「日本語は大丈夫」と思っていたのに|在外のお子さまの日本語力をどう見る
September 21, 2026
目次
- 1. 会話だけでは見えない「日本語力」を、どう捉えるか
- 2. 「日本語ができる」という言葉は、実はかなり曖昧
- 3. 話せると、「全部できる」ように見えやすい
- 4. 文部科学省も「ことばの力」を一面的には見ていない
- 5. 「話す力」の中にさえ、違う力がある
- 6. 日本語継承語の研究でも、能力は一つにまとめられていない
- 7. 教室で、意外な結果が出ることがある
- 8. 「小学3年生相当」と出ても、「この子は小学3年生の能力」という意味ではない
- 9. アセスメントは、子どもに「点数をつける」ためではない
- 10. 日本を出たときの日本語が、そのまま残っているように見える子もいる
- 11. 「うちの子は大丈夫」という感覚を否定する必要はない
- 12. 一つのテストだけですべては分からない
- 13. 大切なのは「何点だったか」ではなく、その後どうするか
- 14. 日本の同年代と比較する必要はあるのでしょうか
- 15. 「日本語をどこまで育てるのか」を家庭で決める
- 16. 半年、1年ごとに「今どこにいるか」を確認する
- 17. 日本語力を「点」ではなく「地図」として見る
- 18. 本当に危険なのは「日本語が弱いこと」ではなく、気づかないことかもしれない
- 19. 「日本語は大丈夫?」ではなく、「どの日本語が育っている?」
- 20. 「できないところを探す」のではなく、「次に伸ばすところを探す」
- 20-1 参考資料
会話だけでは見えない「日本語力」を、どう捉えるか
海外で育つお子さまの保護者とお話ししていると、「日本語は特に問題ないと思います」と言われることがあります。
実際にお子さまと話してみても、日本語はとても自然です。こちらの質問も理解できる。日本語で冗談も言える。日本のアニメも理解している。祖父母とも日本語で話している。だから、「日本語は大丈夫」と感じるのは、とても自然なことだと思います。
ところが、教室で日本語の文章を読んでもらったり、語彙や読解に関する簡易的なアセスメントを行ったりすると、「あれ?」となることがあります。会話では全く気にならなかったのに、文章になると知らない言葉が多い。文章を最後まで読んでも、何が書いてあったのか説明できない。言葉の意味を聞くと、何となくは分かっているけれど説明できない。自分の意見は言えるけれど、その理由を文章にできない。そして結果を見た保護者の方が、「こんなに差があるとは思いませんでした」と驚かれることがあります。
教育にとても熱心なご家庭でも同じです。これは、保護者が子どものことを見ていなかったからではありません。むしろ、日常生活の中では、日本語のどの部分が育っていて、どの部分が育っていないのかが非常に見えにくいからだと思います。
「日本語ができる」という言葉は、実はかなり曖昧
そもそも、「日本語ができる」とは、何ができることなのでしょうか。日本語での挨拶、親との会話、友達と遊ぶ、テレビを理解できる、本が読める、作文が書ける、自分の意見を説明できる、教科書が理解できる、論文を書くことができる。
全部、日本語ですが、必要な力は全く同じではありません。例えば、前回までの記事で見てきたように、聞く力、話す力、読む力、書く力は、それぞれ別に見る必要があります。
さらに「読む」だけでも、
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文字を音にできる
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単語の意味が分かる
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一文の意味が分かる
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文章全体の内容が分かる
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原因と結果をつかめる
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登場人物の気持ちを推測できる
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筆者の主張を理解できる
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複数の情報を関連づけられる
などの段階があります。だから、「日本語ができる/できない」という二択だけでは、子どもの日本語を正確に見ることはできません。
話せると、「全部できる」ように見えやすい
なぜ、海外の子どもの日本語力は見誤りやすいのでしょうか。一つの大きな理由は、会話力が非常に目立つからではないでしょうか。
家庭で日本語を使っているお子さまなら、日本語の発音も自然です。文法も、日常会話ではほとんど違和感がありません。日本語らしい相づちも使います。「えー、マジで?」「だからさ」「それ、やばくない?」といった表現も自然に出てきます。
ここまで話せると、大人はどうしても、「日本語ができる」と判断します。ところが、「『影響』ってどういう意味?」「この文章で、なぜ主人公は考えを変えたの?」「この二人の意見の違いを説明して」となると、急に難しくなることがあります。これは、決して不思議なことではありません。
家庭で毎日使っているのは、主に生活のための日本語です。一方で、文章を理解したり、情報を比較したり、根拠を説明したりするときには、違う種類の語彙や言語経験が必要になるからです。
文部科学省も「ことばの力」を一面的には見ていない
興味深いのは、日本語を第二言語として学ぶ子どもの教育でも、「会話ができるか」だけで日本語力を判断していないことです。
文部科学省が提供している「対話型アセスメント DLA」は、文化的・言語的に多様な背景を持つ子どものことばの力を、一対一の対話を通して多角的に捉えるためのものです。
また、「ことばの力のものさし」では、<聞く・話す><読む><書く>を技能別に捉える考え方が示されています。
DLAそのものは、日本の学校で日本語を学ぶ外国人児童生徒等を主な対象にした仕組みですので、そのまま海外の日本語継承児童に当てはめるものではありません。ただ、子どものことばの力を、一つのテスト、一つの技能、一つの数字だけで判断しないという考え方は、在外のお子さまの日本語を見るうえでも非常に参考になると思います。
「話す力」の中にさえ、違う力がある
さらに興味深いことがあります。旧版のDLAでは、「話す力」そのものについても、基礎的な会話、対話、そして、自分の考えや意見をまとめて述べる力を分けて見ていました。
つまり、「今日学校どうだった?」「楽しかった」と答えられることと、「なぜそう考えたのか、自分の意見を説明してください」に答えられることは、同じ「話す」でも少し違うのです。
これは教室で子どもたちを見ていても、とてもよく感じます。日常会話は非常に流暢。でも、「どうして?」「例えば?」「反対の立場だったら?」と少し掘り下げると、説明が難しくなる。
この場合、「日本語ができない」のではありません。日常会話に必要な日本語は十分に育っている一方、説明したり、考えを構造化したりする日本語を使う経験が少ないと見る方が適切だと思います。
日本語継承語の研究でも、能力は一つにまとめられていない
これまでの記事でも紹介してきた、日本語を継承語として育てている427人を対象とした2025年の研究があります。この研究でも、日本語能力について、話す、理解する、読む、書くを別々に尋ねています。また、この研究では、日本語の語彙発達に大きな個人差があることも示されています。
日本語継承語話者と日本語環境で育った子どもの語彙得点は、幼児期には大きな差が見えにくかった一方、平均的には5歳7か月頃から差が現れ、その後も青年期まで続きました。同時に重要なのは、継承語話者の中にも非常に大きな個人差があったということです。
つまり、「海外で育てば日本語が必ず遅れる」という話ではありません。実際、この教室にも、日本国外で幼い頃から育っているにもかかわらず、日本の同年代と比べても非常に高い日本語力を持つお子さまがいます。
一方で、日常会話から受ける印象と、語彙・読解との間にかなり大きな差があるお子さまもいます。大切なのは、海外にいるかどうかだけではなく、その子がどのような日本語経験を積んできたのかを見ることなのだと思います。
教室で、意外な結果が出ることがある
Sakura国語のワークショップでは、子どもの語彙や読解の状態を知る一つの材料として、読書指数診断などのアセスメントを利用しています。そこで時々、保護者の方が非常に驚かれる結果が出ることがあります。
中学生のお子さま。日本語で普通に会話しています。家でも日本語です。本人も、「日本語は分かる」と言います。ところが、語彙や読解の問題に取り組んでみると、同年代の日本の子どもを基準にした場合、かなり易しい段階の問題からつまずくことがあります。保護者からすると、「こんなに日本語を話しているのに?」という感覚です。これが、会話だけでは見えない日本語です。
「小学3年生相当」と出ても、「この子は小学3年生の能力」という意味ではない
ここは、とても重要なので強調したいと思います。例えば、中学生のお子さまの語彙テストで、「小学3~4年生相当」といった結果が出たとします。これを、「この子の日本語力は小学3年生」と解釈するべきではありません。まして、思考力が小学3年生。知能が小学3年生。学力全体が小学3年生。という意味では全くありません。
インター校では年齢相応、あるいはそれ以上の内容を学んでいるかもしれません。英語では難しい文章を書いているかもしれません。数学も科学も年齢相応に理解しているかもしれません。ただ、今回測った日本語の語彙や読解の一部分では、日本の同年代の平均とは差があったということです。この区別は非常に大切です。
アセスメントは、子どもに「点数をつける」ためではない
私は日本語のアセスメントを、子どもを評価するためのものとは考えていません。「あなたは日本語ができません」と言うためでもありません。目的はむしろ逆です。
今、どこまでできているのかを知る。そして、次に何をすればいいのかを考えるためです。例えば、会話力は十分にある、ひらがな・カタカナも読める、でも語彙が少ない。それであれば読書量を増やすことを考えられます。
語彙はある。でも長い文章になると内容をつかめない。そのようなお子さまには要約や文章構造を捉える練習が必要かもしれません。
読むことはできる。でも自分の考えを書くことが難しい。それであれば作文や表現活動を増やす。
というように、何を補えばよいかが見えてきます。文部科学省も、ことばのアセスメントについて、一人ひとりを多角的に把握し、評価を指導目標や内容の決定につなげることを重視しています。私は、この考え方がとても大切だと思っています。
日本を出たときの日本語が、そのまま残っているように見える子もいる
教室でいろいろなお子さまを見ている中で、個人的に興味深いと感じることがあります。例えば、小学3年生で日本を離れた。その後、中学生になった。日常会話は今でも自然です。でも、語彙や読解を見てみると、日本を離れた頃の学齢に比較的近いところで難しさが出る。そんなケースに出会うことがあります。
もちろん、「日本を出た年齢で日本語力が止まる」という法則があるわけではありません。私たちの教室での観察だけから、そんなことを一般化することはできません。日本を離れた後も、読書を続けている。補習校へ行っている。日本語で作文を書いている。日本へ定期的に帰っている。日本人の友達がいる。というお子さまは、その後も日本語を大きく伸ばしています。
ただ、逆に、海外へ移った時点から、日本語での教科学習も、読書も、読み書きも、ほとんど止まった場合、その後増えていくはずだった学習語彙への接触が大きく減ることは考えられます。
2025年の日本語継承語話者の研究でも、日本での集中的な日本語環境への接触や、日本語での読書・作文・宿題などのLiteracy経験が、語彙や総合的な日本語能力と関係していました。ですから、日本を出た「年齢」そのものが日本語力を決めるのではなく、その後、日本語でどんな経験を続けてきたのかの方が重要だと考えるべきでしょう。
「うちの子は大丈夫」という感覚を否定する必要はない
ここまで読むと、「では、親の感覚は信用してはいけないの?」と思うかもしれません。そんなことはありません。親だからこそ分かることもたくさんあります。どんな言葉を使うか。祖父母と話せるか。日本語の映画を理解しているか。日本語を嫌がっているか。どんな話題なら日本語で深く話せるか。こうした情報は、テストだけでは分かりません。
実際、文部科学省の現在のことばの評価でも、一つのペーパーテストだけで判断するのではなく、普段の生活や学習の様子、対話型アセスメント、その他のテストなどを組み合わせて多面的に見る考え方が示されています。つまり、親の観察か、テストかという二者択一ではありません。両方を見る。その方が、子どものことばの姿をより正確に捉えられます。
一つのテストだけですべては分からない
同じ理由で、私は読書指数診断を含め、一つのアセスメント結果だけで、「この子の日本語はこうです」と決めてしまうことにも慎重でありたいと思っています。
その日の体調。問題形式への慣れ。集中力。テストへの緊張。得意なジャンル。さまざまなものが結果に影響します。
また、語彙テストでは語彙は見えますが、実際の会話力すべてが分かるわけではありません。読解テストでは読解の一部は見えますが、作文力すべてが分かるわけではありません。だから、テストは「判定」ではなく「手がかり」として使うくらいがちょうどよいと思っています。
大切なのは「何点だったか」ではなく、その後どうするか
例えば、語彙が同年代より少ないことが分かったとします。それを見て、「大変だ。遅れている」と焦るだけでは、あまり意味がありません。次に考えたいのは、「なぜだろう?」です。
日本語の本をほとんど読んでいない?日本語を使う相手が親だけ?年齢相応の内容について日本語で話す機会がない?漢字が難しくて読書を避けている?本人の興味に合う本がない?そこで初めて、対策が見えてきます。
例えば、犬が好きなら犬の本。サッカーならサッカー。歴史なら歴史。読書が難しいならオーディオブックと併用する。書く力が弱いなら、いきなり作文用紙を渡すのではなく、「今日一番面白かったことは?」から始める。
つまり、数字を見て終わるのではなく、その数字から子どもの環境を見直す。それがアセスメントの意味だと思います。
日本の同年代と比較する必要はあるのでしょうか
ここも、海外在住の家庭では悩むところです。
「海外で暮らしているのだから、日本の子と比べなくてもいいのでは?」
その通りだと思います。
すべての在外のお子さまが、日本の同年代と全く同じ国語力を持つ必要はありません。海外の学校では、英語や現地語も学んでいます。複数言語の中で生活しています。日本の学校に毎日通っている子どもと、条件が違います。
だから、「日本の平均より下だから問題」とは考えるべきではありません。ただし、
将来日本へ帰国する予定がある。日本の学校へ進む可能性がある。日本語で大学教育を受ける可能性がある。日本語で仕事をする可能性を残したい。という場合には、現在、日本の同年代とどのくらい距離があるのかを知っておくことには意味があります。
比較は、優劣を決めるためではなく、将来必要になる場所まで、どのくらい距離があるのかを知るために使えばよいのだと思います。
「日本語をどこまで育てるのか」を家庭で決める
これまでの記事でも何度か書いてきました。すべての家庭が、日本語を日本の同年代と同じ水準まで育てる必要はありません。
海外へ永住する。大学も海外。仕事も海外。日本語は祖父母と話せれば十分。という家庭もあるでしょう。それも一つの選択です。
一方、数年後には帰国する。日本の高校受験をする可能性がある。日本の大学も選択肢に残したい。将来、日本でも仕事ができるようにしたい。という家庭なら、求められる日本語は違います。
つまり、本当に大切なのは、「今、日本語ができるか」だけではありません。「将来、この子にどんな日本語が必要なのか」です。
そこが決まれば、今どこにいるのかを測る意味も出てきます。
半年、1年ごとに「今どこにいるか」を確認する
子どもの言語は変化します。特に海外では、学校で使う言語が急速に強くなることがあります。日本語も、本を読み始めると急に伸びることがあります。
逆に、生活から日本語の読み書きがなくなると、日常会話は維持されているのに、文章との距離だけが広がっていくこともあります。
ですから私は、一度テストをして終わりではなく、一定期間ごとに変化を見ることに意味があると思っています。半年後や1年後に、語彙数や読書速度、読んでいる本の内容、説明する力など大切なのは、日本の平均との差だけではなく、本人自身が前回からどう変わったかを見ることです。
日本語力を「点」ではなく「地図」として見る
私は、日本語のアセスメントを、点数表というより、地図のように考えると分かりやすいと思っています。
例えば、
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会話:強い
-
聞く:強い
-
ひらがな・カタカナ:問題なし
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漢字:少し弱い
-
語彙:年齢に比べて少なめ
-
物語の読解:得意
-
説明文:苦手
-
作文:短い文章なら書ける
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意見+根拠:まだ難しい
こうやって見ると、「日本語ができない」という話ではありません。強いところと、これから伸ばしたいところが見えてきます。そして、どこから手をつければいいのかも分かります。語彙が弱いなら読書。読解が弱いなら、前後関係や文章構造を一緒に考える。書くことが弱いなら、まず話した内容を文章にしてみる。文字が弱いなら、年齢より簡単な読み物から文字への負荷を下げる。一人ひとり違っていいのです。
本当に危険なのは「日本語が弱いこと」ではなく、気づかないことかもしれない
海外で育っているのですから、日本語に得意・不得意があること自体は不思議ではありません。私は、それを問題だとは思いません。英語が強い。オランダ語が強い。日本語は会話が強い。読むのは少し弱い。それも、その子の多言語能力の一つの形です。
ただ、数年後に日本へ帰る予定なのに、「日本語は話しているから大丈夫」と思い続け、帰国直前になって初めて、日本語の教科書が読めないことに気づく。これは、できれば避けたいと思います。
なぜなら、早く分かれば、少しずつ準備できるからです。1年かけて本を読む。語彙を増やす。作文を始める。日本語で社会や理科の記事を読む。できることはたくさんあります。
でも、残り3か月で全部取り戻すとなれば、子どもへの負担は大きくなります。だから、アセスメントの目的は不安にさせることではありません。早く気づいて、無理のない選択肢を増やすことなのだと思います。
「日本語は大丈夫?」ではなく、「どの日本語が育っている?」
この連載で、何度も書いてきたことがあります。海外での日本語教育を、「日本語を忘れないため」だけにしないでほしいのです。
子どもは成長しています。10歳なら10歳の日本語。12歳なら12歳の日本語。15歳なら15歳の日本語。本人の年齢とともに、日本語も成長していく必要があります。
そのためには、「日本語は大丈夫?」という一つの質問だけでは足りません。もう少し分解して、
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聞いて理解できる?
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日常会話できる?
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自分の気持ちを説明できる?
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知らない人にも出来事を説明できる?
-
日本語の本を読める?
-
知らない言葉を前後から推測できる?
-
説明文を理解できる?
-
自分の意見を書ける?
-
理由や根拠まで説明できる?
と見てみる。
すると、その子の日本語が、もっと立体的に見えてきます。
「できないところを探す」のではなく、「次に伸ばすところを探す」
アセスメントをするとき、どうしても「できなかったところ」に目が行きます。
でも私は、そう考えなくてもいいと思っています。会話ができる。それは大きな強みです。物語なら読める。それも強みです。漢字は弱いけれど、内容は理解できる。それなら、漢字を少し補えばさらに読めます。
語彙は少ないけれど、本が好き。それなら、これから大きく伸びる可能性があります。大切なのは、「できないところを証明すること」ではなく、「次にどこを伸ばせばよいのかを見つけること」です。
「日本語は大丈夫だと思っていたのに」という驚きが、「では、これから何をしよう」に変われば、アセスメントには大きな意味があります。
海外で育つ子どもの日本語は、とても複雑です。英語もある。現地語もある。日本語もある。家庭と学校では言語が違う。聞く力と読む力も違う。
だからこそ、一つの点数、一つの学年、一つの「できる・できない」で判断しない。その子が持っている言葉の力を、いろいろな角度から見る。そして、家庭が将来必要としている日本語と、今のお子さまの日本語との間に、どんな距離があるのかを見る。私は、それが在外のお子さまの日本語教育を考えるうえで、とても大切なのではないかと思っています。
参考資料
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文部科学省「文化的言語的に多様な背景を持つ外国人児童生徒等のための対話型アセスメントDLA」
-
文部科学省「文化的言語的に多様な背景を持つ外国人児童生徒等のためのことばの発達と習得のものさし」
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Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340.
