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「日本語は大丈夫」と思っていたのに|在外のお子さまの日本語力をどう見る

September 21, 2026

駐在や海外移住のご家庭へ。 本当にインター校がお子さまにとってベストな選択ですか?

目次

会話だけでは見えない「日本語力」を、どう捉えるか

海外で育つお子さまの保護者とお話ししていると、「日本語は特に問題ないと思います」と言われることがあります。

実際にお子さまと話してみても、日本語はとても自然です。こちらの質問も理解できる。日本語で冗談も言える。日本のアニメも理解している。祖父母とも日本語で話している。だから、「日本語は大丈夫」と感じるのは、とても自然なことだと思います。

ところが、教室で日本語の文章を読んでもらったり、語彙や読解に関する簡易的なアセスメントを行ったりすると、「あれ?」となることがあります。会話では全く気にならなかったのに、文章になると知らない言葉が多い。文章を最後まで読んでも、何が書いてあったのか説明できない。言葉の意味を聞くと、何となくは分かっているけれど説明できない。自分の意見は言えるけれど、その理由を文章にできない。そして結果を見た保護者の方が、「こんなに差があるとは思いませんでした」と驚かれることがあります。

教育にとても熱心なご家庭でも同じです。これは、保護者が子どものことを見ていなかったからではありません。むしろ、日常生活の中では、日本語のどの部分が育っていて、どの部分が育っていないのかが非常に見えにくいからだと思います。


「日本語ができる」という言葉は、実はかなり曖昧

そもそも、「日本語ができる」とは、何ができることなのでしょうか。日本語での挨拶、親との会話、友達と遊ぶ、テレビを理解できる、本が読める、作文が書ける、自分の意見を説明できる、教科書が理解できる、論文を書くことができる。

全部、日本語ですが、必要な力は全く同じではありません。例えば、前回までの記事で見てきたように、聞く力、話す力、読む力、書く力は、それぞれ別に見る必要があります。

さらに「読む」だけでも、

  • 文字を音にできる

  • 単語の意味が分かる

  • 一文の意味が分かる

  • 文章全体の内容が分かる

  • 原因と結果をつかめる

  • 登場人物の気持ちを推測できる

  • 筆者の主張を理解できる

  • 複数の情報を関連づけられる

などの段階があります。だから、「日本語ができる/できない」という二択だけでは、子どもの日本語を正確に見ることはできません。


話せると、「全部できる」ように見えやすい

なぜ、海外の子どもの日本語力は見誤りやすいのでしょうか。一つの大きな理由は、会話力が非常に目立つからではないでしょうか。

家庭で日本語を使っているお子さまなら、日本語の発音も自然です。文法も、日常会話ではほとんど違和感がありません。日本語らしい相づちも使います。「えー、マジで?」「だからさ」「それ、やばくない?」といった表現も自然に出てきます。

ここまで話せると、大人はどうしても、「日本語ができる」と判断します。ところが、「『影響』ってどういう意味?」「この文章で、なぜ主人公は考えを変えたの?」「この二人の意見の違いを説明して」となると、急に難しくなることがあります。これは、決して不思議なことではありません。

家庭で毎日使っているのは、主に生活のための日本語です。一方で、文章を理解したり、情報を比較したり、根拠を説明したりするときには、違う種類の語彙や言語経験が必要になるからです。


文部科学省も「ことばの力」を一面的には見ていない

興味深いのは、日本語を第二言語として学ぶ子どもの教育でも、「会話ができるか」だけで日本語力を判断していないことです。

文部科学省が提供している「対話型アセスメント DLA」は、文化的・言語的に多様な背景を持つ子どものことばの力を、一対一の対話を通して多角的に捉えるためのものです。

また、「ことばの力のものさし」では、<聞く・話す><読む><書く>を技能別に捉える考え方が示されています。

DLAそのものは、日本の学校で日本語を学ぶ外国人児童生徒等を主な対象にした仕組みですので、そのまま海外の日本語継承児童に当てはめるものではありません。ただ、子どものことばの力を、一つのテスト、一つの技能、一つの数字だけで判断しないという考え方は、在外のお子さまの日本語を見るうえでも非常に参考になると思います。


「話す力」の中にさえ、違う力がある

さらに興味深いことがあります。旧版のDLAでは、「話す力」そのものについても、基礎的な会話、対話、そして、自分の考えや意見をまとめて述べる力を分けて見ていました。

つまり、「今日学校どうだった?」「楽しかった」と答えられることと、「なぜそう考えたのか、自分の意見を説明してください」に答えられることは、同じ「話す」でも少し違うのです。

これは教室で子どもたちを見ていても、とてもよく感じます。日常会話は非常に流暢。でも、「どうして?」「例えば?」「反対の立場だったら?」と少し掘り下げると、説明が難しくなる。

この場合、「日本語ができない」のではありません。日常会話に必要な日本語は十分に育っている一方、説明したり、考えを構造化したりする日本語を使う経験が少ないと見る方が適切だと思います。


日本語継承語の研究でも、能力は一つにまとめられていない

これまでの記事でも紹介してきた、日本語を継承語として育てている427人を対象とした2025年の研究があります。この研究でも、日本語能力について、話す、理解する、読む、書くを別々に尋ねています。また、この研究では、日本語の語彙発達に大きな個人差があることも示されています。

日本語継承語話者と日本語環境で育った子どもの語彙得点は、幼児期には大きな差が見えにくかった一方、平均的には5歳7か月頃から差が現れ、その後も青年期まで続きました。同時に重要なのは、継承語話者の中にも非常に大きな個人差があったということです。

つまり、「海外で育てば日本語が必ず遅れる」という話ではありません。実際、この教室にも、日本国外で幼い頃から育っているにもかかわらず、日本の同年代と比べても非常に高い日本語力を持つお子さまがいます。

一方で、日常会話から受ける印象と、語彙・読解との間にかなり大きな差があるお子さまもいます。大切なのは、海外にいるかどうかだけではなく、その子がどのような日本語経験を積んできたのかを見ることなのだと思います。


教室で、意外な結果が出ることがある

Sakura国語のワークショップでは、子どもの語彙や読解の状態を知る一つの材料として、読書指数診断などのアセスメントを利用しています。そこで時々、保護者の方が非常に驚かれる結果が出ることがあります。

中学生のお子さま。日本語で普通に会話しています。家でも日本語です。本人も、「日本語は分かる」と言います。ところが、語彙や読解の問題に取り組んでみると、同年代の日本の子どもを基準にした場合、かなり易しい段階の問題からつまずくことがあります。保護者からすると、「こんなに日本語を話しているのに?」という感覚です。これが、会話だけでは見えない日本語です。


「小学3年生相当」と出ても、「この子は小学3年生の能力」という意味ではない

ここは、とても重要なので強調したいと思います。例えば、中学生のお子さまの語彙テストで、「小学3~4年生相当」といった結果が出たとします。これを、「この子の日本語力は小学3年生」と解釈するべきではありません。まして、思考力が小学3年生。知能が小学3年生。学力全体が小学3年生。という意味では全くありません。

インター校では年齢相応、あるいはそれ以上の内容を学んでいるかもしれません。英語では難しい文章を書いているかもしれません。数学も科学も年齢相応に理解しているかもしれません。ただ、今回測った日本語の語彙や読解の一部分では、日本の同年代の平均とは差があったということです。この区別は非常に大切です。


アセスメントは、子どもに「点数をつける」ためではない

私は日本語のアセスメントを、子どもを評価するためのものとは考えていません。「あなたは日本語ができません」と言うためでもありません。目的はむしろ逆です。

今、どこまでできているのかを知る。そして、次に何をすればいいのかを考えるためです。例えば、会話力は十分にある、ひらがな・カタカナも読める、でも語彙が少ない。それであれば読書量を増やすことを考えられます。

語彙はある。でも長い文章になると内容をつかめない。そのようなお子さまには要約や文章構造を捉える練習が必要かもしれません。

読むことはできる。でも自分の考えを書くことが難しい。それであれば作文や表現活動を増やす。

というように、何を補えばよいかが見えてきます。文部科学省も、ことばのアセスメントについて、一人ひとりを多角的に把握し、評価を指導目標や内容の決定につなげることを重視しています。私は、この考え方がとても大切だと思っています。


日本を出たときの日本語が、そのまま残っているように見える子もいる

教室でいろいろなお子さまを見ている中で、個人的に興味深いと感じることがあります。例えば、小学3年生で日本を離れた。その後、中学生になった。日常会話は今でも自然です。でも、語彙や読解を見てみると、日本を離れた頃の学齢に比較的近いところで難しさが出る。そんなケースに出会うことがあります。

もちろん、「日本を出た年齢で日本語力が止まる」という法則があるわけではありません。私たちの教室での観察だけから、そんなことを一般化することはできません。日本を離れた後も、読書を続けている。補習校へ行っている。日本語で作文を書いている。日本へ定期的に帰っている。日本人の友達がいる。というお子さまは、その後も日本語を大きく伸ばしています。

ただ、逆に、海外へ移った時点から、日本語での教科学習も、読書も、読み書きも、ほとんど止まった場合、その後増えていくはずだった学習語彙への接触が大きく減ることは考えられます。

2025年の日本語継承語話者の研究でも、日本での集中的な日本語環境への接触や、日本語での読書・作文・宿題などのLiteracy経験が、語彙や総合的な日本語能力と関係していました。ですから、日本を出た「年齢」そのものが日本語力を決めるのではなく、その後、日本語でどんな経験を続けてきたのかの方が重要だと考えるべきでしょう。


「うちの子は大丈夫」という感覚を否定する必要はない

ここまで読むと、「では、親の感覚は信用してはいけないの?」と思うかもしれません。そんなことはありません。親だからこそ分かることもたくさんあります。どんな言葉を使うか。祖父母と話せるか。日本語の映画を理解しているか。日本語を嫌がっているか。どんな話題なら日本語で深く話せるか。こうした情報は、テストだけでは分かりません。

実際、文部科学省の現在のことばの評価でも、一つのペーパーテストだけで判断するのではなく、普段の生活や学習の様子、対話型アセスメント、その他のテストなどを組み合わせて多面的に見る考え方が示されています。つまり、親の観察か、テストかという二者択一ではありません。両方を見る。その方が、子どものことばの姿をより正確に捉えられます。


一つのテストだけですべては分からない

同じ理由で、私は読書指数診断を含め、一つのアセスメント結果だけで、「この子の日本語はこうです」と決めてしまうことにも慎重でありたいと思っています。

その日の体調。問題形式への慣れ。集中力。テストへの緊張。得意なジャンル。さまざまなものが結果に影響します。

また、語彙テストでは語彙は見えますが、実際の会話力すべてが分かるわけではありません。読解テストでは読解の一部は見えますが、作文力すべてが分かるわけではありません。だから、テストは「判定」ではなく「手がかり」として使うくらいがちょうどよいと思っています。


大切なのは「何点だったか」ではなく、その後どうするか

例えば、語彙が同年代より少ないことが分かったとします。それを見て、「大変だ。遅れている」と焦るだけでは、あまり意味がありません。次に考えたいのは、「なぜだろう?」です。

日本語の本をほとんど読んでいない?日本語を使う相手が親だけ?年齢相応の内容について日本語で話す機会がない?漢字が難しくて読書を避けている?本人の興味に合う本がない?そこで初めて、対策が見えてきます。

例えば、犬が好きなら犬の本。サッカーならサッカー。歴史なら歴史。読書が難しいならオーディオブックと併用する。書く力が弱いなら、いきなり作文用紙を渡すのではなく、「今日一番面白かったことは?」から始める。

つまり、数字を見て終わるのではなく、その数字から子どもの環境を見直す。それがアセスメントの意味だと思います。


日本の同年代と比較する必要はあるのでしょうか

ここも、海外在住の家庭では悩むところです。

「海外で暮らしているのだから、日本の子と比べなくてもいいのでは?」

その通りだと思います。

すべての在外のお子さまが、日本の同年代と全く同じ国語力を持つ必要はありません。海外の学校では、英語や現地語も学んでいます。複数言語の中で生活しています。日本の学校に毎日通っている子どもと、条件が違います。

だから、「日本の平均より下だから問題」とは考えるべきではありません。ただし、

将来日本へ帰国する予定がある。日本の学校へ進む可能性がある。日本語で大学教育を受ける可能性がある。日本語で仕事をする可能性を残したい。という場合には、現在、日本の同年代とどのくらい距離があるのかを知っておくことには意味があります。

比較は、優劣を決めるためではなく、将来必要になる場所まで、どのくらい距離があるのかを知るために使えばよいのだと思います。


「日本語をどこまで育てるのか」を家庭で決める

これまでの記事でも何度か書いてきました。すべての家庭が、日本語を日本の同年代と同じ水準まで育てる必要はありません。

海外へ永住する。大学も海外。仕事も海外。日本語は祖父母と話せれば十分。という家庭もあるでしょう。それも一つの選択です。

一方、数年後には帰国する。日本の高校受験をする可能性がある。日本の大学も選択肢に残したい。将来、日本でも仕事ができるようにしたい。という家庭なら、求められる日本語は違います。

つまり、本当に大切なのは、「今、日本語ができるか」だけではありません。「将来、この子にどんな日本語が必要なのか」です。

そこが決まれば、今どこにいるのかを測る意味も出てきます。


半年、1年ごとに「今どこにいるか」を確認する

子どもの言語は変化します。特に海外では、学校で使う言語が急速に強くなることがあります。日本語も、本を読み始めると急に伸びることがあります。

逆に、生活から日本語の読み書きがなくなると、日常会話は維持されているのに、文章との距離だけが広がっていくこともあります。

ですから私は、一度テストをして終わりではなく、一定期間ごとに変化を見ることに意味があると思っています。半年後や1年後に、語彙数や読書速度、読んでいる本の内容、説明する力など大切なのは、日本の平均との差だけではなく、本人自身が前回からどう変わったかを見ることです。


日本語力を「点」ではなく「地図」として見る

私は、日本語のアセスメントを、点数表というより、地図のように考えると分かりやすいと思っています。

例えば、

  • 会話:強い

  • 聞く:強い

  • ひらがな・カタカナ:問題なし

  • 漢字:少し弱い

  • 語彙:年齢に比べて少なめ

  • 物語の読解:得意

  • 説明文:苦手

  • 作文:短い文章なら書ける

  • 意見+根拠:まだ難しい

こうやって見ると、「日本語ができない」という話ではありません。強いところと、これから伸ばしたいところが見えてきます。そして、どこから手をつければいいのかも分かります。語彙が弱いなら読書。読解が弱いなら、前後関係や文章構造を一緒に考える。書くことが弱いなら、まず話した内容を文章にしてみる。文字が弱いなら、年齢より簡単な読み物から文字への負荷を下げる。一人ひとり違っていいのです。


本当に危険なのは「日本語が弱いこと」ではなく、気づかないことかもしれない

海外で育っているのですから、日本語に得意・不得意があること自体は不思議ではありません。私は、それを問題だとは思いません。英語が強い。オランダ語が強い。日本語は会話が強い。読むのは少し弱い。それも、その子の多言語能力の一つの形です。

ただ、数年後に日本へ帰る予定なのに、「日本語は話しているから大丈夫」と思い続け、帰国直前になって初めて、日本語の教科書が読めないことに気づく。これは、できれば避けたいと思います。

なぜなら、早く分かれば、少しずつ準備できるからです。1年かけて本を読む。語彙を増やす。作文を始める。日本語で社会や理科の記事を読む。できることはたくさんあります。

でも、残り3か月で全部取り戻すとなれば、子どもへの負担は大きくなります。だから、アセスメントの目的は不安にさせることではありません。早く気づいて、無理のない選択肢を増やすことなのだと思います。


「日本語は大丈夫?」ではなく、「どの日本語が育っている?」

この連載で、何度も書いてきたことがあります。海外での日本語教育を、「日本語を忘れないため」だけにしないでほしいのです。

子どもは成長しています。10歳なら10歳の日本語。12歳なら12歳の日本語。15歳なら15歳の日本語。本人の年齢とともに、日本語も成長していく必要があります。

そのためには、「日本語は大丈夫?」という一つの質問だけでは足りません。もう少し分解して、

  • 聞いて理解できる?

  • 日常会話できる?

  • 自分の気持ちを説明できる?

  • 知らない人にも出来事を説明できる?

  • 日本語の本を読める?

  • 知らない言葉を前後から推測できる?

  • 説明文を理解できる?

  • 自分の意見を書ける?

  • 理由や根拠まで説明できる?

と見てみる。

すると、その子の日本語が、もっと立体的に見えてきます。


「できないところを探す」のではなく、「次に伸ばすところを探す」

アセスメントをするとき、どうしても「できなかったところ」に目が行きます。

でも私は、そう考えなくてもいいと思っています。会話ができる。それは大きな強みです。物語なら読める。それも強みです。漢字は弱いけれど、内容は理解できる。それなら、漢字を少し補えばさらに読めます。

語彙は少ないけれど、本が好き。それなら、これから大きく伸びる可能性があります。大切なのは、「できないところを証明すること」ではなく、「次にどこを伸ばせばよいのかを見つけること」です。

「日本語は大丈夫だと思っていたのに」という驚きが、「では、これから何をしよう」に変われば、アセスメントには大きな意味があります。


海外で育つ子どもの日本語は、とても複雑です。英語もある。現地語もある。日本語もある。家庭と学校では言語が違う。聞く力と読む力も違う。

だからこそ、一つの点数、一つの学年、一つの「できる・できない」で判断しない。その子が持っている言葉の力を、いろいろな角度から見る。そして、家庭が将来必要としている日本語と、今のお子さまの日本語との間に、どんな距離があるのかを見る。私は、それが在外のお子さまの日本語教育を考えるうえで、とても大切なのではないかと思っています。


参考資料

  • 文部科学省「文化的言語的に多様な背景を持つ外国人児童生徒等のための対話型アセスメントDLA」

  • 文部科学省「文化的言語的に多様な背景を持つ外国人児童生徒等のためのことばの発達と習得のものさし」

  • Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340.

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よく聞かれる質問です。私は、入口としては、漫画でもいいと思っています。吹き出しを追い、知らない表現に出会い、ストーリーを理解し、次を読みたいと思う。これだけでも、日本語の文字に触れています。 ただし、漫画だけですべての日本語読解を育てられるとは思いません。漫画には絵があるため、文章だけを読んで状況を構築する負荷は低くなります。長い説明文や論理的文章に触れる量も限られます。 だから、漫画から始まり、興味のあるテーマの本へ。短い本から長い本へ。物語からノンフィクションへ。というように、少しずつ読む世界を広げていく事が必要だと思います。 入口は何でも構いません。重要なのは、そこから次へ進めることです。 大人の役割は「先生」より「司書」に近い 子どもに読書をしてほしいとき、大人はつい先生になろうとします。「これはあなたの学年なら読めるはず」「これは良い本だから読みなさい」「30分読んだ?」「感想を書いて」 でも、私は海外の日本語読書では、親の役割は先生よりも司書に近いと思っています。この子は何が好きだろう。今、何に興味があるだろう。どのくらいの日本語なら無理なく読めるだろう。この本の次には何があるだろう。少しだけ難しくするなら何を渡そう。 そんなふうに、本人と本の間をつなぐ。そして、本を渡したら少し離れる。これくらいがよいと思います。 「本を読まない」のではなく、「選び方」が合っていないこともある 読書が苦手なお子さまには、本当にさまざまな理由があります。 日本語が難しい。漢字が苦手。読む速度が遅い。内容が幼い。興味がない。本を読むより動画の方が楽しい。読むこと自体に苦手意識がある。 だから、「本を読みなさい」だけでは解決しません。まず、なぜ読まないのかを見る必要があります。 特に在外のお子さまの場合、「本人の知的レベルに合う本」と、「本人の日本語で読める本」が一致していないことがあります。ここを調整してあげることが、親と講師の大切な仕事だと思います。 読書が増えた時期に、学校の成績にも変化があった 冒頭で紹介したお子さまは、犬をきっかけに本を読むようになり、その後、読む本の種類も少しずつ増えていきました。そして同じ頃、インター校での成績にも改善が見られるようになりました。 ただし、ここは慎重に考える必要があります。日本語の本を読んだから、インター校の成績が上がったと断定することはできません。 本人自身が成長した、学校に慣れた、英語力が伸びてきた、勉強方法が分かってきた、など、さまざまな理由が考えられます。 ただ、私から見て印象的だったのは、以前は文章を読むことそのものに抵抗があったお子さまが本を読み始めてから、文章に向き合うことを嫌がらなくなっていったことでした。 これは一つの事例にすぎません。でも、「本を読む習慣」が日本語だけに閉じた技能ではなく、文章を読むこと、情報を追うこと、分からないものを前後から考えること、長い内容に集中すること、といった学習行動全体と重なる部分があることは、考えてよいと思います。 読書への動機づけと読書活動、読解力との関連については、多くの研究でも報告されています。ただし、それらは相互に影響し合う関係であり、単純な一方向の因果関係とは限りません。 読書好きにすることを、ゴールにしなくてもいい すべての子どもが、毎週何冊も小説を読む「本好き」になる必要はありません。大人にも本が大好きな人と、必要なときだけ読む人がいます。それでいいと思います。 海外で日本語を育てるうえで大切なのは、少なくとも、日本語で読むことを嫌いにならないこと。そして、必要なときには日本語の文章から情報を取れること、興味のあるものなら、自分から日本語でも読んでみようと思えること。その状態を作ることではないでしょうか。 「何を読ませるか」より、「何が好きか」を聞いてみる 子どもが本を読まないとき、私たちはすぐ、「おすすめの児童書は何ですか?」「小学5年生なら何を読めばいいですか?」と考えます。もちろん、読書レベルに合った本を探すことは重要です。 でもその前に、一つだけ聞いてみてください。「今、何が一番好き?」その答えの先に、その子が初めて自分から開きたくなる日本語の本があるかもしれません。 海外で日本語の読書を続けることは簡単ではありません。だからこそ、最初から「国語力を伸ばす本」を探す必要はないと思います。まず、本人が読みたい本を見つける。読んで面白いと感じ、次にまた読みたいと思う。 その結果として新しい言葉に出会い。文章を読む量が増え、少し長い本も読めるようになる。 読書習慣をつくる第一歩は名作を本棚に並べることではなく、その子の「好き」と日本語の本をつなぐことだと、今の教室をはじめてから感じています。 参考資料 Merke, S., Ganushchak, L. & van Steensel, R. (2024), Effects of additions to independent silent reading on students’ reading proficiency, motivation, and behavior: Results of a meta-analysis, Educational Research Review, 42. Wigfield, A., Gladstone, J. R. & Turci, L. (2016), Beyond Cognition: Reading Motivation and Reading Comprehension, Child Development Perspectives. Baker, L. & Wigfield, A., Dimensions of Children’s Motivation for Reading and Their Relations to Reading Activity and Reading Achievement, Reading Research Quarterly. Mori, Y. & Calder, T. M. (2017), The Role of Parental Support and Family Variables in L1 and L2 Vocabulary Development of Japanese Heritage Language Students in the United States, Foreign Language Annals.

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2026.09.09

在外のお子さまの日本語|「話せる」と「読める・書ける」は別の力

会話が流暢だからこそ読み書きの遅れは見えにくい、という現実 海外で育つ子どもたちの日本語を見ていると、とても興味深いことがあります。 日本語で普通に話している。 冗談も言える。 親が言っていることも理解している。 日本のアニメも楽しんでいる。 だから保護者から見ると、「うちの子は日本語は大丈夫」に見えます。ところが、実際に日本語の文章を読んでもらうと、少し様子が変わることがあります。 漢字が読めない。 文章になると読む速度が急に落ちる。 一文ずつは読めても、全体として何が書いてあるのか分からない。 そして、「じゃあ、これについて自分の考えを書いてみて」と言うと、さらに難しくなる。 教室では、小学校高学年、ときには中学生になっていても、ひらがなやカタカナを書くことにかなり苦労するお子さまに出会うこともあります。でも、本人と日本語で話しているだけでは、そのことに気づかないことがあります。なぜなら、話す日本語はかなり流暢だからです。ここに、海外での日本語教育の非常に見えにくい落とし穴があります。 「日本語力」を一つの能力として考えない 私たちはつい、「この子は日本語ができる」もしくは「日本語が弱い」と、一つの能力のように考えてしまいます。でも、実際には日本語にはさまざまな力があります。 聞く 話す 読む 書く さらに読む中にも、 文字が読める 単語の意味が分かる 文章の内容を理解する 筆者の意図を読み取る 複数の情報を関連づける といった違う力があります。書くことも同じです。 ひらがなを書く 漢字を書く 文章を作る 出来事を順序立てて説明する 理由を書く 自分の意見と根拠を構造化する これらは全部同じ能力ではありません。 日本語を継承語として育てる子ども427人を対象とした2025年の研究でも、日本語能力を調べる際には、話す・理解する・読む・書くがそれぞれ別の項目として評価されています。また、読書・作文・宿題などのLiteracy活動が独立した言語経験として分析され、日本語能力との関連が示されています。 つまり、日本語を話せることと、日本語を読んだり書いたりできることは、分けて考える必要があるのです。 なぜ「話す」はできるのに、「読む・書く」は難しいのか 考えてみると、これはそれほど不思議なことではありません。子どもは、日本語の会話を毎日家庭で使っているかもしれません。朝起きて、「おはよう」、「早く着替えて」、「今日何時に帰ってくる?」。学校から帰れば、「今日どうだった?」、「お腹すいた」、「宿題終わった?」こうした日本語を何年も使っています。 でも、 ひらがなを毎日読んでいるでしょうか? カタカナを書いているでしょうか? 日本語の長い文章を読んでいるでしょうか? 日本語で作文を書いているでしょうか。 インター校や現地校へ通っていれば、学校で毎日行っている読み書きは英語やオランダ語です。つまり、話す日本語には毎日練習する機会があるのに、読む・書く日本語にはほとんど練習する機会がないという状態が起こります。 そう考えれば、会話力と読み書きに差が生まれること自体は、むしろ自然です。継承語話者は、教育を受ける多数派言語では読み書きを身につけやすい一方、継承語では聞く・話す能力と読み書き能力に大きな個人差が生じることが知られています。研究レビューでも、継承語話者の能力は聞く・話す・読む・書くの各領域で一様ではないことが指摘されています。 文字は、会話しているだけでは自然には身につかない ここは非常に重要です。日本語をたくさん聞いていれば、ある程度日本語を話せるようになります。でも、「ありがとう」と何千回聞いていても、それだけで自然に「あ・り・が・と・う」と書けるようになるわけではありません。まして、「ありがとうございます」と、「有り難うございます」の違いを自然に理解するわけでもありません。 文字は、文字を見て、音と結びつけ、読んで、書いて、何度も使うことで身についていきます。日本で育つ子どもには、この機会が身のまわりに溢れています。幼稚園の名札や絵本、街中の看板、テレビの字幕、学校のプリント、教科書、黒板、宿題などなど、列挙し出すと切りがありません。 日本語が生活の中に文字として存在しています。海外で生活すると、この「文字としての日本語」が一気に限定されてしまいます。家庭で日本語を話していたとしても、日本語を文字として目にする量は、日本で生活する子どもとは全く違うのです。 ひらがな・カタカナが書けないことを、責めるべきではない 教室で、小学校高学年や中学生でも、ひらがな・カタカナの書字に苦労するお子さまを見ることがあります。例えば、「ぬ」と「め」が混乱する、「シ」と「ツ」が分からない、促音の「っ」をどこに入れるのか分からない、長音をどう書くのか迷う、文章のどの部分がカタカナになるのか判らない、言葉は知っているのに文字にできない。 でも、私はこれを、「中学生なのに、こんなことも書けない」と考えるべきではないと思っています。本人は、学校で英語やオランダ語を使って毎日勉強しています。そちらの言語ではEssayを書き、Presentationをし、難しい内容を理解しているかもしれません。 単に、日本語を書く経験が圧倒的に少なかっただけかもしれません。書くという能力は、話す能力とは別に練習する必要があります。 日本で育つ子どもについての研究でも、ひらがなの読みの力と、その後のひらがな・漢字の読み書き能力には関連があり、読み書きの技能が段階的に発達していくことが示されています。 ですから、「話せるのになぜ書けないの?」ではなく、「これまで書く機会がどのくらいあっただろう?」と考えた方がよいと思います。 日本語入力ができることと、日本語を書けることも少し違う 最近はもう一つ、興味深いことがあります。スマートフォンなら日本語で文章を打てる。LINEなら日本語でメッセージできる。でも、「紙に書いてみて」と言うと書けない。ということがあります。 スマートフォンなら、「きょうはがっこうにいきました」と入力すれば、「今日は学校に行きました」と変換してくれます。「学校」という漢字を書けなくても、読むことさえできれば選べます。これは悪いことではありません。現代社会では、手書きよりタイピングする機会の方が多いでしょう。ですから、「漢字を手で全部書けなければ日本語ができない」とも思いません。 ただし、入力できること、読めること、手で書けること、文章を構成できることは、それぞれ違う能力だということは理解しておく必要があります。 重要なのは、「学校」という漢字を手書きできるかだけではありません。「今日学校であった出来事を、知らない人にも分かるように説明してください」と言われたときに、日本語で文章を組み立てられるか。私は、こちらの方がより重要だと思っています。 「書く」は、文字を書くことだけではない 「日本語を書く力」というと、漢字を書けるかどうかに目が行きがちです。でも、高学年以降になると本当に必要になるのは、考えを文章にする力です。 例えば、「私はこの意見に賛成です」までは書ける。では、「なぜですか?」と聞かれたらどうでしょう。「なぜなら……」と理由を書く。さらに、「具体例を挙げてください」と言われる。そして、「反対の立場の人はどう考えるでしょうか」まで考える。こうなると、単に漢字を知っているだけでは書けません。 頭の中にある考えを、順序立て、必要な情報を選び、相手に伝わるように文章として構成する必要があります。 書くというのは、思考を言葉として外に出し、構造化する作業でもあります。 会話なら、相手が助けてくれる 書くことが難しいもう一つの理由があります。会話では、相手がいます。子どもが、「今日ね、学校であの子がさ、またあれやって……」と言えば、親が、「○○君?」と聞いてくれます。 「うん。それで先生が……」 「怒ったの?」 「そうそう」 と、相手が会話を補ってくれます。表情もあります。ジェスチャーもあります。分からなければ聞き返してもらえます。 でも文章では、相手は横にいません。「あの子」と言われても分かりません。「あれ」では伝わりません。書き手自身が、 誰のことなのか 何が起こったのか なぜ起こったのか どう感じたのか を説明する必要があります。 つまり書くことによって、「自分は分かっている」から「相手にも分かるように説明する」へ思考を変える必要があります。この力は、自然な家庭会話だけでは必ずしも十分に練習できません。 読めないと、「知っている日本語」が増えにくくなる 読み書きの中でも、私はまず「読むこと」が非常に重要だと思っています。なぜなら、読めるようになると、自分で日本語を増やせるようになるからです。 本を読む ニュースを読む インターネットで調べる 漫画を読む 字幕を読む 説明書を読む 日本語で検索する 誰かに日本語を教えてもらわなくても、文字を通じて、自分で新しい日本語を取りに行けるようになります。 逆に、日本語を話せても日本語を読むことが苦手だと、日本語のインプットは人との会話に依存します。家庭で使われている言葉から先へ進みにくくなります。 前回までの記事で何度も取り上げてきた日本語継承語話者427人の研究でも、読書・作文・宿題などの日本語Literacy活動が、日本語能力に関係する重要な要素として示されています。 読むことが、書くことにもつながる ここも重要です。文章を書けるようにするため、「作文をたくさん書かせよう」と考えることがあります。もちろん書く練習は必要です。でも、書く前に、良い日本語をたくさん読むことも非常に重要です。 文章を読めば、「こういうときは『しかし』を使うんだ」、「理由を書くときは『なぜなら』なんだ」、「話が変わると段落が変わるんだ」、「こうやって人物の気持ちを表現するんだ」といった文章の型を、少しずつ取り込んでいきます。 2026年に発表された、9~15歳のバイリンガル児童の継承語としての英語の書く力を3年間追跡した研究でも、家庭での読書習慣がwritingの発達を支える重要な要素として報告されています。特に高いwriting能力を持つ子どもには、自主的な読書や継続的な家庭での読書経験が多く見られました。 対象言語は英語ですから、その結果をそのまま日本語へ当てはめることはできません。ただ、継承語の読み書きは、家庭でその言語を話しているだけで自動的に育つものではなく、文字に触れる活動が重要であるという点は、日本語教育を考えるうえでも非常に示唆的です。 「うちの子は日本語を話せるから大丈夫」が危険なのではない ここで誤解してほしくないことがあります。私は、「日本語を話せても読み書きできなければ意味がない」と言いたいわけではありません。会話できること自体、とても大きな力です。家庭によって、日本語をどこまで育てたいのかという目標も違います。海外に永住し、日本語は家族との会話ができれば十分、と考える家庭もあるでしょう。それも一つの選択です。 問題は、「話せるから、読み書きも必要になればすぐできるだろう」と錯覚してしまうことです。 話す力があることは大きな土台になります。でも、読む・書くためには、文字に触れ、読んで、書く経験が必ず必要なのです。 将来、日本語をどこで使うのかを考えてほしい では、日本語の読み書きをどこまで続けるべきなのでしょうか。これは、すべての家庭に同じ答えはありません。重要なのは、その子が将来、日本語をどのように使う可能性があるのかを考えることだと思います。 例えば、 日本へ帰国する可能性がある。 日本の中学・高校・大学へ進学する可能性がある。 日本で働く可能性がある。 日本の親族との関係を持ち続けたい。 将来、自分の子どもにも日本語を伝えたい。 日本の本やニュースを自分で読めるようにしたい。 そうした可能性が少しでもあるのであれば、「会話ができるから十分」で止めず、日本語を文字でも扱える状態を残しておくことには大きな意味があります。 反対に家庭として、「今後の教育・生活はすべて現地語で、日本語は家族との会話ができれば十分」と考えるのであれば、それも明確な教育方針です。 大切なのは、「気づかないうちに読み書きがなくなっていた」、ではなく、どのレベルの日本語を残すかを、家庭として意識的に選ぶことなのです。 漢字だけに焦点を当てすぎない 日本語の読み書きについて話すと、どうしても、「漢字を何文字覚えていますか?」という話になります。もちろん漢字は大切です。でも、漢字ドリルだけやっていても、読解力や文章力が自然に育つとは限りません。 例えば、「原因」という漢字を書ける。でも、「原因と結果の関係を説明してください」と言われたときに答えられない。それでは十分ではありません。逆に漢字を書くのは苦手でも、文章を読み、内容を理解し、自分の考えを日本語で説明できる。こちらには大きな力があります。 だから私は、日本語の読み書きを、「漢字が書けるか」だけで測らない方がいいと思っています。見るべきなのは、 文章を読めるか 意味を理解できるか 知らない言葉を前後から考えられるか 自分の考えを文章にできるか 相手に分かるように説明できるか という、もう少し広いLiteracyの力です。 読み書きも、いきなり100点を目指さなくていい 前回の記事でも書きましたが、日本語教育は0か100かで考える必要はありません。日本の学校と同じ量の漢字を毎日やる必要はないかもしれません。でも、週に一冊、日本語の本を読む、短い日記を書く、日本語でゲームをするなどの経験でも日本語を文字として使う回路を残すことができます。 大切なのは、日本語が「家族と話すための音」だけにならず、自分で情報を得て、自分の考えを伝えるための文字でもあり続けることだと思います。 読み書きができると、日本語の世界を自分で広げられる 私が、海外の子どもに日本語の読み書きを残してほしいと思う最大の理由は、漢字テストでいい点を取るためではありません。日本へ帰国したとき困らないためだけでもありません。 読み書きができれば、本人が親を介さずに、日本語の世界へアクセスできるからです。 自分で本を選ぶ 自分で検索する ニュースを読む 好きなアーティストの記事を読む 日本の人とメッセージする 大学について調べる 仕事を探す 契約書を読む そして自分の考えを文章で伝える そのとき日本語は、「親から受け継いだ家庭の言葉」から、「自分自身が使える言語」へ変わります。私は、これが読み書きの大きな意味だと思っています。 「日本語は大丈夫」の中身を、一度分解してみる お子さまが日本語で流暢に話していることは、とても大切な力です。でも、一度だけ、「日本語は大丈夫」という言葉を分解してみてください。 日本語を聞いて理解できる? 日本語で日常会話ができる? 知らない人にも出来事を説明できる? ひらがな・カタカナを読める? 書ける? 同年代向けの本を読める? 説明文を理解できる? 自分の考えを文章にできる? 理由や根拠を書ける? 全部できる必要はありません。家庭によって目標は違います。でも、どこまでできていて、どこから難しいのかを知っていることは、とても大切です。海外で育つ子どもの日本語は、「できる」「できない」の二択ではありません。読む、聞く、話す、書く力はそれぞれが違う速度で育ちます。 だから、「日本語を話しているから大丈夫」ではなく、「この子の日本語は、今どんな形で育っているだろう?」と見てみて、そこから、その家庭に本当に必要な日本語教育が見えてくるのではないかと思います。 参考資料 Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340. Nakamura, J. (2026), English as a Heritage Language in Japan: Writing Development From Late Childhood to Adolescence, Reading Research Quarterly. 花房香(2020)「読み書き能力の発達―就学前から小学2年生までの追跡研究―」 Takahashi, N. & Nakamura, T. (2015), Abilities needed by Japanese children to write kanji: Development of the ATLAN Kakitori subtest, The Japanese Journal of Psychology.