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海外で国語力を育てるために親ができること

August 27, 2025

海外で国語力を育てるために親ができること
海外で暮らす子どもたちは、日本語に触れる量が圧倒的に不足しています。 インターナショナルスクールや現地校では英語や現地語が中心となり、日本語は家庭内に限られてしまう。 結果として、語彙が伸びず、表現が貧弱になり、文章を理解する力が弱まっていく危険性があります。 この「読解力の欠如」は国語だけの問題ではありません。 数学や理科、社会でも「問題文の意味が理解できない」ために正しく答えられない。さらに言えば、将来の情報処理力や思考力そのものが損なわれるリスクに直結します。 補習校や学習塾でさえ、週に数時間ではこの不足を埋めることはできません。 そのまま放置すれば、母語としての日本語が十分に育たないまま思春期を迎え、取り返しのつかない差が生まれることも珍しくないのです。 では、親ができることは何でしょうか。
  • 毎日の読書習慣をつくる:語彙・表現の幅を広げる最も基本で確実な方法です。
  • 読んだ内容を語らせる:理解を深め、思考を言葉にする力を鍛えます。
  • 質の高い日本語で会話する:「なぜ?」「どう思う?」と問いかける習慣が、思考力の芯を育てます。
  • 家庭外の日本語環境を確保する:Sakura国語のワークショップや補習校など、家庭だけでは得られない刺激を加えることが不可欠です。
危機はすでに始まっています。 放っておけば日本語の基盤は確実に弱まり、その影響は全教科、そして将来の学びや社会生活にまで広がっていきます。 だからこそ、いま親が意識して環境を整えることが欠かせません。 Sakura国語のワークショップは、その努力を支える場として、子どもたちの「読む・考える・伝える力」を根本から鍛えていきます。

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「日本語は大丈夫」と思っていたのに|在外のお子さまの日本語力をどう見る

2026.09.21

「日本語は大丈夫」と思っていたのに|在外のお子さまの日本語力をどう見る

会話だけでは見えない「日本語力」を、どう捉えるか 海外で育つお子さまの保護者とお話ししていると、「日本語は特に問題ないと思います」と言われることがあります。 実際にお子さまと話してみても、日本語はとても自然です。こちらの質問も理解できる。日本語で冗談も言える。日本のアニメも理解している。祖父母とも日本語で話している。だから、「日本語は大丈夫」と感じるのは、とても自然なことだと思います。 ところが、教室で日本語の文章を読んでもらったり、語彙や読解に関する簡易的なアセスメントを行ったりすると、「あれ?」となることがあります。会話では全く気にならなかったのに、文章になると知らない言葉が多い。文章を最後まで読んでも、何が書いてあったのか説明できない。言葉の意味を聞くと、何となくは分かっているけれど説明できない。自分の意見は言えるけれど、その理由を文章にできない。そして結果を見た保護者の方が、「こんなに差があるとは思いませんでした」と驚かれることがあります。 教育にとても熱心なご家庭でも同じです。これは、保護者が子どものことを見ていなかったからではありません。むしろ、日常生活の中では、日本語のどの部分が育っていて、どの部分が育っていないのかが非常に見えにくいからだと思います。 「日本語ができる」という言葉は、実はかなり曖昧 そもそも、「日本語ができる」とは、何ができることなのでしょうか。日本語での挨拶、親との会話、友達と遊ぶ、テレビを理解できる、本が読める、作文が書ける、自分の意見を説明できる、教科書が理解できる、論文を書くことができる。 全部、日本語ですが、必要な力は全く同じではありません。例えば、前回までの記事で見てきたように、聞く力、話す力、読む力、書く力は、それぞれ別に見る必要があります。 さらに「読む」だけでも、 文字を音にできる 単語の意味が分かる 一文の意味が分かる 文章全体の内容が分かる 原因と結果をつかめる 登場人物の気持ちを推測できる 筆者の主張を理解できる 複数の情報を関連づけられる などの段階があります。だから、「日本語ができる/できない」という二択だけでは、子どもの日本語を正確に見ることはできません。 話せると、「全部できる」ように見えやすい なぜ、海外の子どもの日本語力は見誤りやすいのでしょうか。一つの大きな理由は、会話力が非常に目立つからではないでしょうか。 家庭で日本語を使っているお子さまなら、日本語の発音も自然です。文法も、日常会話ではほとんど違和感がありません。日本語らしい相づちも使います。「えー、マジで?」「だからさ」「それ、やばくない?」といった表現も自然に出てきます。 ここまで話せると、大人はどうしても、「日本語ができる」と判断します。ところが、「『影響』ってどういう意味?」「この文章で、なぜ主人公は考えを変えたの?」「この二人の意見の違いを説明して」となると、急に難しくなることがあります。これは、決して不思議なことではありません。 家庭で毎日使っているのは、主に生活のための日本語です。一方で、文章を理解したり、情報を比較したり、根拠を説明したりするときには、違う種類の語彙や言語経験が必要になるからです。 文部科学省も「ことばの力」を一面的には見ていない 興味深いのは、日本語を第二言語として学ぶ子どもの教育でも、「会話ができるか」だけで日本語力を判断していないことです。 文部科学省が提供している「対話型アセスメント DLA」は、文化的・言語的に多様な背景を持つ子どものことばの力を、一対一の対話を通して多角的に捉えるためのものです。 また、「ことばの力のものさし」では、<聞く・話す><読む><書く>を技能別に捉える考え方が示されています。 DLAそのものは、日本の学校で日本語を学ぶ外国人児童生徒等を主な対象にした仕組みですので、そのまま海外の日本語継承児童に当てはめるものではありません。ただ、子どものことばの力を、一つのテスト、一つの技能、一つの数字だけで判断しないという考え方は、在外のお子さまの日本語を見るうえでも非常に参考になると思います。 「話す力」の中にさえ、違う力がある さらに興味深いことがあります。旧版のDLAでは、「話す力」そのものについても、基礎的な会話、対話、そして、自分の考えや意見をまとめて述べる力を分けて見ていました。 つまり、「今日学校どうだった?」「楽しかった」と答えられることと、「なぜそう考えたのか、自分の意見を説明してください」に答えられることは、同じ「話す」でも少し違うのです。 これは教室で子どもたちを見ていても、とてもよく感じます。日常会話は非常に流暢。でも、「どうして?」「例えば?」「反対の立場だったら?」と少し掘り下げると、説明が難しくなる。 この場合、「日本語ができない」のではありません。日常会話に必要な日本語は十分に育っている一方、説明したり、考えを構造化したりする日本語を使う経験が少ないと見る方が適切だと思います。 日本語継承語の研究でも、能力は一つにまとめられていない これまでの記事でも紹介してきた、日本語を継承語として育てている427人を対象とした2025年の研究があります。この研究でも、日本語能力について、話す、理解する、読む、書くを別々に尋ねています。また、この研究では、日本語の語彙発達に大きな個人差があることも示されています。 日本語継承語話者と日本語環境で育った子どもの語彙得点は、幼児期には大きな差が見えにくかった一方、平均的には5歳7か月頃から差が現れ、その後も青年期まで続きました。同時に重要なのは、継承語話者の中にも非常に大きな個人差があったということです。 つまり、「海外で育てば日本語が必ず遅れる」という話ではありません。実際、この教室にも、日本国外で幼い頃から育っているにもかかわらず、日本の同年代と比べても非常に高い日本語力を持つお子さまがいます。 一方で、日常会話から受ける印象と、語彙・読解との間にかなり大きな差があるお子さまもいます。大切なのは、海外にいるかどうかだけではなく、その子がどのような日本語経験を積んできたのかを見ることなのだと思います。 教室で、意外な結果が出ることがある Sakura国語のワークショップでは、子どもの語彙や読解の状態を知る一つの材料として、読書指数診断などのアセスメントを利用しています。そこで時々、保護者の方が非常に驚かれる結果が出ることがあります。 中学生のお子さま。日本語で普通に会話しています。家でも日本語です。本人も、「日本語は分かる」と言います。ところが、語彙や読解の問題に取り組んでみると、同年代の日本の子どもを基準にした場合、かなり易しい段階の問題からつまずくことがあります。保護者からすると、「こんなに日本語を話しているのに?」という感覚です。これが、会話だけでは見えない日本語です。 「小学3年生相当」と出ても、「この子は小学3年生の能力」という意味ではない ここは、とても重要なので強調したいと思います。例えば、中学生のお子さまの語彙テストで、「小学3~4年生相当」といった結果が出たとします。これを、「この子の日本語力は小学3年生」と解釈するべきではありません。まして、思考力が小学3年生。知能が小学3年生。学力全体が小学3年生。という意味では全くありません。 インター校では年齢相応、あるいはそれ以上の内容を学んでいるかもしれません。英語では難しい文章を書いているかもしれません。数学も科学も年齢相応に理解しているかもしれません。ただ、今回測った日本語の語彙や読解の一部分では、日本の同年代の平均とは差があったということです。この区別は非常に大切です。 アセスメントは、子どもに「点数をつける」ためではない 私は日本語のアセスメントを、子どもを評価するためのものとは考えていません。「あなたは日本語ができません」と言うためでもありません。目的はむしろ逆です。 今、どこまでできているのかを知る。そして、次に何をすればいいのかを考えるためです。例えば、会話力は十分にある、ひらがな・カタカナも読める、でも語彙が少ない。それであれば読書量を増やすことを考えられます。 語彙はある。でも長い文章になると内容をつかめない。そのようなお子さまには要約や文章構造を捉える練習が必要かもしれません。 読むことはできる。でも自分の考えを書くことが難しい。それであれば作文や表現活動を増やす。 というように、何を補えばよいかが見えてきます。文部科学省も、ことばのアセスメントについて、一人ひとりを多角的に把握し、評価を指導目標や内容の決定につなげることを重視しています。私は、この考え方がとても大切だと思っています。 日本を出たときの日本語が、そのまま残っているように見える子もいる 教室でいろいろなお子さまを見ている中で、個人的に興味深いと感じることがあります。例えば、小学3年生で日本を離れた。その後、中学生になった。日常会話は今でも自然です。でも、語彙や読解を見てみると、日本を離れた頃の学齢に比較的近いところで難しさが出る。そんなケースに出会うことがあります。 もちろん、「日本を出た年齢で日本語力が止まる」という法則があるわけではありません。私たちの教室での観察だけから、そんなことを一般化することはできません。日本を離れた後も、読書を続けている。補習校へ行っている。日本語で作文を書いている。日本へ定期的に帰っている。日本人の友達がいる。というお子さまは、その後も日本語を大きく伸ばしています。 ただ、逆に、海外へ移った時点から、日本語での教科学習も、読書も、読み書きも、ほとんど止まった場合、その後増えていくはずだった学習語彙への接触が大きく減ることは考えられます。 2025年の日本語継承語話者の研究でも、日本での集中的な日本語環境への接触や、日本語での読書・作文・宿題などのLiteracy経験が、語彙や総合的な日本語能力と関係していました。ですから、日本を出た「年齢」そのものが日本語力を決めるのではなく、その後、日本語でどんな経験を続けてきたのかの方が重要だと考えるべきでしょう。 「うちの子は大丈夫」という感覚を否定する必要はない ここまで読むと、「では、親の感覚は信用してはいけないの?」と思うかもしれません。そんなことはありません。親だからこそ分かることもたくさんあります。どんな言葉を使うか。祖父母と話せるか。日本語の映画を理解しているか。日本語を嫌がっているか。どんな話題なら日本語で深く話せるか。こうした情報は、テストだけでは分かりません。 実際、文部科学省の現在のことばの評価でも、一つのペーパーテストだけで判断するのではなく、普段の生活や学習の様子、対話型アセスメント、その他のテストなどを組み合わせて多面的に見る考え方が示されています。つまり、親の観察か、テストかという二者択一ではありません。両方を見る。その方が、子どものことばの姿をより正確に捉えられます。 一つのテストだけですべては分からない 同じ理由で、私は読書指数診断を含め、一つのアセスメント結果だけで、「この子の日本語はこうです」と決めてしまうことにも慎重でありたいと思っています。 その日の体調。問題形式への慣れ。集中力。テストへの緊張。得意なジャンル。さまざまなものが結果に影響します。 また、語彙テストでは語彙は見えますが、実際の会話力すべてが分かるわけではありません。読解テストでは読解の一部は見えますが、作文力すべてが分かるわけではありません。だから、テストは「判定」ではなく「手がかり」として使うくらいがちょうどよいと思っています。 大切なのは「何点だったか」ではなく、その後どうするか 例えば、語彙が同年代より少ないことが分かったとします。それを見て、「大変だ。遅れている」と焦るだけでは、あまり意味がありません。次に考えたいのは、「なぜだろう?」です。 日本語の本をほとんど読んでいない?日本語を使う相手が親だけ?年齢相応の内容について日本語で話す機会がない?漢字が難しくて読書を避けている?本人の興味に合う本がない?そこで初めて、対策が見えてきます。 例えば、犬が好きなら犬の本。サッカーならサッカー。歴史なら歴史。読書が難しいならオーディオブックと併用する。書く力が弱いなら、いきなり作文用紙を渡すのではなく、「今日一番面白かったことは?」から始める。 つまり、数字を見て終わるのではなく、その数字から子どもの環境を見直す。それがアセスメントの意味だと思います。 日本の同年代と比較する必要はあるのでしょうか ここも、海外在住の家庭では悩むところです。 「海外で暮らしているのだから、日本の子と比べなくてもいいのでは?」 その通りだと思います。 すべての在外のお子さまが、日本の同年代と全く同じ国語力を持つ必要はありません。海外の学校では、英語や現地語も学んでいます。複数言語の中で生活しています。日本の学校に毎日通っている子どもと、条件が違います。 だから、「日本の平均より下だから問題」とは考えるべきではありません。ただし、 将来日本へ帰国する予定がある。日本の学校へ進む可能性がある。日本語で大学教育を受ける可能性がある。日本語で仕事をする可能性を残したい。という場合には、現在、日本の同年代とどのくらい距離があるのかを知っておくことには意味があります。 比較は、優劣を決めるためではなく、将来必要になる場所まで、どのくらい距離があるのかを知るために使えばよいのだと思います。 「日本語をどこまで育てるのか」を家庭で決める これまでの記事でも何度か書いてきました。すべての家庭が、日本語を日本の同年代と同じ水準まで育てる必要はありません。 海外へ永住する。大学も海外。仕事も海外。日本語は祖父母と話せれば十分。という家庭もあるでしょう。それも一つの選択です。 一方、数年後には帰国する。日本の高校受験をする可能性がある。日本の大学も選択肢に残したい。将来、日本でも仕事ができるようにしたい。という家庭なら、求められる日本語は違います。 つまり、本当に大切なのは、「今、日本語ができるか」だけではありません。「将来、この子にどんな日本語が必要なのか」です。 そこが決まれば、今どこにいるのかを測る意味も出てきます。 半年、1年ごとに「今どこにいるか」を確認する 子どもの言語は変化します。特に海外では、学校で使う言語が急速に強くなることがあります。日本語も、本を読み始めると急に伸びることがあります。 逆に、生活から日本語の読み書きがなくなると、日常会話は維持されているのに、文章との距離だけが広がっていくこともあります。 ですから私は、一度テストをして終わりではなく、一定期間ごとに変化を見ることに意味があると思っています。半年後や1年後に、語彙数や読書速度、読んでいる本の内容、説明する力など大切なのは、日本の平均との差だけではなく、本人自身が前回からどう変わったかを見ることです。 日本語力を「点」ではなく「地図」として見る 私は、日本語のアセスメントを、点数表というより、地図のように考えると分かりやすいと思っています。 例えば、 会話:強い 聞く:強い ひらがな・カタカナ:問題なし 漢字:少し弱い 語彙:年齢に比べて少なめ 物語の読解:得意 説明文:苦手 作文:短い文章なら書ける 意見+根拠:まだ難しい こうやって見ると、「日本語ができない」という話ではありません。強いところと、これから伸ばしたいところが見えてきます。そして、どこから手をつければいいのかも分かります。語彙が弱いなら読書。読解が弱いなら、前後関係や文章構造を一緒に考える。書くことが弱いなら、まず話した内容を文章にしてみる。文字が弱いなら、年齢より簡単な読み物から文字への負荷を下げる。一人ひとり違っていいのです。 本当に危険なのは「日本語が弱いこと」ではなく、気づかないことかもしれない 海外で育っているのですから、日本語に得意・不得意があること自体は不思議ではありません。私は、それを問題だとは思いません。英語が強い。オランダ語が強い。日本語は会話が強い。読むのは少し弱い。それも、その子の多言語能力の一つの形です。 ただ、数年後に日本へ帰る予定なのに、「日本語は話しているから大丈夫」と思い続け、帰国直前になって初めて、日本語の教科書が読めないことに気づく。これは、できれば避けたいと思います。 なぜなら、早く分かれば、少しずつ準備できるからです。1年かけて本を読む。語彙を増やす。作文を始める。日本語で社会や理科の記事を読む。できることはたくさんあります。 でも、残り3か月で全部取り戻すとなれば、子どもへの負担は大きくなります。だから、アセスメントの目的は不安にさせることではありません。早く気づいて、無理のない選択肢を増やすことなのだと思います。 「日本語は大丈夫?」ではなく、「どの日本語が育っている?」 この連載で、何度も書いてきたことがあります。海外での日本語教育を、「日本語を忘れないため」だけにしないでほしいのです。 子どもは成長しています。10歳なら10歳の日本語。12歳なら12歳の日本語。15歳なら15歳の日本語。本人の年齢とともに、日本語も成長していく必要があります。 そのためには、「日本語は大丈夫?」という一つの質問だけでは足りません。もう少し分解して、 聞いて理解できる? 日常会話できる? 自分の気持ちを説明できる? 知らない人にも出来事を説明できる? 日本語の本を読める? 知らない言葉を前後から推測できる? 説明文を理解できる? 自分の意見を書ける? 理由や根拠まで説明できる? と見てみる。 すると、その子の日本語が、もっと立体的に見えてきます。 「できないところを探す」のではなく、「次に伸ばすところを探す」 アセスメントをするとき、どうしても「できなかったところ」に目が行きます。 でも私は、そう考えなくてもいいと思っています。会話ができる。それは大きな強みです。物語なら読める。それも強みです。漢字は弱いけれど、内容は理解できる。それなら、漢字を少し補えばさらに読めます。 語彙は少ないけれど、本が好き。それなら、これから大きく伸びる可能性があります。大切なのは、「できないところを証明すること」ではなく、「次にどこを伸ばせばよいのかを見つけること」です。 「日本語は大丈夫だと思っていたのに」という驚きが、「では、これから何をしよう」に変われば、アセスメントには大きな意味があります。 海外で育つ子どもの日本語は、とても複雑です。英語もある。現地語もある。日本語もある。家庭と学校では言語が違う。聞く力と読む力も違う。 だからこそ、一つの点数、一つの学年、一つの「できる・できない」で判断しない。その子が持っている言葉の力を、いろいろな角度から見る。そして、家庭が将来必要としている日本語と、今のお子さまの日本語との間に、どんな距離があるのかを見る。私は、それが在外のお子さまの日本語教育を考えるうえで、とても大切なのではないかと思っています。 参考資料 文部科学省「文化的言語的に多様な背景を持つ外国人児童生徒等のための対話型アセスメントDLA」 文部科学省「文化的言語的に多様な背景を持つ外国人児童生徒等のためのことばの発達と習得のものさし」 Kubota, M. & Rothman, J. (2025), Modeling individual differences in vocabulary development: A large-scale study on Japanese heritage speakers, Child Development, 96(1), 325–340.

「本を読まない子」に、名作を与える前に考えてほしいこと

2026.09.15

「本を読まない子」に、名作を与える前に考えてほしいこと

読書への入口は、「良い本」ではなく「好きなもの」かもしれない 日本語の読書がなかなか進まない。本を渡しても読まない。最初の数ページでやめてしまう。「うちの子は本が嫌いなんです」海外で日本語を育てているご家庭から、こうした相談を受けることがあります。 確かに、本を読むこと自体があまり好きではないお子さまもいるでしょう。でも教室で子どもたちを見ていると、ときどき思うことがあります。本を読むことが嫌いなのではなく、まだ「読みたい本」に出会っていないだけなのではないか。今回は、そんなことを強く感じた、あるお子さまのお話から始めたいと思います。 日本語の本を読むことが、あまり好きではなかった子 そのお子さまは、日本語で会話することはできます。でも、日本語の読書はあまり得意ではありませんでした。本を渡しても、積極的に読みたいという感じではありません。知らない言葉も出てきます。漢字もあります。学校では別の言語を使っていますから、日本語で文章を読むこと自体に少し負荷があります。 「読書をしましょう」と言われても、本人にとっては、楽しいことというより、日本語の勉強に近かったのかもしれません。 そんな中、ご家庭で犬を飼い始めたご家庭がありました。そのお嬢さまは犬が大好きでしたので、少し本の選び方を変えてみることにしました。犬が登場する物語だけではありません。介助犬について書かれたノンフィクションや障害のある人を支える犬についての本、犬と人との関係を扱った本など、本人の興味に近いものを選んで渡してみました。 すると、少しずつ様子が変わりました。 「読まされている」から、「知りたい」に変わった 最初に起きた変化は、急に読解力が上がったことではありません。本を読む理由ができたことでした。 犬についてもっと知りたい、この犬はどうなるのだろう、介助犬はどうやって人を助けるのだろう、なぜこの犬はこんな行動をするのだろう。 そこに本人自身の「知りたい」がありました。すると、知らない言葉が出てきても、前ほど簡単には本を閉じなくなります。少し難しい文章でも読み進め、分からないところを聞来たりしながら次の本を読む。そこから、犬とは直接関係のない本にも少しずつ読書が広がっていきました。 気がつけば、「日本語の本を読ませる」状態から、「本人が本を読む」状態へ変わっていたのです。 私はこの経験から、本を選ぶときに、「この子に読ませるべき本は何だろう」だけではなく、「この子は今、何を知りたいのだろう」と考えることが、とても大切なのだと改めて感じました。 親が選ぶ「良い本」と、子どもが読みたい本は違う 子どもに本を読ませたいと思うと、私たち大人はつい、名作や推薦図書、受賞作品など「せっかくなら良い本を」と考えます。 もちろん、どれも悪いものではありません。でも、その本がどれだけ素晴らしくても、本人にとって興味がなければ、読まれない本は、読書経験にはなりません。 一方、恐竜が大好きな子なら恐竜の本、サッカーが好きならサッカーの本、宇宙が好きなら宇宙の本など、本人がすでに強い関心を持っている分野なら、そこには最初から、「続きを読みたい理由」があります。 読書研究でも、読書への動機づけと実際の読書量、読解成績には関連があることが長く指摘されています。読書への内発的な動機や興味は、子どもがどれだけ読むかを考えるうえで重要な要素です。 「物語を読まない=読書嫌い」ではない ここも、私はとても重要だと思っています。日本語の読書というと、児童文学や物語を読ませようとしがちです。でも、物語にそれほど興味を持たない子どももいます。その一方で、昆虫図鑑なら時計を忘れて没頭し、サッカー選手の伝記なら何冊も続けて読み、科学実験の本なら朝から晩までながめている、そのようなお子さまが少なからずいます。 読書の入口で大切なのは文学作品を読むことより、日本語の文字を自分から追い続ける経験を作ることではないでしょうか。 ノンフィクションにも専門語彙があり説明があります。原因と結果があり、数字・比較があります。知らない世界もあります。そして、「もっと知りたい」と思えば、次の本へつながります。 犬について知りたいから本を読む。本を読んだ結果、犬についてだけでなく、新しい日本語にも出会う。この順番でよいのではないでしょうか。 在外のお子さまの場合、「興味」はさらに重要 海外で育つお子さまの場合、日本語の本を読むには、もう一つハードルがあります。普段学校で読んでいる言語と、日本語が違います。英語やオランダ語では年齢相応の文章を読めるのに、日本語になると漢字が難しく、読書に時間も掛かります。知らない言葉も数多くあります。だから、同じ本を読むにも負荷が高くなります。 例えば12歳のお子さまが、日本語では9歳向け程度の本なら読みやすいとします。しかし本人の興味や知的好奇心は12歳です。9歳向けの内容では、読めるけれど、面白くない。一方、12歳向けの本は、面白そうだけれど、日本語が難しい。ここに、在外のお子さま特有の難しさがあります。 前回でも触れましたが、本人の知的年齢と、日本語で読める文章のレベルがずれることがあるのです。 だからこそ、本の内容そのものへの強い興味が助けになります。多少日本語が難しくても、「知りたい」があれば、読み進める理由になります。 難しい言葉があっても、興味があれば乗り越えられることがある 犬の本を読んでいたお子さまにも、始めて触れる言葉は当然ありました。例えば 介助 障害 訓練 信頼 役割 判断 こうした言葉は、日常の家庭会話では頻繁には使わないでしょう。でも、本人には犬について知りたいという目的があります。だから、「介助って何?」と聞く。判らないことばの前後の文章を読み直し、語彙を推察する。そして語彙を確認し、次に同じ言葉が出てきたときにはある程度想像がつく。この作業を繰り返すことにより、語彙学習が目的なのではなく、知りたいことを理解する過程で語彙が増えるという状態になります。これは読書の非常に大きな強みです。 特に教室で行っている”読書で育てる国語力クラス”なら単元毎に、重要な語彙を確認しながら読書を進めていくために、効率的に語彙力をUPする事ができます。言葉に「情景」がつくのです。 「興味のある本なら、難しくても何でもいい」ではない ただし、ここには注意も必要です。好きなテーマであれば、どれだけ難しい本でもよいわけではありません。毎ページ辞書を引かなければ理解できない程難しい本だと、本人の興味よりも「読む負荷」の方が大きくなります。 2024年の独立読書に関するメタ分析でも、特に読むことに苦労する子どもは、自分に適した本を選ぶこと自体が難しい場合があると指摘されています。単に「好きな本を自由に読んで」とするだけでなく、適切な本との出会いを支援することが重要です。 だから、本人に選ばせることと、大人が支援することは両立します。私は、「これを読みなさい」ではなく、「犬が好きなら、この3冊はどう?」という関わり方がよいと思っています。選択肢は大人が用意し、最後は本人が選ぶ。このバランスがいいのだと考えています。 子どもに「本を選ばせる」ことの意味 学校教育の研究でも、子どもが選択できることは学習への参加意欲と関係することが報告されています。2024年の中学生を対象にした研究でも、読む本や課題に選択肢を持たせることと、感情面・行動面・認知面での授業参加の高まりとの関連が報告されています。もちろん、一つのクラスでの研究ですから、「自由に選ばせれば必ず読書好きになる」という意味ではありません。 ただ、自分で選んだ本と、親から「これはあなたのためになるから読みなさい」と渡された本では、子どもにとって意味が違うことは想像しやすいと思います。 読書を、親から与えられる課題から、自分の選択へ変える。これは、特に年齢が上がるほど重要になってくると思います。 在外のお子さまだからこそ、「日本語で好きなもの」を作る 海外で育つお子さまの場合、好きなものについて調べる言語そのものが、英語や現地語になっていることがあります。サッカーについて調べるなら英語。ゲームの攻略を見るのも英語。好きな俳優について検索するのも英語。科学の動画を見るのも英語。これは当然です。学校や友人の言語が英語や現地語だからです。 その結果、日本語は、親や祖父母と話す言語、日本語の宿題をする言語。になりやすいです。そこで、自分の「好き」と日本語をつなげてみることに意味があります。そうすると日本語が、「親から維持するように言われている言葉」ではなく、自分の興味へアクセスするための言葉になります。 これは継承語として日本語を残していくうえで、とても重要だと思います。 日本語で「楽しみのために読む」こと 米国で育つ15~18歳の日本語継承語話者を対象にした研究では、家庭環境やさまざまな要因を分析した結果、日本語で楽しみのために読書することが、日本語の語彙力を予測する要因の一つとして示されています。 ここで私が注目したいのは、「国語の問題を解く」ではなく、reading for pleasure――楽しみのために読むという点です。 日本語を育てるために読ませる、語彙を増やすために読ませる、帰国後に困らないために読ませる、もちろん親にはそうした目的があります。 でも子ども自身にとっては、もっと単純に「面白いから読む」でよいのだと思います。むしろ、その方が読書は長く続きます。 読書のたびに「勉強」にしない せっかく子どもが本を読み始めたのに、親がつい、「この言葉どういう意味?」「主人公はどう思っていた?」「このページを要約して」「漢字、読めた?」と聞きすぎてしまうことがあります。もちろん、ときどき本について話すことはとても良いことです。 でも、毎回読解テストになると、子どもにとって、 本を読む=問題を出される になってしまいます。 自分自身に置き換えても、小説を読んだ直後に毎回、「では、この章の要旨を200字以内で説明してください」と言われたら、そのうち読書が嫌になると思います。 時にはただ読んで終わる。それでいいと思います。「面白かった?」「うん」だけでもいい。本人が話したそうなら聞く。質問してきたら一緒に考える。読書そのものを楽しむ時間を残しておくことも重要です。 すべての知らない言葉を調べなくていい 同じように、分からない言葉が一つ出るたびに、「辞書で調べなさい」と読書を止める必要もありません。分からない言葉があっても、話の流れが分かるなら読み進めていい。重要な言葉なら、一緒に考える。何度も出てくるなら意味を確認する。前後から推測する。そうやって、ストーリーや内容への没入を壊さないことも大切です。 2024年のメタ分析では、独立読書に教師による支援などを加える介入は全体として読解力に小さいながらプラスの効果がありましたが、一方で読書中の過度な支援・指導は、読書への没入を妨げる可能性も示唆されています。 「教えること」と「読ませること」は、いつも同時でなくてもいいのです。 漫画でもいいのでしょうか? よく聞かれる質問です。私は、入口としては、漫画でもいいと思っています。吹き出しを追い、知らない表現に出会い、ストーリーを理解し、次を読みたいと思う。これだけでも、日本語の文字に触れています。 ただし、漫画だけですべての日本語読解を育てられるとは思いません。漫画には絵があるため、文章だけを読んで状況を構築する負荷は低くなります。長い説明文や論理的文章に触れる量も限られます。 だから、漫画から始まり、興味のあるテーマの本へ。短い本から長い本へ。物語からノンフィクションへ。というように、少しずつ読む世界を広げていく事が必要だと思います。 入口は何でも構いません。重要なのは、そこから次へ進めることです。 大人の役割は「先生」より「司書」に近い 子どもに読書をしてほしいとき、大人はつい先生になろうとします。「これはあなたの学年なら読めるはず」「これは良い本だから読みなさい」「30分読んだ?」「感想を書いて」 でも、私は海外の日本語読書では、親の役割は先生よりも司書に近いと思っています。この子は何が好きだろう。今、何に興味があるだろう。どのくらいの日本語なら無理なく読めるだろう。この本の次には何があるだろう。少しだけ難しくするなら何を渡そう。 そんなふうに、本人と本の間をつなぐ。そして、本を渡したら少し離れる。これくらいがよいと思います。 「本を読まない」のではなく、「選び方」が合っていないこともある 読書が苦手なお子さまには、本当にさまざまな理由があります。 日本語が難しい。漢字が苦手。読む速度が遅い。内容が幼い。興味がない。本を読むより動画の方が楽しい。読むこと自体に苦手意識がある。 だから、「本を読みなさい」だけでは解決しません。まず、なぜ読まないのかを見る必要があります。 特に在外のお子さまの場合、「本人の知的レベルに合う本」と、「本人の日本語で読める本」が一致していないことがあります。ここを調整してあげることが、親と講師の大切な仕事だと思います。 読書が増えた時期に、学校の成績にも変化があった 冒頭で紹介したお子さまは、犬をきっかけに本を読むようになり、その後、読む本の種類も少しずつ増えていきました。そして同じ頃、インター校での成績にも改善が見られるようになりました。 ただし、ここは慎重に考える必要があります。日本語の本を読んだから、インター校の成績が上がったと断定することはできません。 本人自身が成長した、学校に慣れた、英語力が伸びてきた、勉強方法が分かってきた、など、さまざまな理由が考えられます。 ただ、私から見て印象的だったのは、以前は文章を読むことそのものに抵抗があったお子さまが本を読み始めてから、文章に向き合うことを嫌がらなくなっていったことでした。 これは一つの事例にすぎません。でも、「本を読む習慣」が日本語だけに閉じた技能ではなく、文章を読むこと、情報を追うこと、分からないものを前後から考えること、長い内容に集中すること、といった学習行動全体と重なる部分があることは、考えてよいと思います。 読書への動機づけと読書活動、読解力との関連については、多くの研究でも報告されています。ただし、それらは相互に影響し合う関係であり、単純な一方向の因果関係とは限りません。 読書好きにすることを、ゴールにしなくてもいい すべての子どもが、毎週何冊も小説を読む「本好き」になる必要はありません。大人にも本が大好きな人と、必要なときだけ読む人がいます。それでいいと思います。 海外で日本語を育てるうえで大切なのは、少なくとも、日本語で読むことを嫌いにならないこと。そして、必要なときには日本語の文章から情報を取れること、興味のあるものなら、自分から日本語でも読んでみようと思えること。その状態を作ることではないでしょうか。 「何を読ませるか」より、「何が好きか」を聞いてみる 子どもが本を読まないとき、私たちはすぐ、「おすすめの児童書は何ですか?」「小学5年生なら何を読めばいいですか?」と考えます。もちろん、読書レベルに合った本を探すことは重要です。 でもその前に、一つだけ聞いてみてください。「今、何が一番好き?」その答えの先に、その子が初めて自分から開きたくなる日本語の本があるかもしれません。 海外で日本語の読書を続けることは簡単ではありません。だからこそ、最初から「国語力を伸ばす本」を探す必要はないと思います。まず、本人が読みたい本を見つける。読んで面白いと感じ、次にまた読みたいと思う。 その結果として新しい言葉に出会い。文章を読む量が増え、少し長い本も読めるようになる。 読書習慣をつくる第一歩は名作を本棚に並べることではなく、その子の「好き」と日本語の本をつなぐことだと、今の教室をはじめてから感じています。 参考資料 Merke, S., Ganushchak, L. & van Steensel, R. (2024), Effects of additions to independent silent reading on students’ reading proficiency, motivation, and behavior: Results of a meta-analysis, Educational Research Review, 42. Wigfield, A., Gladstone, J. R. & Turci, L. (2016), Beyond Cognition: Reading Motivation and Reading Comprehension, Child Development Perspectives. Baker, L. & Wigfield, A., Dimensions of Children’s Motivation for Reading and Their Relations to Reading Activity and Reading Achievement, Reading Research Quarterly. Mori, Y. & Calder, T. M. (2017), The Role of Parental Support and Family Variables in L1 and L2 Vocabulary Development of Japanese Heritage Language Students in the United States, Foreign Language Annals.