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小学校低学年での海外移住ほど、母語教育に注意してほしい理由

August 29, 2026

小学校低学年での海外移住ほど、母語教育に注意してほしい理由

「もう日本語は話せるから大丈夫」が、一番の落とし穴かもしれません

前回の記事では、海外駐在で学校を選ぶ際には、「インター校か日本人学校か」を考える前に、まずいつ日本へ帰るのか、将来どの言語で学ぶのかを考えてほしいという話を書きました。今回は、その中でも特に気をつけてほしいケースについて書きたいと思います。

小学校低学年での海外移住です。

こう書くと、「小さいうちに海外へ行かない方がいいの?」と思われるかもしれません。そういう意味ではありません。

むしろ、低学年から海外で生活することには大きなメリットがあります。新しい言語を吸収する柔軟性もありますし、異なる文化や価値観を自然に受け入れることもできます。 問題は海外へ行くことではありません。

私が気をつけてほしいと思っているのは、 「日本語はもう話せるから、母語は大丈夫」と考えてしまうことです。


小学2年生の日本語は、完成した日本語ではない

例えば、小学2年生の子どもが海外へ引っ越したとします。 家族とは普通に日本語で話せます。 「今日、学校でね……」 と一日の出来事を説明できます。 友達とも遊べます。 テレビやYouTubeも日本語で理解できます。 親から見れば、十分に日本語ができています。

そのため、 「日本語はもう身についているから、これからは英語に集中しよう」 と考えるのも無理はありません。

しかし、ここには大きな誤解があります。

小学2年生で身についている日本語は、8歳の子どもとして必要な日本語です。12歳の日本語でも、15歳の日本語でもありません。 子どもの日本語は、日本で生活しているだけでも、その後何年にもわたって成長していきます。 しかも、単に漢字をたくさん覚えたり、難しい言葉を知ったりするだけではありません。

「日本語を使って、どのくらい複雑なことを考えられるか」そのものが変わっていきます。

日本の小学校での教室風景

小学校では、「考えるための言葉」を段階的に学んでいる

日本の学習指導要領を見ると、この変化がよく分かります。

国語では、低学年から中学校にかけて、情報と情報の関係を理解する力を段階的に育てるよう設計されています。

例えば、

  • 小学1・2年生では、「共通していること」「違うこと」「順序」などを扱います。
  • 小学3・4年生になると、「考え」と、それを支える「理由や事例」の関係を学びます。
  • 小学5・6年生では、「原因」と「結果」などの関係を考えるようになります。
  • さらに中学校になると、「意見」と「根拠」そして、「具体」と「抽象」といった関係へ進んでいきます。

文部科学省の学習指導要領でも、このように情報の関係を段階的に高度化させる構成になっています。つまり子どもたちは、日本の学校に通いながら、言葉を覚えているだけではありません。

言葉を使って、物事を整理し、比較し、理由を考え、説明する方法を学んでいるのです。


「りんご」と「果物」は違う種類の言葉

少し具体的に考えてみましょう。

  • 「りんご」
  • 「みかん」
  • 「バナナ」
は、子どもでも比較的早く覚えます。 目の前にあるものと、言葉を結びつければいいからです。

でも、 「果物」 という言葉は少し違います。

りんごそのものを指しているわけではありません。 りんごやみかんやバナナなどの共通点を取り出して、一つ上の概念としてまとめた言葉です。

さらに年齢が上がれば、
  • 「原因」
  • 「結果」
  • 「傾向」
  • 「比較」
  • 「立場」
  • 「根拠」
  • 「影響」
  • 「目的」
  • 「例外」
  • 「可能性」

といった、目では直接見ることのできない言葉を大量に使うようになります。

そして中学生、高校生になると、
  • 「自由」
  • 「責任」
  • 「公平」
  • 「文化」
  • 「価値観」
  • 「社会」

といった、さらに抽象度の高い概念について考えます。

こうした言葉は、日常会話だけで自然にすべて身につくものではありません。
  • 本を読む。
  • 授業を聞く。
  • 文章を書く。
  • 先生から質問される。
  • 友達と意見を交換する。
  • 「なぜそう思うの?」と聞かれて説明する。

そうした経験の積み重ねによって、徐々に使えるようになっていきます。

具体と抽象の概念図|Sakura国語のワークショップ

小3で英語環境へ入ると、何が起こるのか

ここで、例えば小学3年生で日本からインター校へ移ったケースを考えてみます。日本語では、8〜9歳相応の会話ができます。でも英語はまだ初心者です。当然、学校では最初から高度な英語を使えるわけではありません。

  • 「これは何?」
  • 「私は○○が好きです」
  • 「昨日○○へ行きました」
といった比較的簡単な表現から始めることになります。もちろん、英語力が伸びるにつれて、より複雑な内容も扱えるようになっていきます。 問題は、その間です。

本人の頭の中は9歳、10歳、11歳と成長しているのに、英語で自由に扱える言葉は、必ずしもその年齢の思考に追いついているとは限りません。

英語学習者は、第二言語の習得と同時に、年齢相応の算数、理科、社会などの学習内容も身につけなければならないという二重の課題を抱えます。National Academiesも、English Learnersについて、英語習得と学年相応の教科学習を同時に進める必要があると指摘しています。*

これは、子どもの思考力が低くなったという話ではありません。考えていることを学習言語で十分に扱えない時期が生まれる可能性があるという話です。


だからこそ、その間も日本語を成長させてほしい

ここで非常に重要なのが母語です。英語がまだ十分に育っていないのであれば、その間も日本語で、

  • 本を読む。
  • 文章を書く。
  • 理由を説明する。
  • ニュースについて話す。
  • 「あなたはどう思う?」と聞かれる。
  • 「なぜそう考えるの?」と掘り下げる。

こうした経験を続けることができます。

つまり、英語を習得している間も、日本語を使って「思考の年齢」を上げ続けることができるのです。

母語・家庭言語を維持することと第二言語を習得することは、どちらか一方を選ばなければならない関係ではありません。UNESCOは2025年の多言語教育に関するガイダンスで、子どもが理解できる家庭言語を学習の基盤として活用しながら第二言語を導入することの重要性を示しています。**また、National Academiesの研究レビューでも、家庭言語を使うことが第二言語の発達を妨げるという根拠はなく、十分な言語経験があれば子どもは複数の言語を発達させることができると整理されています。

ですから、「英語を早く伸ばしたいから、日本語を減らそう」と単純に考える必要はありません。むしろ、英語を伸ばすからこそ、日本語も止めない。という考え方が重要だと思います。

日本語での読書の重要性|Sakura国語のワークショップ

家で日本語を話していれば十分では?

ここで、多くのご家庭から聞く言葉があります。「家ではずっと日本語で話しているので、日本語は大丈夫だと思います」確かに、家庭で日本語を使い続けることはとても大切です。でも、それだけで十分でしょうか。家庭で交わされる会話を思い出してみてください。

  • 「宿題やった?」
  • 「今日どうだった?」
  • 「早く着替えて」
  • 「何食べたい?」
  • 「明日は何時に出る?」

もちろん、家庭によって違いますが、日常会話の多くは生活に必要な言葉です。

一方、学校では、

  • 「二つの意見の共通点は何ですか」
  • 「この結果になった原因を説明してください」
  • 「筆者の考えを要約してください」
  • 「あなたはどちらの立場に賛成ですか」
  • 「その根拠は何ですか」

という言葉を使います。

同じ日本語でも、求められているものが全く違います。生活するための日本語と、学ぶため・考えるための日本語は同じではありません。だから、家庭で日本語を話しているからといって、自動的に日本語が12歳、15歳相応まで成長していくとは限らないのです。


ある日突然、日本語力が落ちたように見える

海外で育つお子さまを見ていると、低学年の間はそれほど問題が見えないことがあります。

  • 日本語で普通に会話できる。
  • 日本の祖父母とも話せる。
  • 漫画も読める。
  • YouTubeも理解している。

ところが、小学校高学年から中学生くらいになると、

「あれ?」

となることがあります。

  • 日本の同学年向けの文章を読むと、理解に時間がかかる。
  • 説明文になると急に分からなくなる。
  • 文章を読んで、「つまり何が言いたいの?」と聞いても答えられない。
  • 自分の意見は言えるけれど、「なぜ?」と聞くと説明が続かない。

本人の日本語が突然悪くなったわけではありません。本人の日本語が止まっている間に、同年代の子どもたちが使う日本語の方が先へ進んでしまったと考えた方が近い場合があります。これが海外での日本語教育の難しいところです。

日本人小学生の日常会話|Sakura国語のワークショップ

「維持」ではなく「成長」を考える

海外に住むご家庭では、よく、「日本語を維持したい」という言葉を使います。でも私は、低学年のお子さまについては、「維持」という言葉だけでは足りないと考えてます。

小学2年生の日本語を維持しても、小学6年生になったときには足りません。 小学6年生の日本語をそのまま維持しても、高校生になったときには足りません。

子ども自身が成長している以上、言葉も一緒に成長しなければならないからです。

必要なのは、日本語を維持することではなく、日本語を年齢相応に成長させ続けることです。

これは漢字を何文字書けるか、という話だけではありません。

  • 語彙を増やす。
  • 長い文章を読む。文章の構造を理解する。
  • 人の話を聞く。
  • 自分とは違う意見に触れる。
  • 自分の考えを説明する。
  • 理由を考える。
  • 具体例を挙げる。
  • 要約する。
  • 比較する。

こうしたことを日本語で経験し続ける必要があります。その意味でも、母語での読書はとても重要です。読書については、別の記事で詳しく書きたいと思います。


バイリンガル教育は、「英語を足すこと」ではない

海外へ来ると、「せっかくだから英語を身につけさせたい」と考えるのは当然だと思います。私も、それ自体は素晴らしいことだと思います。でも、

日本語100だった子どもに英語100を追加すれば、日本語100+英語100のバイリンガルになる。そんな単純な話ではありません。

  • 子どもには一日24時間しかありません。
  • 英語で学校へ行くようになれば、日本語に触れる時間は大きく減ります。
  • 日本語で本を読む時間も減ります。
  • 日本語で先生から説明を聞く時間もなくなります。
  • 日本語で同年代の友達と議論する機会も減ります。

その状態で何もしなければ、英語が伸びる一方で、日本語の成長速度が落ちることは十分に考えられます。

だからこそ、英語をどう伸ばすかと同じくらい、日本語をどう成長させ続けるかを設計してほしいと思っています。


低学年で海外へ行くことが危険なのではない

最後に、ここは誤解のないように書いておきたいと思います。私は、「小学校低学年で海外へ行くのは危険だ」と言いたいわけではありません。

幼い時期に海外で暮らし、複数の言語や文化に触れられることは、子どもにとって大きな財産になり得ます。複数言語を学ぶことそのものが子どもを混乱させるという考えも、現在の研究では支持されていません。

私がむしろ危険だと思うのは、「もう日本語は話せるから大丈夫」と考えて、日本語の成長を学校から完全に切り離してしまうことです。

  • 8歳で海外へ行ったのであれば、8歳の日本語を守るのではありません。
  • 10歳になれば10歳の日本語へ。
  • 12歳になれば12歳の日本語へ。
  • 15歳になれば15歳の日本語へ。
  • 英語と一緒に、日本語も成長させていく。

その環境を意識的につくる必要があります。

海外にいると、日本語は「あるか、ないか」で考えがちです。

話せるから大丈夫。

話せなくなったから問題。

でも、本当に見なければならないのは、その間です。「この子の日本語は、本人の年齢と一緒に成長しているだろうか?」私は、海外で子どもを育てるご家庭には、ときどきこの問いを考えていただきたいと思っています。

次回は、家では日本語を話しているから大丈夫、ではない――海外で失われる日本語は、漢字だけではないというテーマで、家庭内会話だけでは触れにくい語彙や表現、そして海外生活の中で失われやすい「日本語の解像度」について書きたいと思います。


*National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine (2017) Promoting the Educational Success of Children and Youth Learning English: Promising Futures Washington, DC: The National Academies Press. DOI: 10.17226/24677

**UNESCO (2025) Languages matter: Global guidance on multilingual education UNESCO, 29 January 2025.

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「本を読まない子」に、名作を与える前に考えてほしいこと

2026.09.15

「本を読まない子」に、名作を与える前に考えてほしいこと

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(2024), Effects of additions to independent silent reading on students’ reading proficiency, motivation, and behavior: Results of a meta-analysis, Educational Research Review, 42. Wigfield, A., Gladstone, J. R. & Turci, L. (2016), Beyond Cognition: Reading Motivation and Reading Comprehension, Child Development Perspectives. Baker, L. & Wigfield, A., Dimensions of Children’s Motivation for Reading and Their Relations to Reading Activity and Reading Achievement, Reading Research Quarterly. Mori, Y. & Calder, T. M. (2017), The Role of Parental Support and Family Variables in L1 and L2 Vocabulary Development of Japanese Heritage Language Students in the United States, Foreign Language Annals.

在外のお子さまの日本語|「話せる」と「読める・書ける」は別の力

2026.09.09

在外のお子さまの日本語|「話せる」と「読める・書ける」は別の力

会話が流暢だからこそ読み書きの遅れは見えにくい、という現実 海外で育つ子どもたちの日本語を見ていると、とても興味深いことがあります。 日本語で普通に話している。 冗談も言える。 親が言っていることも理解している。 日本のアニメも楽しんでいる。 だから保護者から見ると、「うちの子は日本語は大丈夫」に見えます。ところが、実際に日本語の文章を読んでもらうと、少し様子が変わることがあります。 漢字が読めない。 文章になると読む速度が急に落ちる。 一文ずつは読めても、全体として何が書いてあるのか分からない。 そして、「じゃあ、これについて自分の考えを書いてみて」と言うと、さらに難しくなる。 教室では、小学校高学年、ときには中学生になっていても、ひらがなやカタカナを書くことにかなり苦労するお子さまに出会うこともあります。でも、本人と日本語で話しているだけでは、そのことに気づかないことがあります。なぜなら、話す日本語はかなり流暢だからです。ここに、海外での日本語教育の非常に見えにくい落とし穴があります。 「日本語力」を一つの能力として考えない 私たちはつい、「この子は日本語ができる」もしくは「日本語が弱い」と、一つの能力のように考えてしまいます。でも、実際には日本語にはさまざまな力があります。 聞く 話す 読む 書く さらに読む中にも、 文字が読める 単語の意味が分かる 文章の内容を理解する 筆者の意図を読み取る 複数の情報を関連づける といった違う力があります。書くことも同じです。 ひらがなを書く 漢字を書く 文章を作る 出来事を順序立てて説明する 理由を書く 自分の意見と根拠を構造化する これらは全部同じ能力ではありません。 日本語を継承語として育てる子ども427人を対象とした2025年の研究でも、日本語能力を調べる際には、話す・理解する・読む・書くがそれぞれ別の項目として評価されています。また、読書・作文・宿題などのLiteracy活動が独立した言語経験として分析され、日本語能力との関連が示されています。 つまり、日本語を話せることと、日本語を読んだり書いたりできることは、分けて考える必要があるのです。 なぜ「話す」はできるのに、「読む・書く」は難しいのか 考えてみると、これはそれほど不思議なことではありません。子どもは、日本語の会話を毎日家庭で使っているかもしれません。朝起きて、「おはよう」、「早く着替えて」、「今日何時に帰ってくる?」。学校から帰れば、「今日どうだった?」、「お腹すいた」、「宿題終わった?」こうした日本語を何年も使っています。 でも、 ひらがなを毎日読んでいるでしょうか? カタカナを書いているでしょうか? 日本語の長い文章を読んでいるでしょうか? 日本語で作文を書いているでしょうか。 インター校や現地校へ通っていれば、学校で毎日行っている読み書きは英語やオランダ語です。つまり、話す日本語には毎日練習する機会があるのに、読む・書く日本語にはほとんど練習する機会がないという状態が起こります。 そう考えれば、会話力と読み書きに差が生まれること自体は、むしろ自然です。継承語話者は、教育を受ける多数派言語では読み書きを身につけやすい一方、継承語では聞く・話す能力と読み書き能力に大きな個人差が生じることが知られています。研究レビューでも、継承語話者の能力は聞く・話す・読む・書くの各領域で一様ではないことが指摘されています。 文字は、会話しているだけでは自然には身につかない ここは非常に重要です。日本語をたくさん聞いていれば、ある程度日本語を話せるようになります。でも、「ありがとう」と何千回聞いていても、それだけで自然に「あ・り・が・と・う」と書けるようになるわけではありません。まして、「ありがとうございます」と、「有り難うございます」の違いを自然に理解するわけでもありません。 文字は、文字を見て、音と結びつけ、読んで、書いて、何度も使うことで身についていきます。日本で育つ子どもには、この機会が身のまわりに溢れています。幼稚園の名札や絵本、街中の看板、テレビの字幕、学校のプリント、教科書、黒板、宿題などなど、列挙し出すと切りがありません。 日本語が生活の中に文字として存在しています。海外で生活すると、この「文字としての日本語」が一気に限定されてしまいます。家庭で日本語を話していたとしても、日本語を文字として目にする量は、日本で生活する子どもとは全く違うのです。 ひらがな・カタカナが書けないことを、責めるべきではない 教室で、小学校高学年や中学生でも、ひらがな・カタカナの書字に苦労するお子さまを見ることがあります。例えば、「ぬ」と「め」が混乱する、「シ」と「ツ」が分からない、促音の「っ」をどこに入れるのか分からない、長音をどう書くのか迷う、文章のどの部分がカタカナになるのか判らない、言葉は知っているのに文字にできない。 でも、私はこれを、「中学生なのに、こんなことも書けない」と考えるべきではないと思っています。本人は、学校で英語やオランダ語を使って毎日勉強しています。そちらの言語ではEssayを書き、Presentationをし、難しい内容を理解しているかもしれません。 単に、日本語を書く経験が圧倒的に少なかっただけかもしれません。書くという能力は、話す能力とは別に練習する必要があります。 日本で育つ子どもについての研究でも、ひらがなの読みの力と、その後のひらがな・漢字の読み書き能力には関連があり、読み書きの技能が段階的に発達していくことが示されています。 ですから、「話せるのになぜ書けないの?」ではなく、「これまで書く機会がどのくらいあっただろう?」と考えた方がよいと思います。 日本語入力ができることと、日本語を書けることも少し違う 最近はもう一つ、興味深いことがあります。スマートフォンなら日本語で文章を打てる。LINEなら日本語でメッセージできる。でも、「紙に書いてみて」と言うと書けない。ということがあります。 スマートフォンなら、「きょうはがっこうにいきました」と入力すれば、「今日は学校に行きました」と変換してくれます。「学校」という漢字を書けなくても、読むことさえできれば選べます。これは悪いことではありません。現代社会では、手書きよりタイピングする機会の方が多いでしょう。ですから、「漢字を手で全部書けなければ日本語ができない」とも思いません。 ただし、入力できること、読めること、手で書けること、文章を構成できることは、それぞれ違う能力だということは理解しておく必要があります。 重要なのは、「学校」という漢字を手書きできるかだけではありません。「今日学校であった出来事を、知らない人にも分かるように説明してください」と言われたときに、日本語で文章を組み立てられるか。私は、こちらの方がより重要だと思っています。 「書く」は、文字を書くことだけではない 「日本語を書く力」というと、漢字を書けるかどうかに目が行きがちです。でも、高学年以降になると本当に必要になるのは、考えを文章にする力です。 例えば、「私はこの意見に賛成です」までは書ける。では、「なぜですか?」と聞かれたらどうでしょう。「なぜなら……」と理由を書く。さらに、「具体例を挙げてください」と言われる。そして、「反対の立場の人はどう考えるでしょうか」まで考える。こうなると、単に漢字を知っているだけでは書けません。 頭の中にある考えを、順序立て、必要な情報を選び、相手に伝わるように文章として構成する必要があります。 書くというのは、思考を言葉として外に出し、構造化する作業でもあります。 会話なら、相手が助けてくれる 書くことが難しいもう一つの理由があります。会話では、相手がいます。子どもが、「今日ね、学校であの子がさ、またあれやって……」と言えば、親が、「○○君?」と聞いてくれます。 「うん。それで先生が……」 「怒ったの?」 「そうそう」 と、相手が会話を補ってくれます。表情もあります。ジェスチャーもあります。分からなければ聞き返してもらえます。 でも文章では、相手は横にいません。「あの子」と言われても分かりません。「あれ」では伝わりません。書き手自身が、 誰のことなのか 何が起こったのか なぜ起こったのか どう感じたのか を説明する必要があります。 つまり書くことによって、「自分は分かっている」から「相手にも分かるように説明する」へ思考を変える必要があります。この力は、自然な家庭会話だけでは必ずしも十分に練習できません。 読めないと、「知っている日本語」が増えにくくなる 読み書きの中でも、私はまず「読むこと」が非常に重要だと思っています。なぜなら、読めるようになると、自分で日本語を増やせるようになるからです。 本を読む ニュースを読む インターネットで調べる 漫画を読む 字幕を読む 説明書を読む 日本語で検索する 誰かに日本語を教えてもらわなくても、文字を通じて、自分で新しい日本語を取りに行けるようになります。 逆に、日本語を話せても日本語を読むことが苦手だと、日本語のインプットは人との会話に依存します。家庭で使われている言葉から先へ進みにくくなります。 前回までの記事で何度も取り上げてきた日本語継承語話者427人の研究でも、読書・作文・宿題などの日本語Literacy活動が、日本語能力に関係する重要な要素として示されています。 読むことが、書くことにもつながる ここも重要です。文章を書けるようにするため、「作文をたくさん書かせよう」と考えることがあります。もちろん書く練習は必要です。でも、書く前に、良い日本語をたくさん読むことも非常に重要です。 文章を読めば、「こういうときは『しかし』を使うんだ」、「理由を書くときは『なぜなら』なんだ」、「話が変わると段落が変わるんだ」、「こうやって人物の気持ちを表現するんだ」といった文章の型を、少しずつ取り込んでいきます。 2026年に発表された、9~15歳のバイリンガル児童の継承語としての英語の書く力を3年間追跡した研究でも、家庭での読書習慣がwritingの発達を支える重要な要素として報告されています。特に高いwriting能力を持つ子どもには、自主的な読書や継続的な家庭での読書経験が多く見られました。 対象言語は英語ですから、その結果をそのまま日本語へ当てはめることはできません。ただ、継承語の読み書きは、家庭でその言語を話しているだけで自動的に育つものではなく、文字に触れる活動が重要であるという点は、日本語教育を考えるうえでも非常に示唆的です。 「うちの子は日本語を話せるから大丈夫」が危険なのではない ここで誤解してほしくないことがあります。私は、「日本語を話せても読み書きできなければ意味がない」と言いたいわけではありません。会話できること自体、とても大きな力です。家庭によって、日本語をどこまで育てたいのかという目標も違います。海外に永住し、日本語は家族との会話ができれば十分、と考える家庭もあるでしょう。それも一つの選択です。 問題は、「話せるから、読み書きも必要になればすぐできるだろう」と錯覚してしまうことです。 話す力があることは大きな土台になります。でも、読む・書くためには、文字に触れ、読んで、書く経験が必ず必要なのです。 将来、日本語をどこで使うのかを考えてほしい では、日本語の読み書きをどこまで続けるべきなのでしょうか。これは、すべての家庭に同じ答えはありません。重要なのは、その子が将来、日本語をどのように使う可能性があるのかを考えることだと思います。 例えば、 日本へ帰国する可能性がある。 日本の中学・高校・大学へ進学する可能性がある。 日本で働く可能性がある。 日本の親族との関係を持ち続けたい。 将来、自分の子どもにも日本語を伝えたい。 日本の本やニュースを自分で読めるようにしたい。 そうした可能性が少しでもあるのであれば、「会話ができるから十分」で止めず、日本語を文字でも扱える状態を残しておくことには大きな意味があります。 反対に家庭として、「今後の教育・生活はすべて現地語で、日本語は家族との会話ができれば十分」と考えるのであれば、それも明確な教育方針です。 大切なのは、「気づかないうちに読み書きがなくなっていた」、ではなく、どのレベルの日本語を残すかを、家庭として意識的に選ぶことなのです。 漢字だけに焦点を当てすぎない 日本語の読み書きについて話すと、どうしても、「漢字を何文字覚えていますか?」という話になります。もちろん漢字は大切です。でも、漢字ドリルだけやっていても、読解力や文章力が自然に育つとは限りません。 例えば、「原因」という漢字を書ける。でも、「原因と結果の関係を説明してください」と言われたときに答えられない。それでは十分ではありません。逆に漢字を書くのは苦手でも、文章を読み、内容を理解し、自分の考えを日本語で説明できる。こちらには大きな力があります。 だから私は、日本語の読み書きを、「漢字が書けるか」だけで測らない方がいいと思っています。見るべきなのは、 文章を読めるか 意味を理解できるか 知らない言葉を前後から考えられるか 自分の考えを文章にできるか 相手に分かるように説明できるか という、もう少し広いLiteracyの力です。 読み書きも、いきなり100点を目指さなくていい 前回の記事でも書きましたが、日本語教育は0か100かで考える必要はありません。日本の学校と同じ量の漢字を毎日やる必要はないかもしれません。でも、週に一冊、日本語の本を読む、短い日記を書く、日本語でゲームをするなどの経験でも日本語を文字として使う回路を残すことができます。 大切なのは、日本語が「家族と話すための音」だけにならず、自分で情報を得て、自分の考えを伝えるための文字でもあり続けることだと思います。 読み書きができると、日本語の世界を自分で広げられる 私が、海外の子どもに日本語の読み書きを残してほしいと思う最大の理由は、漢字テストでいい点を取るためではありません。日本へ帰国したとき困らないためだけでもありません。 読み書きができれば、本人が親を介さずに、日本語の世界へアクセスできるからです。 自分で本を選ぶ 自分で検索する ニュースを読む 好きなアーティストの記事を読む 日本の人とメッセージする 大学について調べる 仕事を探す 契約書を読む そして自分の考えを文章で伝える そのとき日本語は、「親から受け継いだ家庭の言葉」から、「自分自身が使える言語」へ変わります。私は、これが読み書きの大きな意味だと思っています。 「日本語は大丈夫」の中身を、一度分解してみる お子さまが日本語で流暢に話していることは、とても大切な力です。でも、一度だけ、「日本語は大丈夫」という言葉を分解してみてください。 日本語を聞いて理解できる? 日本語で日常会話ができる? 知らない人にも出来事を説明できる? ひらがな・カタカナを読める? 書ける? 同年代向けの本を読める? 説明文を理解できる? 自分の考えを文章にできる? 理由や根拠を書ける? 全部できる必要はありません。家庭によって目標は違います。でも、どこまでできていて、どこから難しいのかを知っていることは、とても大切です。海外で育つ子どもの日本語は、「できる」「できない」の二択ではありません。読む、聞く、話す、書く力はそれぞれが違う速度で育ちます。 だから、「日本語を話しているから大丈夫」ではなく、「この子の日本語は、今どんな形で育っているだろう?」と見てみて、そこから、その家庭に本当に必要な日本語教育が見えてくるのではないかと思います。 参考資料 Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340. Nakamura, J. (2026), English as a Heritage Language in Japan: Writing Development From Late Childhood to Adolescence, Reading Research Quarterly. 花房香(2020)「読み書き能力の発達―就学前から小学2年生までの追跡研究―」 Takahashi, N. & Nakamura, T. (2015), Abilities needed by Japanese children to write kanji: Development of the ATLAN Kakitori subtest, The Japanese Journal of Psychology.