが起こります。 こうなると必要なのは、「勉強ができる」ことだけではありません。何をいつまでに終わらせるのかを逆算し、大きな課題を小さく分け、自分で進捗を管理する力が必要になります。 IB自身も、DPのような要求の高い教育プログラムではSelf-managementが重要であり、とりわけTime ManagementはDP学生にとって重要な能力だと説明しています。 実際、DP経験者を対象にした研究でも、学生はDPを通してTime Management、Research、Writing、Critical Thinkingなどの力を身につけ、それらが大学進学後にも役立ったと報告されています。一方、DP導入校を調査した研究では、学生のStressが課題の一つとして挙げられています。 つまりDPの負荷は、欠点であると同時に、DPが大学進学後に役立つ力を育てる理由でもあるのです。 高校から突然「自分で管理してください」と言われても難しい ここで私が気になるのが、それまでどのような学習をしてきたかです。 例えば、それまでの学校生活で、先生や保護者が宿題や提出物を細かく管理し、試験範囲も明確で、課題は数日から1週間程度で終わるものが中心だったとします。また、正解のある問題を解くことが多く、必要な資料も先生から与えられる環境に慣れていたとします。 その状態から16歳になった瞬間、「半年後の締め切りから逆算して自分で研究を進めてください」「自分で問いを設定してください」「複数の資料を比較して、自分のArgumentを作ってください」「Criterionを読んで、自分の成果物を評価してください」と求められても、最初から簡単にできるとは限りません。 問題は能力ではありません。そのような学び方を経験したことがあるかどうかです。 DPで初めてSelf-managementやIndependent Researchを本格的に経験すると、教科学習と同時に「IBでの学び方」そのものまで学ばなければならなくなります。そこが、高校から突然DPへ入るときの大きな負荷になり得ます。 では、MYPから始めなければDPは無理なのか? ここは誤解のないようにしておきたいと思います。MYP(Middle Years Programme)を履修していなければDPへ進めない、ということではありません。 DPは16~19歳向けの独立したプログラムで、MYP以外の教育課程からDPへ進む学生もいます。過去のIBによる比較資料でも、DPへの進学者はMYPだけでなく、他の教育課程から来ることが想定されています。また、MYPを経験した学生が必ずDPで高得点を取るとも限らないでしょう。 IBのContinuumについて調べた研究では、PYP・MYPを経験した学生とDPのみを経験した学生の試験結果には有意な差が見られなかったようです。一方で、学校や学生への質的調査では、MYPで身につけたOrganization、Time Management、Inquiry-based Learning、Problem Solving、Criterion-referenced Assessmentへの慣れがDPへの準備に役立ったという報告がありました。 私は、この違いが重要だと思います。MYPをやればDPで成功する、という話ではない。けれど、DPで必要になる「学び方」に早くから触れておける。このメリットはあるのではないでしょうか。 MYPでは、すでに「勉強の仕方」を学んでいる MYPの特徴の一つに、Approaches to Learning(ATL)があります。 これは単なる教科知識ではなく、Research、Critical and Creative Thinking、Communication、Collaboration、Self-managementといった、「どう学ぶか」に関する力を育てる考え方です。 さらにMYPの最終学年にはPersonal Projectがあります。学生自身が興味のあるテーマを選び、長期間にわたって計画を立て、調査し、成果物を作り、そのプロセスを振り返ります。評価されるATLにはSelf-management、Research、Communication、Critical and Creative Thinkingなどが含まれます。 これは、もちろんExtended Essayと同じではありません。 しかし、自分でテーマを選び、長期的な計画を立て、期限まで自分で進め、資料を調べ、最後にプロセスを振り返るという経験を、DPへ入る前に一度していることには意味があります。 高校に入って初めて「半年かけて自分でProjectを完成させてください」と言われるのと、中学生の間から似た学習を経験しているのとでは、心理的な負荷も違うでしょう。 MYPの本当のメリットは、Personal Projectだけではない MYPというとPersonal Projectが目立ちますが、それだけではありません。日々の学習の中でも、「なぜそう考えるのか」「どのEvidenceを使ったのか」「どのCriterionを満たしているのか」「自分の学習をどうReflectするのか」といったことを繰り返します。 つまり、正解を当てるだけではなく、自分の考えに根拠をつけ、それを説明することが求められます。また、課題の評価基準がCriterionとして示され、それを読みながら自分の成果物を作ることにも慣れていきます。これはDPでも重要です。 先生が「これを書けば80点」と全部指示してくれるのではなく、Assessment Criteriaを理解し、「この課題では何を求められているのか」を自分で読み取る必要があります。 つまりMYPからDPへ進むメリットは、単にIBという名前のカリキュラムを長く経験することではなく、IB特有の学び方を、何年もかけて少しずつ日常化できることなのだと思います。 非MYPからDPへ進むなら、何を準備すればよいのでしょうか では、日本人学校や他のインターナショナルスクール、各国の国内カリキュラムからDPへ進む場合はどうでしょうか。 決して悲観する必要はありません。むしろ、DPで何が要求されるのかを事前に理解して、その学び方を少しずつ練習しておけばよいのだと思います。 例えばDPが始まる1~2年前から、長期課題を自分で管理する経験を作ることができます。夏休みに一つテーマを決め、数週間かけて調べてレポートを書く。先生や親が毎週「やった?」と確認するのではなく、最終提出日から逆算して本人に計画を作らせる。文章を書くときには、単なる感想ではなく、Claimを出し、その理由とEvidenceを示す。インターネット検索だけで終わらせず、複数の資料を比較し、「この情報はどこから来たのか」を意識する。そして提出後には、「何がうまくいったか」「次に何を変えるか」を振り返る。 こうした小さな経験を積んでおくだけでも、DP開始時の負荷は変わると思います。 必要なのは、「MYPの名前がついた教育を受けること」そのものではなく、DPで求められる学習習慣をDP開始前に経験しておくことだからです。 親がすべて管理してきた場合は、少しずつ手を離す必要がある これは、IBに限らず中高生の教育全般に言えることかもしれません。 親が長い間、試験日や宿題、提出物、予定表、忘れ物まで細かく管理していると、子ども自身は「誰かが教えてくれる」ことに慣れてしまいます。小学生のうちは、それでもよい場面がたくさんあります。 しかしDPでは、自分自身で管理することが急に増えます。そのため、DPへ進む可能性があるのであれば、中学生くらいから、「親が管理する」から「本人が管理し、親は必要なときだけ支える」へ少しずつ変えていくことも重要だと思います。 失敗も必要です。提出期限を忘れる、予定より時間がかかる、計画が甘かったことに気づく。中学生のうちの小さな失敗なら修正できます。 しかしDPのExtended EssayやInternal Assessmentで初めてそれを経験すると、代償が大きくなります。 自己管理は、説明されて身につくものではなく、実際に自分で管理して失敗し、修正することで身につく力です。 「頭が良いからDPに向いている」とは限らない DPを考えるときには、「学校の成績が良い」「テストで高得点を取る」「記憶力が高い」といったことだけで適性を判断しない方がよいと思います。 もちろん、基礎的な学力は重要です。しかしDPでは、それに加えて、長期間課題を続ける力、複数の締め切りを管理する力、自分でResearchする力、分からないときに助けを求める力、完璧でなくても一度Draftを作る力、Feedbackを受けて修正する力なども求められます。 IBの研究でも、DP学生が大学進学後に強みとして挙げるのは、教科知識だけではなくTime Management、Organization、Research、Analytical Writingなどです。 だから私は、「うちの子は成績がいいからIB」だけではなく、「この学び方が、この子に合っているだろうか」を見ることも大切だと思っています。 DPの負荷は、必ずしも悪いことではない ここまで読むと、DPがとても大変なプログラムに見えるかもしれません。実際、大変だと思います。でも、その負荷そのものが、DPの大きな教育価値でもあります。 大学に進めば、先生が毎日宿題を確認してくれるわけではありません。長いResearch Paperを書き、自分で文献を探し、複数の授業を同時に管理し、締め切りも自分で把握する必要があります。つまりDPで要求されることの多くは、その後の大学教育にかなり近いものです。 DP経験者を対象にした研究でも、大学進学後に「DPで学んだTime ManagementやResearch、Writingの経験が役立った」と回答する学生が多く報告されています。 だから私は、「DPは大変だから避けるべき」とは全く思いません。むしろ、大変だからこそ、その2年間に入る前に準備しておくという考え方をしてほしいと思っています。 「IBを選ぶ」のではなく、「IBで学べる状態を作る」 以前の記事で、学校選びは「入口」より「出口」を考えてほしい、と書きました。IBについても同じです。 「大学進学に有利そうだからDPへ入る」「国際的な資格だからDPへ入る」だけではなく、DPが始まる前に、自分で課題を管理した経験があるか、自分でResearchしたことがあるか、長い文章を書いたことがあるか、複数の締め切りを管理したことがあるか、Feedbackを受けて書き直した経験があるか、といった点を一度考えてみる必要があります。 もし、まだできないのであれば、「DPには向いていない」と判断する必要はありません。DPが始まるまでに、少しずつ経験させればいいのです。 MYPに進む方法もありますし、別の学校で同じようなProject-based Learningを経験する方法もあります。家庭でも、自分で調べてまとめる機会は作れます。大切なのは、16歳になって初めて、すべてを同時に始めないことだと思います。 そして、もう一つ大きな問題が「言語」です DPを考える日本人家庭には、もう一つ非常に重要な問題があります。それは、何語でDPを受けるのかという問題です。例えば、普段英語で授業を受けているからといって、English Aで文学作品を分析し、Essayを書けるレベルにあるとは限りません。 一方、日本語は家庭では流暢に話していても、これまでの記事で書いてきたように、日本語で同年代向けの文学を読み、論理的な文章を書く力まで育っているとは限りません。 そしてDPでは、言語科目の選択がDiploma全体の設計にも関わってきます。「英語が得意だから大丈夫」「日本人だからJapaneseを選べばいい」というほど単純ではありません。 DPへ進む可能性があるのであれば、どの言語を、どのレベルで、どのように履修するのかを、中学生くらいの段階から意識しておく意味があります。 これは、これまでにわたって書いてきた「在外のお子さまの日本語」の話とも、実は直接つながっています。 参考資料 International Baccalaureate, Diploma Programme International Baccalaureate, DP core International Baccalaureate, Theory of knowledge International Baccalaureate, Extended essay International Baccalaureate, How the MYP works International Baccalaureate, Personal project Walker, Bryant & Lee (2014), The International Baccalaureate continuum: Student, teacher and school outcomes International Baccalaureate Research, Key findings from research on the impact of the Diploma Programme