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「日本語は大丈夫」と思っていたのに|在外のお子さまの日本語力をどう見る

September 21, 2026

駐在や海外移住のご家庭へ。 本当にインター校がお子さまにとってベストな選択ですか?

目次

会話だけでは見えない「日本語力」を、どう捉えるか

海外で育つお子さまの保護者とお話ししていると、「日本語は特に問題ないと思います」と言われることがあります。

実際にお子さまと話してみても、日本語はとても自然です。こちらの質問も理解できる。日本語で冗談も言える。日本のアニメも理解している。祖父母とも日本語で話している。だから、「日本語は大丈夫」と感じるのは、とても自然なことだと思います。

ところが、教室で日本語の文章を読んでもらったり、語彙や読解に関する簡易的なアセスメントを行ったりすると、「あれ?」となることがあります。会話では全く気にならなかったのに、文章になると知らない言葉が多い。文章を最後まで読んでも、何が書いてあったのか説明できない。言葉の意味を聞くと、何となくは分かっているけれど説明できない。自分の意見は言えるけれど、その理由を文章にできない。そして結果を見た保護者の方が、「こんなに差があるとは思いませんでした」と驚かれることがあります。

教育にとても熱心なご家庭でも同じです。これは、保護者が子どものことを見ていなかったからではありません。むしろ、日常生活の中では、日本語のどの部分が育っていて、どの部分が育っていないのかが非常に見えにくいからだと思います。


「日本語ができる」という言葉は、実はかなり曖昧

そもそも、「日本語ができる」とは、何ができることなのでしょうか。日本語での挨拶、親との会話、友達と遊ぶ、テレビを理解できる、本が読める、作文が書ける、自分の意見を説明できる、教科書が理解できる、論文を書くことができる。

全部、日本語ですが、必要な力は全く同じではありません。例えば、前回までの記事で見てきたように、聞く力、話す力、読む力、書く力は、それぞれ別に見る必要があります。

さらに「読む」だけでも、

  • 文字を音にできる

  • 単語の意味が分かる

  • 一文の意味が分かる

  • 文章全体の内容が分かる

  • 原因と結果をつかめる

  • 登場人物の気持ちを推測できる

  • 筆者の主張を理解できる

  • 複数の情報を関連づけられる

などの段階があります。だから、「日本語ができる/できない」という二択だけでは、子どもの日本語を正確に見ることはできません。


話せると、「全部できる」ように見えやすい

なぜ、海外の子どもの日本語力は見誤りやすいのでしょうか。一つの大きな理由は、会話力が非常に目立つからではないでしょうか。

家庭で日本語を使っているお子さまなら、日本語の発音も自然です。文法も、日常会話ではほとんど違和感がありません。日本語らしい相づちも使います。「えー、マジで?」「だからさ」「それ、やばくない?」といった表現も自然に出てきます。

ここまで話せると、大人はどうしても、「日本語ができる」と判断します。ところが、「『影響』ってどういう意味?」「この文章で、なぜ主人公は考えを変えたの?」「この二人の意見の違いを説明して」となると、急に難しくなることがあります。これは、決して不思議なことではありません。

家庭で毎日使っているのは、主に生活のための日本語です。一方で、文章を理解したり、情報を比較したり、根拠を説明したりするときには、違う種類の語彙や言語経験が必要になるからです。


文部科学省も「ことばの力」を一面的には見ていない

興味深いのは、日本語を第二言語として学ぶ子どもの教育でも、「会話ができるか」だけで日本語力を判断していないことです。

文部科学省が提供している「対話型アセスメント DLA」は、文化的・言語的に多様な背景を持つ子どものことばの力を、一対一の対話を通して多角的に捉えるためのものです。

また、「ことばの力のものさし」では、<聞く・話す><読む><書く>を技能別に捉える考え方が示されています。

DLAそのものは、日本の学校で日本語を学ぶ外国人児童生徒等を主な対象にした仕組みですので、そのまま海外の日本語継承児童に当てはめるものではありません。ただ、子どものことばの力を、一つのテスト、一つの技能、一つの数字だけで判断しないという考え方は、在外のお子さまの日本語を見るうえでも非常に参考になると思います。


「話す力」の中にさえ、違う力がある

さらに興味深いことがあります。旧版のDLAでは、「話す力」そのものについても、基礎的な会話、対話、そして、自分の考えや意見をまとめて述べる力を分けて見ていました。

つまり、「今日学校どうだった?」「楽しかった」と答えられることと、「なぜそう考えたのか、自分の意見を説明してください」に答えられることは、同じ「話す」でも少し違うのです。

これは教室で子どもたちを見ていても、とてもよく感じます。日常会話は非常に流暢。でも、「どうして?」「例えば?」「反対の立場だったら?」と少し掘り下げると、説明が難しくなる。

この場合、「日本語ができない」のではありません。日常会話に必要な日本語は十分に育っている一方、説明したり、考えを構造化したりする日本語を使う経験が少ないと見る方が適切だと思います。


日本語継承語の研究でも、能力は一つにまとめられていない

これまでの記事でも紹介してきた、日本語を継承語として育てている427人を対象とした2025年の研究があります。この研究でも、日本語能力について、話す、理解する、読む、書くを別々に尋ねています。また、この研究では、日本語の語彙発達に大きな個人差があることも示されています。

日本語継承語話者と日本語環境で育った子どもの語彙得点は、幼児期には大きな差が見えにくかった一方、平均的には5歳7か月頃から差が現れ、その後も青年期まで続きました。同時に重要なのは、継承語話者の中にも非常に大きな個人差があったということです。

つまり、「海外で育てば日本語が必ず遅れる」という話ではありません。実際、この教室にも、日本国外で幼い頃から育っているにもかかわらず、日本の同年代と比べても非常に高い日本語力を持つお子さまがいます。

一方で、日常会話から受ける印象と、語彙・読解との間にかなり大きな差があるお子さまもいます。大切なのは、海外にいるかどうかだけではなく、その子がどのような日本語経験を積んできたのかを見ることなのだと思います。


教室で、意外な結果が出ることがある

Sakura国語のワークショップでは、子どもの語彙や読解の状態を知る一つの材料として、読書指数診断などのアセスメントを利用しています。そこで時々、保護者の方が非常に驚かれる結果が出ることがあります。

中学生のお子さま。日本語で普通に会話しています。家でも日本語です。本人も、「日本語は分かる」と言います。ところが、語彙や読解の問題に取り組んでみると、同年代の日本の子どもを基準にした場合、かなり易しい段階の問題からつまずくことがあります。保護者からすると、「こんなに日本語を話しているのに?」という感覚です。これが、会話だけでは見えない日本語です。


「小学3年生相当」と出ても、「この子は小学3年生の能力」という意味ではない

ここは、とても重要なので強調したいと思います。例えば、中学生のお子さまの語彙テストで、「小学3~4年生相当」といった結果が出たとします。これを、「この子の日本語力は小学3年生」と解釈するべきではありません。まして、思考力が小学3年生。知能が小学3年生。学力全体が小学3年生。という意味では全くありません。

インター校では年齢相応、あるいはそれ以上の内容を学んでいるかもしれません。英語では難しい文章を書いているかもしれません。数学も科学も年齢相応に理解しているかもしれません。ただ、今回測った日本語の語彙や読解の一部分では、日本の同年代の平均とは差があったということです。この区別は非常に大切です。


アセスメントは、子どもに「点数をつける」ためではない

私は日本語のアセスメントを、子どもを評価するためのものとは考えていません。「あなたは日本語ができません」と言うためでもありません。目的はむしろ逆です。

今、どこまでできているのかを知る。そして、次に何をすればいいのかを考えるためです。例えば、会話力は十分にある、ひらがな・カタカナも読める、でも語彙が少ない。それであれば読書量を増やすことを考えられます。

語彙はある。でも長い文章になると内容をつかめない。そのようなお子さまには要約や文章構造を捉える練習が必要かもしれません。

読むことはできる。でも自分の考えを書くことが難しい。それであれば作文や表現活動を増やす。

というように、何を補えばよいかが見えてきます。文部科学省も、ことばのアセスメントについて、一人ひとりを多角的に把握し、評価を指導目標や内容の決定につなげることを重視しています。私は、この考え方がとても大切だと思っています。


日本を出たときの日本語が、そのまま残っているように見える子もいる

教室でいろいろなお子さまを見ている中で、個人的に興味深いと感じることがあります。例えば、小学3年生で日本を離れた。その後、中学生になった。日常会話は今でも自然です。でも、語彙や読解を見てみると、日本を離れた頃の学齢に比較的近いところで難しさが出る。そんなケースに出会うことがあります。

もちろん、「日本を出た年齢で日本語力が止まる」という法則があるわけではありません。私たちの教室での観察だけから、そんなことを一般化することはできません。日本を離れた後も、読書を続けている。補習校へ行っている。日本語で作文を書いている。日本へ定期的に帰っている。日本人の友達がいる。というお子さまは、その後も日本語を大きく伸ばしています。

ただ、逆に、海外へ移った時点から、日本語での教科学習も、読書も、読み書きも、ほとんど止まった場合、その後増えていくはずだった学習語彙への接触が大きく減ることは考えられます。

2025年の日本語継承語話者の研究でも、日本での集中的な日本語環境への接触や、日本語での読書・作文・宿題などのLiteracy経験が、語彙や総合的な日本語能力と関係していました。ですから、日本を出た「年齢」そのものが日本語力を決めるのではなく、その後、日本語でどんな経験を続けてきたのかの方が重要だと考えるべきでしょう。


「うちの子は大丈夫」という感覚を否定する必要はない

ここまで読むと、「では、親の感覚は信用してはいけないの?」と思うかもしれません。そんなことはありません。親だからこそ分かることもたくさんあります。どんな言葉を使うか。祖父母と話せるか。日本語の映画を理解しているか。日本語を嫌がっているか。どんな話題なら日本語で深く話せるか。こうした情報は、テストだけでは分かりません。

実際、文部科学省の現在のことばの評価でも、一つのペーパーテストだけで判断するのではなく、普段の生活や学習の様子、対話型アセスメント、その他のテストなどを組み合わせて多面的に見る考え方が示されています。つまり、親の観察か、テストかという二者択一ではありません。両方を見る。その方が、子どものことばの姿をより正確に捉えられます。


一つのテストだけですべては分からない

同じ理由で、私は読書指数診断を含め、一つのアセスメント結果だけで、「この子の日本語はこうです」と決めてしまうことにも慎重でありたいと思っています。

その日の体調。問題形式への慣れ。集中力。テストへの緊張。得意なジャンル。さまざまなものが結果に影響します。

また、語彙テストでは語彙は見えますが、実際の会話力すべてが分かるわけではありません。読解テストでは読解の一部は見えますが、作文力すべてが分かるわけではありません。だから、テストは「判定」ではなく「手がかり」として使うくらいがちょうどよいと思っています。


大切なのは「何点だったか」ではなく、その後どうするか

例えば、語彙が同年代より少ないことが分かったとします。それを見て、「大変だ。遅れている」と焦るだけでは、あまり意味がありません。次に考えたいのは、「なぜだろう?」です。

日本語の本をほとんど読んでいない?日本語を使う相手が親だけ?年齢相応の内容について日本語で話す機会がない?漢字が難しくて読書を避けている?本人の興味に合う本がない?そこで初めて、対策が見えてきます。

例えば、犬が好きなら犬の本。サッカーならサッカー。歴史なら歴史。読書が難しいならオーディオブックと併用する。書く力が弱いなら、いきなり作文用紙を渡すのではなく、「今日一番面白かったことは?」から始める。

つまり、数字を見て終わるのではなく、その数字から子どもの環境を見直す。それがアセスメントの意味だと思います。


日本の同年代と比較する必要はあるのでしょうか

ここも、海外在住の家庭では悩むところです。

「海外で暮らしているのだから、日本の子と比べなくてもいいのでは?」

その通りだと思います。

すべての在外のお子さまが、日本の同年代と全く同じ国語力を持つ必要はありません。海外の学校では、英語や現地語も学んでいます。複数言語の中で生活しています。日本の学校に毎日通っている子どもと、条件が違います。

だから、「日本の平均より下だから問題」とは考えるべきではありません。ただし、

将来日本へ帰国する予定がある。日本の学校へ進む可能性がある。日本語で大学教育を受ける可能性がある。日本語で仕事をする可能性を残したい。という場合には、現在、日本の同年代とどのくらい距離があるのかを知っておくことには意味があります。

比較は、優劣を決めるためではなく、将来必要になる場所まで、どのくらい距離があるのかを知るために使えばよいのだと思います。


「日本語をどこまで育てるのか」を家庭で決める

これまでの記事でも何度か書いてきました。すべての家庭が、日本語を日本の同年代と同じ水準まで育てる必要はありません。

海外へ永住する。大学も海外。仕事も海外。日本語は祖父母と話せれば十分。という家庭もあるでしょう。それも一つの選択です。

一方、数年後には帰国する。日本の高校受験をする可能性がある。日本の大学も選択肢に残したい。将来、日本でも仕事ができるようにしたい。という家庭なら、求められる日本語は違います。

つまり、本当に大切なのは、「今、日本語ができるか」だけではありません。「将来、この子にどんな日本語が必要なのか」です。

そこが決まれば、今どこにいるのかを測る意味も出てきます。


半年、1年ごとに「今どこにいるか」を確認する

子どもの言語は変化します。特に海外では、学校で使う言語が急速に強くなることがあります。日本語も、本を読み始めると急に伸びることがあります。

逆に、生活から日本語の読み書きがなくなると、日常会話は維持されているのに、文章との距離だけが広がっていくこともあります。

ですから私は、一度テストをして終わりではなく、一定期間ごとに変化を見ることに意味があると思っています。半年後や1年後に、語彙数や読書速度、読んでいる本の内容、説明する力など大切なのは、日本の平均との差だけではなく、本人自身が前回からどう変わったかを見ることです。


日本語力を「点」ではなく「地図」として見る

私は、日本語のアセスメントを、点数表というより、地図のように考えると分かりやすいと思っています。

例えば、

  • 会話:強い

  • 聞く:強い

  • ひらがな・カタカナ:問題なし

  • 漢字:少し弱い

  • 語彙:年齢に比べて少なめ

  • 物語の読解:得意

  • 説明文:苦手

  • 作文:短い文章なら書ける

  • 意見+根拠:まだ難しい

こうやって見ると、「日本語ができない」という話ではありません。強いところと、これから伸ばしたいところが見えてきます。そして、どこから手をつければいいのかも分かります。語彙が弱いなら読書。読解が弱いなら、前後関係や文章構造を一緒に考える。書くことが弱いなら、まず話した内容を文章にしてみる。文字が弱いなら、年齢より簡単な読み物から文字への負荷を下げる。一人ひとり違っていいのです。


本当に危険なのは「日本語が弱いこと」ではなく、気づかないことかもしれない

海外で育っているのですから、日本語に得意・不得意があること自体は不思議ではありません。私は、それを問題だとは思いません。英語が強い。オランダ語が強い。日本語は会話が強い。読むのは少し弱い。それも、その子の多言語能力の一つの形です。

ただ、数年後に日本へ帰る予定なのに、「日本語は話しているから大丈夫」と思い続け、帰国直前になって初めて、日本語の教科書が読めないことに気づく。これは、できれば避けたいと思います。

なぜなら、早く分かれば、少しずつ準備できるからです。1年かけて本を読む。語彙を増やす。作文を始める。日本語で社会や理科の記事を読む。できることはたくさんあります。

でも、残り3か月で全部取り戻すとなれば、子どもへの負担は大きくなります。だから、アセスメントの目的は不安にさせることではありません。早く気づいて、無理のない選択肢を増やすことなのだと思います。


「日本語は大丈夫?」ではなく、「どの日本語が育っている?」

この連載で、何度も書いてきたことがあります。海外での日本語教育を、「日本語を忘れないため」だけにしないでほしいのです。

子どもは成長しています。10歳なら10歳の日本語。12歳なら12歳の日本語。15歳なら15歳の日本語。本人の年齢とともに、日本語も成長していく必要があります。

そのためには、「日本語は大丈夫?」という一つの質問だけでは足りません。もう少し分解して、

  • 聞いて理解できる?

  • 日常会話できる?

  • 自分の気持ちを説明できる?

  • 知らない人にも出来事を説明できる?

  • 日本語の本を読める?

  • 知らない言葉を前後から推測できる?

  • 説明文を理解できる?

  • 自分の意見を書ける?

  • 理由や根拠まで説明できる?

と見てみる。

すると、その子の日本語が、もっと立体的に見えてきます。


「できないところを探す」のではなく、「次に伸ばすところを探す」

アセスメントをするとき、どうしても「できなかったところ」に目が行きます。

でも私は、そう考えなくてもいいと思っています。会話ができる。それは大きな強みです。物語なら読める。それも強みです。漢字は弱いけれど、内容は理解できる。それなら、漢字を少し補えばさらに読めます。

語彙は少ないけれど、本が好き。それなら、これから大きく伸びる可能性があります。大切なのは、「できないところを証明すること」ではなく、「次にどこを伸ばせばよいのかを見つけること」です。

「日本語は大丈夫だと思っていたのに」という驚きが、「では、これから何をしよう」に変われば、アセスメントには大きな意味があります。


海外で育つ子どもの日本語は、とても複雑です。英語もある。現地語もある。日本語もある。家庭と学校では言語が違う。聞く力と読む力も違う。

だからこそ、一つの点数、一つの学年、一つの「できる・できない」で判断しない。その子が持っている言葉の力を、いろいろな角度から見る。そして、家庭が将来必要としている日本語と、今のお子さまの日本語との間に、どんな距離があるのかを見る。私は、それが在外のお子さまの日本語教育を考えるうえで、とても大切なのではないかと思っています。


参考資料

  • 文部科学省「文化的言語的に多様な背景を持つ外国人児童生徒等のための対話型アセスメントDLA」

  • 文部科学省「文化的言語的に多様な背景を持つ外国人児童生徒等のためのことばの発達と習得のものさし」

  • Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340.

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IBでは二言語必要?|在外日本人家庭がDP進学前に知っておきたい言語選択

2026.10.13

IBでは二言語必要?|在外日本人家庭がDP進学前に知っておきたい言語選択

「日本人だからJapanese A」「インター校だからEnglish A」とは限らない 前回の記事では、IB Diploma Programme(DP)では教科の難しさだけでなく、自分で課題を管理し、調査し、文章を書き、複数の締め切りを同時に管理する力が求められるため、高校から突然DPへ進む場合には、学習方法そのものへの準備が必要だと書きました。 そして、在外日本人家庭がDPを考える際には、もう一つ早い段階から考えておいた方がよいことがあります。それが言語の選択です。 「インター校に通っているからEnglish Aでいいのでは?」「日本人なのだからJapanese Aを取ればいい」「IBでは第二外国語が必須らしい」といった話を聞くことがありますが、DPの言語選択はそれほど単純ではありません。 特に海外で育つ日本人のお子さまの場合、家庭では日本語を流暢に話し、学校では英語で学んでいるというケースが少なくありません。そのため、一見すると「日本語も英語もできるから問題ない」と思えます。しかしDPで問われるのは、日常会話ができるかだけではなく、その言語で複雑な文章を読み、分析し、根拠を示しながら自分の考えを論理的に表現できるかという力です。 ここでも、これまでこの連載で繰り返し考えてきた「話せる言語」と「学べる言語」は必ずしも同じではない、という問題が出てきます。 DPでは、本当に二言語必要なのでしょうか 結論から言うと、DPでは少なくとも二つの言語を学びます。IBでは、Studies in Language and Literatureから少なくとも一つの言語科目を履修し、さらに別の言語を学ぶことが求められています。一般的には、もう一つをLanguage Acquisitionから選びますが、異なる二言語でStudies in Language and Literatureを二科目履修することで、第二言語の要件を満たすこともできます。 例えば、English AとFrench Bという組み合わせもあれば、English AとJapanese Aという組み合わせも可能です。 ここで一つ区別しておきたいのが、「DPで二言語を学ぶこと」と「Bilingual Diplomaを取得すること」は別の話だという点です。 Bilingual Diplomaは、異なる二つのLanguage AでそれぞれGrade 3以上を取得する場合、またはLanguage Aとは異なる言語でIndividuals and SocietiesやScienceの対象科目を履修し、所定の条件を満たした場合などに授与されます。単に二言語を履修しているだけで、自動的にBilingual Diplomaになるわけではありません。 Bilingual Diplomaを取ること自体を目標にする必要もありません。大切なのは、その科目構成が本人の言語力と将来の進路に合っているかどうかです。 Language Aは「国籍の言語」を選ぶ科目ではない 在外日本人家庭にとって、最も誤解が起きやすいのがLanguage Aだと思います。 Language Aという名前を見ると、「母語」や「国籍の言語」のように感じるかもしれません。しかしIBは、Studies in Language and Literatureを、Academicに十分な能力を持つ言語で履修する科目として位置づけています。 Language A: Literatureでは文学作品を読み、表現、構成、視点、文脈などを分析し、自分の解釈を文章や口頭で論理的に示します。Language A: Language and Literatureでは、文学だけでなくさまざまな種類のテキストを扱い、言葉がどのように意味を生み、社会や文化と関係しているのかも考えます。 Japanese Aには現在、Language and LiteratureとLiteratureの両方があり、SL・HLの双方が設定されています。またJapanese BもSL・HL、Japanese ab initioはSLとして用意されています。 したがって、「日本人だからJapanese A」という決め方は必ずしも適切ではありません。 家庭で日本語を話していることは大きな土台ですが、Japanese Aで必要になるのは、それに加えて日本語で高度な読み書きと分析ができることです。 同じことはEnglish Aにも言えます。インターナショナルスクールに何年も通い、友達と自然に英語で話し、普段の授業を英語で受けられることと、初めて読む文学作品や複雑な文章を分析し、根拠を示しながら論を構築することは同じではありません。 EALを卒業していることとも別です。 つまり、Japanese AとEnglish Aのどちらを選ぶかを考えるときに見るべきなのは、「どちらを流暢に話すか」だけではなく、どちらの言語なら高度な文章を読み、分析し、書けるのかという点です。 Japanese Aでは、実際に何をするのでしょうか ここは、具体的に見た方が分かりやすいと思います。 現行のLanguage Aの評価では、Paper 1、Paper 2、Individual Oralがあり、HLではHigher Level Essayも課されます。 Paper 1では、事前に学習していない文章が提示され、その場で文章を読み、作者の表現や構成がどのように意味を作っているのかを分析して論述します。SLでは二つの文章から一つを選んで分析し、HLでは二つの文章について分析します。つまり、「文章の意味が分かった」だけではなく、なぜそのように書かれているのか、それが読者にどのような効果を生んでいるのかまで考える必要があります。 Paper 2では、授業で学んだ二つの文学作品を使い、提示された問いに対して比較論述を行います。二作品のあらすじを説明するのではなく、内容や形式、作者の選択などを比較しながら、一つの論として文章を組み立てることが求められます。 さらにIndividual Oralでは、作品やテキストについて分析した内容を口頭で論理的に提示します。HLではこれに加えてHigher Level Essayがあります。 こうして具体的に見ると、「日本語で家族と問題なく会話できる16歳」と、「Japanese Aで学べる16歳」の間に、どのような違いがあるのかが見えてきます。 例えば、祖父母や友達とは日本語で自然に話せる一方、日本語の小説をほとんど読んでおらず、評論や説明文にも触れていない。また、日本語である程度まとまった文章を書き、自分の考えを根拠とともに論述した経験もほとんどない、というお子さまの場合、会話力が高くてもJapanese Aには別の準備が必要でしょう。 これは、この連載の以前に取り上げた「『日本語を話せる』と『日本語を読める・書ける』は別の力」という問題が、DPでは非常に具体的な形で現れる例だと思います。 Language Bは「簡単なLanguage A」ではない もう一つ誤解されやすいのがLanguage Bです。 Language Bは、Language Aを少し簡単にした科目ではありません。すでにある程度学習経験のある言語をさらに伸ばすためのLanguage Acquisition科目で、SLとHLがあります。HLではSLより高い言語運用能力が求められ、文学作品も扱います。 一方、Language ab initioは、その言語を全く、またはほとんど学んだ経験のない学生を対象にした科目で、SLのみです。IBも、すでに日常的な話題について聞いたり読んだりして理解・応答できる学生をab initioへ配置することは、適切なAcademic Challengeにならないとしています。 したがって、「Japanese Aは難しそうだからJapanese ab initioにすればいい」という選び方が自由にできるわけではありません。 どのレベルが適切なのかは、国籍ではなく、それまでの学習歴や実際の言語能力を踏まえて学校側が判断します。在外日本人のお子さまで日本語が家庭言語になっている場合、Japanese Bやab initioを当然に選択できるとは限らないという点には注意が必要です。 学校にJapanese Aがない場合――SSSTには重要な制限がある 在外日本人家庭で実際に起こりやすいのが、「本人には日本語力があるけれど、通っている学校ではJapanese Aを開講していない」という問題です。 その場合、学校によってはSchool-Supported Self-Taught(SSST)という仕組みを利用できることがあります。 ただし、ここには非常に重要な制限があります。 SSSTで履修できるのはLanguage A: LiteratureのSLのみです。 HLでは利用できず、Language A: Language and LiteratureにもSSSTは適用されません。IBのLanguage A: Literatureガイドでも、SSSTの対象はSLのみと明記されています。また、学校側にはSSSTの学生を支援する体制を用意することが求められます。 つまり、学校にJapanese Aの授業がなく、将来Japanese A HLを取りたいと考えている場合、「SSSTで対応すればいい」というわけではありません。 また、外部の日本語教師を家庭で探し、その先生から授業を受ければ自動的にIBのJapanese Aとして認められる、という仕組みでもありません。SSSTはあくまでIB World Schoolが制度として支援する科目です。 そのため、Japanese Aを将来の選択肢として考えているのであれば、DPが始まる直前ではなく、中学生のうちから学校のDP Coordinatorに、Japanese Aを開講しているか、SL・HLのどちらがあるのか、SSSTに対応しているか、必要な外部支援や追加費用があるか、といった点を確認しておくことをおすすめします。 日本の大学へ進学する場合、Japanese Aが実際の出願条件になることもある IBの言語科目は、Diplomaを取るためだけに選ぶものではありません。その先の大学入試にも関係する場合があります。 在外日本人家庭にとって特に知っておきたいのが、日本の大学へ進む可能性を残す場合です。 例えば、国際基督教大学(ICU)の2027年度総合型選抜「IBDP利用」では、IB Diplomaの取得・取得見込みに加えて、「日本語A」を履修済み、または履修中であることが条件になっています。さらに第二次選考では、日本語・英語を用いた面接やプレゼンテーションが行われます。 一方、東京学芸大学の2027年度国際バカロレア選抜では、出願資格を「日本語を母語とする者」、または日本語A(SL)、日本語A(HL)、日本語B(HL)のいずれかを履修している者としています。つまり、同じ日本の大学のIB選抜でも、日本語に関する条件の立て方は一様ではありません。 ここで重要なのは、「日本の大学へ行くならJapanese Aが必須」ということではありません。大学、学部、入試方式によって条件は異なりますし、入試制度は年度によって変更されることもあります。 しかし、Japanese Aを履修できる日本語力を残していることが、日本の大学の一部の入試方式を選択肢として残す場合があることは知っておいてよいと思います。 Japanese Aを取らなくても、日本語で考えて書く力が必要になる場合がある さらに、日本の大学への進学を考える場合、日本語の読み書きが問われるのはIB選抜だけではありません。 帰国生選抜でも、大学や学部によっては日本語による小論文や面接が課されます。例えば東京学芸大学の2027年度帰国生選抜では、多くのコースで小論文や面接が選抜に含まれており、志願者全員に日本語による個人面接を課すことも募集要項に明記されています。 したがって、将来Japanese Aを履修するかどうかとは別に、日本の大学も選択肢として残したいのであれば、日本語で文章を読み、自分の考えをまとめ、理由や根拠とともに説明する力を維持する意味があります。 ここで考えたいのは、「Japanese Aを取るために日本語を続ける」という狭い話ではありません。 IB選抜、帰国生選抜、日本への帰国、海外大学。 どの進路を最終的に選ぶか分からない中学生の段階では、Academicな日本語を残しておくことそのものが、将来の選択肢を閉じないことにつながる可能性があります。 DPが始まってから日本語を戻そうとすると、かなりの負荷になる 例えば、小学5年生で海外へ移住し、その後も家庭では日本語を話しているものの、日本語で本を読んだり文章を書いたりすることがほとんどなくなったとします。 中学生になっても日本語での会話は流暢なので、ご家族からすると、日本語力が大きく落ちているようには見えないかもしれません。 そして15歳になり、DPの科目を選ぶ段階になって初めて、「Japanese Aを取った方がいいのでは」と考える。 ところが、そこで必要になるのは日常会話の日本語ではありません。初めて見る文章を分析し、文学作品を比較し、自分の考えを根拠とともに論述する日本語です。 もし数年間、日本語でまとまった文章をほとんど読んでおらず、文章を書く経験も少なければ、16歳の段階でその力を一気に作るのは大きな負荷になります。 これは以前の記事書いた、「日本語は来年から」で、本当に間に合う?という問題そのものです。 日本語の読み書きを続ける意味は、日本へ帰国したときに困らないためだけではありません。海外で高校まで進みIBを選択した場合にも、日本語が学ぶための言語として残っていることで、DPの科目選択や、その先の大学進学の選択肢が広がる可能性があります。 「日本語を維持する」から、「Japanese Aも選べる日本語」へ もしご家庭として、「高校まで海外で教育を受ける可能性がある」「DPへ進むかもしれない」「そのときJapanese Aも選択肢として残したい」と考えているのであれば、中学生の段階から日本語教育の目標を少し変えてもよいと思います。 単に「日本語を忘れない」のではなく、「16歳になったとき、日本語で年齢相応の文章を読み、考え、それを文章として表現できる状態を残す」ことを目標にするのです。 そのためには、漢字ドリルだけでは十分ではありません。年齢相応の物語やノンフィクションを読み、少しずつ評論や社会的なテーマにも触れる。読んだ内容について話し、自分の意見とその理由を書く。複数の文章を読んで、それぞれの考え方や表現の違いを比較する。 これまでの記事で取り上げてきた、読書、語彙、読解、作文、論理的に説明する力が、ここで全部つながってきます。 もちろん、Japanese Aのためだけに日本語を学ぶ必要はありません。日本語で深く読み、考え、表現できること自体に価値があります。 ただ、その力を中学生まで継続した結果として、DP進学時にもJapanese Aという選択肢が残り、その先の大学進学にも複数の可能性が残るのであれば、それは大きな意味を持つと思います。 家庭でも、一度「話せる」以外の日本語を確認してみる では、中学生のお子さまの日本語がどの程度育っているのか、家庭ではどのように確認すればよいのでしょうか。 Japanese Aを履修できるかどうかを家庭だけで判定することはできませんし、最終的には学校のDP Coordinatorや担当教員と相談する必要があります。ただ、最初の確認として、日常会話以外の日本語を見てみることはできます。 例えば、中学生向けの小説やノンフィクションを一冊、自力で読み通せるでしょうか。読み終えた後、「何について書かれていたか」だけではなく、「なぜこの人物はそう行動したと思うか」「筆者の意見に賛成か。その理由は何か」といった問いに、自分の言葉で答えられるでしょうか。 さらに最初の目安として、自分の意見を、理由や具体例とともに600~800字程度の文章にまとめられるかを見てみてもよいと思います。 もちろん、600~800字書ければJapanese Aで問題ない、という意味ではありません。反対に、今書けないからJapanese Aを諦めるべきだという話でもありません。 重要なのは、現在地を早めに知ることです。 語彙や読解についてもう少し客観的に確認したい場合には、読書指数診断などを一つの参考材料として利用する方法もあります。ただし、これもJapanese Aへの適性を判断する試験ではありません。会話、読解、語彙、作文など複数の面を見ながら、「これからどこを伸ばせばよいのか」を考えるための材料として使うのがよいと思います。 中学1年生で気づけば、数年かけて準備できます。 DPが始まる直前に初めて気づくのとは、大きな違いがあります。 「母語はどちら?」より、「それぞれの言語で何ができる?」 海外で長く生活していると、「この子の母語は日本語なのか、英語なのか」と迷うことがあります。 しかしDPの言語選択を考えるときには、その問いだけにこだわる必要はないと思っています。 どちらを先に覚えたか、家庭でどちらを話しているか、国籍がどこかという情報ももちろん大切です。しかしDPでより重要になるのは、それぞれの言語で何ができるのかです。 日本語なら、難しい文章を読み、自分の考えを論理的に表現できるのか。英語なら、文学作品や複雑な文章を分析し、根拠を示しながら論述できるのか。 日本語でそれができればJapanese Aという選択肢があり、英語でできればEnglish Aという選択肢があります。両方でできるのであれば二つのLanguage Aを検討することもできますし、日本語は家庭言語として残しながら、英語を中心的な学習言語として育てるという選択もあります。 すべての子どもが二つのLanguage Aを履修する必要はありませんし、「バイリンガル」という肩書きを目指す必要もありません。 大切なのは、二言語を持っているかではなく、その二言語で何ができるのか。そして、将来どの言語で何を学びたいのかを考えながら、必要な言語を育てていくことだと思います。 DPの言語選択は、DPが始まってから考えない 在外日本人家庭に私がおすすめしたいのは、DP開始直前になって初めて言語選択を考えるのではなく、可能であれば中学生の段階で一度、将来の選択肢を確認しておくことです。 今の学校ではDPでどのLanguage Aを開講しているのか。Japanese Aはあるのか。SLとHLのどちらがあるのか。なければSSSTに対応しているのか。English Aを選ぶ場合、現在の英語力からどのような準備が必要なのか。日本の大学も選択肢として考えるのであれば、候補となる大学のIB選抜や帰国生選抜では何が求められるのか。 そして何より、本人の日本語と英語は、それぞれ「話せる」だけではなく、どの程度読める・書ける・考えられるのか。 これを早めに確認しておけば、日本語の読書を増やす、作文を始める、英語の学術的な文章力を強化する、第三言語をLanguage Bへつなげる、といった準備を数年かけて進めることができます。 この連載は、もともと海外で育つ子どもの日本語をどう考えるか、というところから始まりました。 家庭で日本語を話しているから大丈夫なのか。日本語の読書はなぜ必要なのか。読み書きをどこまで続ければいいのか。「日本語は来年から」でも間に合うのか。 IBまで進むと、それらは単なる「日本語を忘れないための話」ではなかったことが分かります。 小学生、中学生の間に日本語で本を読み、語彙を増やし、文章を書き、自分の考えを説明する経験を続けてきたことが、高校生になったときに「Japanese Aも選べる」という具体的な教育上の選択肢につながることがあります。 さらに、その日本語力が、将来日本の大学へ進むときの小論文や面接にもつながる可能性があります。 「日本語を続けるかどうか」は、小学生の漢字テストだけの問題ではありません。将来その子がどの言語で学び、どの大学へ進み、どの世界とつながることができるのか。 そのための、長い教育設計の一部なのだと思います。 参考資料 International Baccalaureate, Learning a language in the Diploma Programme International Baccalaureate, Studies in language and literature International Baccalaureate, Language A: Literature Guide International Baccalaureate, Examiner Instructions 2026 — Language A International Baccalaureate, Language B International Baccalaureate, Language ab initio International Baccalaureate, DP Passing Criteria International Baccalaureate, All Diploma Programme Subjects 国際基督教大学(ICU)「2027年度 総合型選抜〈IBDP利用〉」 東京学芸大学「2027年度 国際バカロレア選抜 学生募集要項」 東京学芸大学「2027年度 帰国生選抜 学生募集要項」

IBを選ぶ前に知っておきたいこと|高校からいきなりDPは想像以上に大変

2026.10.06

IBを選ぶ前に知っておきたいこと|高校からいきなりDPは想像以上に大変

「IBに入る」のではなく、「IB型の学び方に切り替わる」と考えてほしい 海外で子どもの進路を考えていると、IB(International Baccalaureate/国際バカロレア)という選択肢を目にする機会が増えます。 世界各国の大学への進学につながりやすいことに加え、暗記だけではなくCritical ThinkingやResearchを重視し、自分の考えを持って論理的に説明する力を育てる。こうした特徴に魅力を感じ、将来はIB Diploma Programme(DP)へ進ませたいと考えるご家庭も少なくないと思います。 私自身、IBの教育理念には非常に魅力的な部分が多いと思っています。 ただし、DPを検討するときに一つ注意してほしいことがあります。それは、「高校になったらIBを始めればいい」とだけ考えていると、想像以上に大きな学習スタイルの変化に直面する可能性があるということです。 これは、「DPは難しいから頭の良い子しかできない」という話ではありません。DPでは、単に学習内容が難しくなるだけではなく、自分で計画し、調べ、考え、文章にし、複数の課題を同時に管理することが求められるからです。 つまり、高校からDPへ入るということは、教科が難しくなるだけではなく、場合によっては**「勉強の仕方そのもの」をかなり短期間で変えること**になります。 DPは、6教科を勉強するだけのプログラムではない まず、DPがどのようなプログラムなのかを簡単に整理しておきます。 DPは原則16~19歳を対象とした2年間のプログラムで、学生は6つの教科群から科目を履修します。それに加えて、DP Coreと呼ばれるTheory of Knowledge(TOK)、Extended Essay(EE)、Creativity, Activity, Service(CAS)の3つにも取り組みます。 (ibo.org) この「Core」が、一般的な高校教育との違いを考えるうえで非常に重要です。 例えばExtended Essayでは、学生自身が研究テーマを決め、Research Questionを設定し、資料を調べ、議論を組み立て、最終的に4,000語の研究論文を完成させます。大学の卒業論文ほどではありませんが、高校生の段階で「先生から出された問題に答える」のではなく、自分で問いを設定して長期間かけて研究することが求められます。 TOKでは、「私たちはなぜそれを知っていると言えるのか」「何を証拠と考えるのか」といった、知識そのものについて考えます。評価にはExhibitionに加え、1,600語のEssayも含まれます。 そのうえで、各教科にも試験だけではなく、校内で行うInternal Assessmentなどの課題があります。DPの評価は最終試験だけで決まる仕組みではなく、教科によっては長期間かけて作成する課題も評価対象になります。 つまりDPの2年間は、「6教科を勉強して最後に試験を受ける」という単純なものではありません。通常の授業、宿題、試験勉強、Internal Assessment、TOK、Extended Essay、CASが、同じ2年間の中で同時に進んでいきます。ここにDP特有の難しさがあります。 大変なのは、「難しい問題」より「全部を同時に管理すること」 DPについて「大変」と聞くと、多くの人は、数学が難しい、英語のEssayが難しい、覚える量が多い、といった教科内容を想像するかもしれません。 もちろん、それもあります。しかし私は、それ以上に大きいのが自己管理だと思っています。 例えばExtended Essayは、提出日の前日に一晩頑張れば完成する課題ではありません。テーマを決め、Research Questionを絞り、資料を探して読み、構成を考え、執筆し、SupervisorとのReflectionを重ねながら完成させていきます。 その一方で、ほかの教科も当然進んでいます。数学のテストがある週にHistoryのEssayの締め切りがあり、ScienceのInternal Assessmentを進めながらTOKのEssayも書く、といったことが起こります。 こうなると必要なのは、「勉強ができる」ことだけではありません。何をいつまでに終わらせるのかを逆算し、大きな課題を小さく分け、自分で進捗を管理する力が必要になります。 IB自身も、DPのような要求の高い教育プログラムではSelf-managementが重要であり、とりわけTime ManagementはDP学生にとって重要な能力だと説明しています。 実際、DP経験者を対象にした研究でも、学生はDPを通してTime Management、Research、Writing、Critical Thinkingなどの力を身につけ、それらが大学進学後にも役立ったと報告されています。一方、DP導入校を調査した研究では、学生のStressが課題の一つとして挙げられています。 つまりDPの負荷は、欠点であると同時に、DPが大学進学後に役立つ力を育てる理由でもあるのです。 高校から突然「自分で管理してください」と言われても難しい ここで私が気になるのが、それまでどのような学習をしてきたかです。 例えば、それまでの学校生活で、先生や保護者が宿題や提出物を細かく管理し、試験範囲も明確で、課題は数日から1週間程度で終わるものが中心だったとします。また、正解のある問題を解くことが多く、必要な資料も先生から与えられる環境に慣れていたとします。 その状態から16歳になった瞬間、「半年後の締め切りから逆算して自分で研究を進めてください」「自分で問いを設定してください」「複数の資料を比較して、自分のArgumentを作ってください」「Criterionを読んで、自分の成果物を評価してください」と求められても、最初から簡単にできるとは限りません。 問題は能力ではありません。そのような学び方を経験したことがあるかどうかです。 DPで初めてSelf-managementやIndependent Researchを本格的に経験すると、教科学習と同時に「IBでの学び方」そのものまで学ばなければならなくなります。そこが、高校から突然DPへ入るときの大きな負荷になり得ます。 では、MYPから始めなければDPは無理なのか? ここは誤解のないようにしておきたいと思います。MYP(Middle Years Programme)を履修していなければDPへ進めない、ということではありません。 DPは16~19歳向けの独立したプログラムで、MYP以外の教育課程からDPへ進む学生もいます。過去のIBによる比較資料でも、DPへの進学者はMYPだけでなく、他の教育課程から来ることが想定されています。また、MYPを経験した学生が必ずDPで高得点を取るとも限らないでしょう。 IBのContinuumについて調べた研究では、PYP・MYPを経験した学生とDPのみを経験した学生の試験結果には有意な差が見られなかったようです。一方で、学校や学生への質的調査では、MYPで身につけたOrganization、Time Management、Inquiry-based Learning、Problem Solving、Criterion-referenced Assessmentへの慣れがDPへの準備に役立ったという報告がありました。 私は、この違いが重要だと思います。MYPをやればDPで成功する、という話ではない。けれど、DPで必要になる「学び方」に早くから触れておける。このメリットはあるのではないでしょうか。 MYPでは、すでに「勉強の仕方」を学んでいる MYPの特徴の一つに、Approaches to Learning(ATL)があります。 これは単なる教科知識ではなく、Research、Critical and Creative Thinking、Communication、Collaboration、Self-managementといった、「どう学ぶか」に関する力を育てる考え方です。 さらにMYPの最終学年にはPersonal Projectがあります。学生自身が興味のあるテーマを選び、長期間にわたって計画を立て、調査し、成果物を作り、そのプロセスを振り返ります。評価されるATLにはSelf-management、Research、Communication、Critical and Creative Thinkingなどが含まれます。 これは、もちろんExtended Essayと同じではありません。 しかし、自分でテーマを選び、長期的な計画を立て、期限まで自分で進め、資料を調べ、最後にプロセスを振り返るという経験を、DPへ入る前に一度していることには意味があります。 高校に入って初めて「半年かけて自分でProjectを完成させてください」と言われるのと、中学生の間から似た学習を経験しているのとでは、心理的な負荷も違うでしょう。 MYPの本当のメリットは、Personal Projectだけではない MYPというとPersonal Projectが目立ちますが、それだけではありません。日々の学習の中でも、「なぜそう考えるのか」「どのEvidenceを使ったのか」「どのCriterionを満たしているのか」「自分の学習をどうReflectするのか」といったことを繰り返します。 つまり、正解を当てるだけではなく、自分の考えに根拠をつけ、それを説明することが求められます。また、課題の評価基準がCriterionとして示され、それを読みながら自分の成果物を作ることにも慣れていきます。これはDPでも重要です。 先生が「これを書けば80点」と全部指示してくれるのではなく、Assessment Criteriaを理解し、「この課題では何を求められているのか」を自分で読み取る必要があります。 つまりMYPからDPへ進むメリットは、単にIBという名前のカリキュラムを長く経験することではなく、IB特有の学び方を、何年もかけて少しずつ日常化できることなのだと思います。 非MYPからDPへ進むなら、何を準備すればよいのでしょうか では、日本人学校や他のインターナショナルスクール、各国の国内カリキュラムからDPへ進む場合はどうでしょうか。 決して悲観する必要はありません。むしろ、DPで何が要求されるのかを事前に理解して、その学び方を少しずつ練習しておけばよいのだと思います。 例えばDPが始まる1~2年前から、長期課題を自分で管理する経験を作ることができます。夏休みに一つテーマを決め、数週間かけて調べてレポートを書く。先生や親が毎週「やった?」と確認するのではなく、最終提出日から逆算して本人に計画を作らせる。文章を書くときには、単なる感想ではなく、Claimを出し、その理由とEvidenceを示す。インターネット検索だけで終わらせず、複数の資料を比較し、「この情報はどこから来たのか」を意識する。そして提出後には、「何がうまくいったか」「次に何を変えるか」を振り返る。 こうした小さな経験を積んでおくだけでも、DP開始時の負荷は変わると思います。 必要なのは、「MYPの名前がついた教育を受けること」そのものではなく、DPで求められる学習習慣をDP開始前に経験しておくことだからです。 親がすべて管理してきた場合は、少しずつ手を離す必要がある これは、IBに限らず中高生の教育全般に言えることかもしれません。 親が長い間、試験日や宿題、提出物、予定表、忘れ物まで細かく管理していると、子ども自身は「誰かが教えてくれる」ことに慣れてしまいます。小学生のうちは、それでもよい場面がたくさんあります。 しかしDPでは、自分自身で管理することが急に増えます。そのため、DPへ進む可能性があるのであれば、中学生くらいから、「親が管理する」から「本人が管理し、親は必要なときだけ支える」へ少しずつ変えていくことも重要だと思います。 失敗も必要です。提出期限を忘れる、予定より時間がかかる、計画が甘かったことに気づく。中学生のうちの小さな失敗なら修正できます。 しかしDPのExtended EssayやInternal Assessmentで初めてそれを経験すると、代償が大きくなります。 自己管理は、説明されて身につくものではなく、実際に自分で管理して失敗し、修正することで身につく力です。 「頭が良いからDPに向いている」とは限らない DPを考えるときには、「学校の成績が良い」「テストで高得点を取る」「記憶力が高い」といったことだけで適性を判断しない方がよいと思います。 もちろん、基礎的な学力は重要です。しかしDPでは、それに加えて、長期間課題を続ける力、複数の締め切りを管理する力、自分でResearchする力、分からないときに助けを求める力、完璧でなくても一度Draftを作る力、Feedbackを受けて修正する力なども求められます。 IBの研究でも、DP学生が大学進学後に強みとして挙げるのは、教科知識だけではなくTime Management、Organization、Research、Analytical Writingなどです。 だから私は、「うちの子は成績がいいからIB」だけではなく、「この学び方が、この子に合っているだろうか」を見ることも大切だと思っています。 DPの負荷は、必ずしも悪いことではない ここまで読むと、DPがとても大変なプログラムに見えるかもしれません。実際、大変だと思います。でも、その負荷そのものが、DPの大きな教育価値でもあります。 大学に進めば、先生が毎日宿題を確認してくれるわけではありません。長いResearch Paperを書き、自分で文献を探し、複数の授業を同時に管理し、締め切りも自分で把握する必要があります。つまりDPで要求されることの多くは、その後の大学教育にかなり近いものです。 DP経験者を対象にした研究でも、大学進学後に「DPで学んだTime ManagementやResearch、Writingの経験が役立った」と回答する学生が多く報告されています。 だから私は、「DPは大変だから避けるべき」とは全く思いません。むしろ、大変だからこそ、その2年間に入る前に準備しておくという考え方をしてほしいと思っています。 「IBを選ぶ」のではなく、「IBで学べる状態を作る」 以前の記事で、学校選びは「入口」より「出口」を考えてほしい、と書きました。IBについても同じです。 「大学進学に有利そうだからDPへ入る」「国際的な資格だからDPへ入る」だけではなく、DPが始まる前に、自分で課題を管理した経験があるか、自分でResearchしたことがあるか、長い文章を書いたことがあるか、複数の締め切りを管理したことがあるか、Feedbackを受けて書き直した経験があるか、といった点を一度考えてみる必要があります。 もし、まだできないのであれば、「DPには向いていない」と判断する必要はありません。DPが始まるまでに、少しずつ経験させればいいのです。 MYPに進む方法もありますし、別の学校で同じようなProject-based Learningを経験する方法もあります。家庭でも、自分で調べてまとめる機会は作れます。大切なのは、16歳になって初めて、すべてを同時に始めないことだと思います。 そして、もう一つ大きな問題が「言語」です DPを考える日本人家庭には、もう一つ非常に重要な問題があります。それは、何語でDPを受けるのかという問題です。例えば、普段英語で授業を受けているからといって、English Aで文学作品を分析し、Essayを書けるレベルにあるとは限りません。 一方、日本語は家庭では流暢に話していても、これまでの記事で書いてきたように、日本語で同年代向けの文学を読み、論理的な文章を書く力まで育っているとは限りません。 そしてDPでは、言語科目の選択がDiploma全体の設計にも関わってきます。「英語が得意だから大丈夫」「日本人だからJapaneseを選べばいい」というほど単純ではありません。 DPへ進む可能性があるのであれば、どの言語を、どのレベルで、どのように履修するのかを、中学生くらいの段階から意識しておく意味があります。 これは、これまでにわたって書いてきた「在外のお子さまの日本語」の話とも、実は直接つながっています。 参考資料 International Baccalaureate, Diploma Programme International Baccalaureate, DP core International Baccalaureate, Theory of knowledge International Baccalaureate, Extended essay International Baccalaureate, How the MYP works International Baccalaureate, Personal project Walker, Bryant & Lee (2014), The International Baccalaureate continuum: Student, teacher and school outcomes International Baccalaureate Research, Key findings from research on the impact of the Diploma Programme