私が感じた日本の教育システムの限界 – ブレストで一言も発することができなかった日
March 11, 2026
会議室に閉じ込められた2時間
ニュージーランド航空で働いていたときのことです。会議室に閉じ込められ、2時間ぶっ通しでブレインストーミングを行う場に参加しました。
課題解決のために集まったメンバーは、ニュージーランド、カナダ、日本、南アフリカ、ケニア、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、エクアドルなど多国籍。ニュージーランドのナショナルフラッグキャリアでありながら、NZ人はむしろマイノリティという、日本では考えにくい光景でした。
ブレストが始まると、まだ二十歳そこそこのアゼルバイジャンやウズベキスタン出身の若者が、次々に突拍子もないアイディアを出し始めました。私は最年長でキャリアも長く、正直「そんなことできるはずがない」と斜に構えていました。
ところが、周囲がその突飛なアイディアを否定せず、真剣に議論していくうちに、不思議なことが起きました。最初は現実味がないと思えたアイディアが、議論を通じてどんどん具体性を帯び、最終的には私が1ミリも想像できなかった現実的な解決策に落ちていったのです。
私はその光景に圧倒され、大きなショックを受け、一言も発することができませんでした。
なぜなら、自分が出すアイディアはすべて過去の成功体験や事例からしか生まれていないことに気づいたからです。私は過去の事例が唯一の価値判断基準になっていた。 一方で、教育背景すらわからない若者たちはゼロベースで考え、自由に発想し、それを誰も否定せずに育てていく。結果として、私の想像を超える施策が生まれたのです。
「正解か不正解か」の教育が奠ったもの
この経験を通じて、日本の教育の特徴を痛感しました。
日本の学校教育では、常に正解か不正解か、◎か×かで点数がつけられる。そして高得点を取る者が優秀とされる社会。その仕組みは「正しい答え」を導く力は育てても、ゼロから問いを立て、突拍子もない発想を試す力を育てることは難しい。
日本の教育は、基礎学力の底上げや画一的な技術力育成に強みがあります。その結果、日本人は一定以上の水準を安定して保ち、緋密で正確な仕事を得意とする。 でも一方で、正解探しに偏るがゆえに、自ら考え、未知の課題に挑む姿勢を育みにくい。ゼネラリストは育っても、創造性や専門性で突出する人材は生まれにくいのです。
日本の子どもたちは、このような自由な発想と行動力を持つ世界の若者たちと本当に戦えるのか。日本の教育や、それに基づく人材育成システムは、このまま世界で通用するのか。
これは私自身に突きつけられた大きな問いでした。そして同時に、自分の娘にどんな教育を与えるべきかという、親としての問いでもありました。
次回は、この経験から生まれた「ロジカルシンキング教室」についてお話ししたいと思います。 旅行先で読んだある記事が、教室を開ける大きなきっかけになりました。
